⬛️野見山暁治「明日の空」⬛️
川っぷちな、草茫々と茂っていて、流水はどこから来るのか、よくもと思うほど、どす黒く横たわっていた。泳ぐたび母に叱られる。いくらトボけても、瞼や小鼻のふちに炭の粉がうっすらと残ってしまう。川っぷちの泥を、団子のように丸めて陽に晒していると、石炭のように燃える。ぼくたちは、ネンボウという、小さな棍棒を地面に突き立てたり、コマを回したり、天に向かって凧をあげるのに夢中だったり。女の子は、何をやっていたのか、仲間うちで仲良く遊んでいたので知らない。小学校に入るようになって、はじめて洋服を着せられた。それまで着物だったので、両脚に分かれているズボンが似合わなかったら、どうしよう。僕は気取り屋だ。近くの街の世界展で、西洋の子供たちの絵を知った。川も魚もボートも、きちんと輪郭で示されていて、その枠をはみ出さないように、色が塗り分けされている。犬も猫も行儀がいい。西洋人みたいだ。ぼくたちの絵は、緑の葉っぱが地面と交わり、野原の花と一体になって、やけに大きい。僕は今、お爺さんになっている。故郷の飯塚に、体育館が建つ。自分が育った小学校の皆さんの絵を、いっぱい描いてもらい、その中から選んで、粘土で型取りして、体育館の壁いちめんに貼り付けた。故郷の後輩たち、いつの間に西洋の子供たちと同じ線、同じ色合い、区別がつかん。あの日本人の泥くささが消えている。もう世界のどこに居ても、人間の生活は地球規模で進行しているのだろう。