コロナ禍でなかなか旅行にも行けない不便なご時世ですが海外のバリアフリー事情を紹介したいと思います。
私は2018年から2020年にかけて1年半、国際協力事業で南米のウルグアイという国で作業療法士として
活動をしていました。
ウルグアイはブラジルとアルゼンチンの間にある小さな国で、埼玉から見て地球のほぼ真裏にあたる国です。
一人当たりの国民総所得(GNI)は日本の半分以下ですが、日本とほぼ変わらぬ生活水準で暮らせる、
ゆったりと時間が流れるところです。
ウルグアイの公園で見かける遊具にこんなものがあります。車椅子のまま乗れるブランコや回転盤、
寝たまま乗れるブランコ、階段を上らずに遊ぶことができるすべり台などです。対象者を障がいの有無で
限定しないこと、障がいのある子もない子も一緒に遊べるつくりになっているのが素敵ですよね。
スーパーのレジには必ず、障がいのある方と妊婦さんが優先されることを示した看板があります。
バスにも優先席がありますが、優先席でなくてもみんな当たり前のように子どもとお年寄りに席を譲ります。
(街に電車はなく、バスが庶民の足です)
2019年からはテレビの全てのニュース番組に手話がつくようになりました。滞在中に大統領選挙がありましたが、
選挙の街頭演説にも手話通訳者がついていました。
でも、一番違いを感じるのは街なかを歩いているときです。少数派である、いかにもアジア人の私が道ばたで
キョロキョロしていると、通りがかりの人が「迷子になったの?」「何か困っている?助けが必要?」と
すぐに声をかけてくれます。逆に私が横断歩道のない道で、白杖を持った視覚障がい者から「車道を渡るのを
手伝ってくれないかな」と言われたり、横断歩道で車椅子の人から「歩道に上がる時、手伝ってくれない?」
と声をかけられることもありました。
そして、誰かがバスの中で転んでしまおうものなら、次の瞬間、周囲にいる全ての人が自然に手を差し伸べるのです。
さて、場所は変わって日本では、ウルグアイに比べて道は平らで街なかの段差も少なく、エレベーターも整っています。
でも、何か大切なものが足りない気がするのは私だけでしょうか。
多様性という言葉をよく耳にするようになりましたが、本当にインクルーシブな社会ってどんな社会なのでしょうか。
これからも考え続けていきたいと思います。
東埼玉病院リハビリテーション科ホームページはこちらをクリック
【注意】
本ブログの掲載記事は,個人的な見解を含んでおり正確性を保証するものではなく,
当院および当科の総意でもありません.引用や臨床実践等は各自の判断と責任において
行うようお願いいたします。