「メメント・モリ(memento mori)あおもり」🌳
「メメント・モリ(memento mori)」というのは中世の言葉で、ラテン語の「死を忘れるな」という意味であります。自分の死がもう間近に迫っていると知れば、残された日々をどう生きるかを考え、限りある命を精一杯生きるでしょう。人が自覚的に生き始めるための一番強いきっかけは、死を知ることであります。死を見つめることは良く生きること。仏教でいう「死生一如」であります。
「弾の軌道が目標で終るように、人生は死で終る」(ユング)📖
「地蔵盆」🙏
地蔵は、三途の川の犀の川原で遊ぶ子供を地獄の鬼から守ると信じられ、お盆の後、地蔵盆を催して、子供たちと遊ぶ風習が生まれました。地蔵は正しくは地蔵菩薩と言います。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天界)に迷える衆生を導き救済すると言う。まさに平安閣ほっとちゃんの使命は地蔵と重なります。
「ほっとちゃんの大切な想い 大切な子供たちに 届いていますか-」
子供たちの元気な笑い声溢れる街にしたいと願っているほっとちゃんです(^o^)
「デス・エデュケーション」📖
前にも紹介したE・キューブラー・ロス「新・死ぬ瞬間(ON CHILDREN AND DEATH)」は、我々葬儀社の必読書であります。
「失うこと、それは成長と理解を促す触媒である」という章の中で、「幼いうちから祖父母や親戚の死にかかわることを許された子供たちは、将来、彼らの両親やきょうだいの病床が末期になったときでも、これに対応する心の準備ができているだろう」というロス博士の主張は、切実に思います。
子供たちに、いずれは必ず訪れてくる死というものに心の準備ができるように「デス・エデュケーション(死の教育)」の必要性を人の命が軽くなった今こそ痛感します。
私どもは、日常的に死に直面する者として、「死の教育は命の教育」だと現場から訴え続けていかねばならないと思います。死生一如☝️。
前にも紹介したE・キューブラー・ロス「新・死ぬ瞬間(ON CHILDREN AND DEATH)」は、我々葬儀社の必読書であります。
「失うこと、それは成長と理解を促す触媒である」という章の中で、「幼いうちから祖父母や親戚の死にかかわることを許された子供たちは、将来、彼らの両親やきょうだいの病床が末期になったときでも、これに対応する心の準備ができているだろう」というロス博士の主張は、切実に思います。
子供たちに、いずれは必ず訪れてくる死というものに心の準備ができるように「デス・エデュケーション(死の教育)」の必要性を人の命が軽くなった今こそ痛感します。
私どもは、日常的に死に直面する者として、「死の教育は命の教育」だと現場から訴え続けていかねばならないと思います。死生一如☝️。
2020年をターニングポイントに祭壇がない葬儀スタイルが主流になると予測しております。
危機ではなく転換期。逆境はイノベーションのチャンスであります。愛言葉はリンクモア平安閣ダカラコソデキルコト!
モノよりコト、ハードよりハートの時代です。
始めるから、始まる!行動しか変わらない!