爆睡宣言
久しぶりに良く寝ました
初詣してから寝て
朝起きてからご飯してから「朝寝」
昼前におきてから年賀状の仕分けして
阿児のジャスコでたこ焼きを食べてから
家に戻り、大切な女性)ひと)と電話でやり取り後「昼寝」
お腹が空いて目が覚めて
夕ご飯食べてから・・「夕寝」
起きたら午後9時前だった・・・
明日の準備?(厄除けです)してから夜寝?します。
これぞおいら的には「寝正月
」です。
爆睡宣言
久しぶりに良く寝ました
初詣してから寝て
朝起きてからご飯してから「朝寝」
昼前におきてから年賀状の仕分けして
阿児のジャスコでたこ焼きを食べてから
家に戻り、大切な女性)ひと)と電話でやり取り後「昼寝」
お腹が空いて目が覚めて
夕ご飯食べてから・・「夕寝」
起きたら午後9時前だった・・・
明日の準備?(厄除けです)してから夜寝?します。
これぞおいら的には「寝正月
」です。
ブログ更新の合間に?地元の伊雑宮と神社に行きました。
まずは伊雑宮へ参拝に行きました。
鳥居をくぐると・・・
ファイヤ~(あっちちぃ~あっちぃ~♪火の粉が飛んでくるのさ~♪)マジで風が強いので飛んできました
一応伊雑宮は伊勢神宮別宮ですので・・・下記参照(コピーっぺっと)
伊雑宮は内宮(皇大神宮)別宮で、内宮背後の島路山を越えた志摩市磯部町(旧志摩郡磯部町)上之郷にある。伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国外では志摩国の伊雑宮1社のみであり、また神田を持つ唯一の別宮でもある。
10社ある内宮別宮の中で、伊雑宮は荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ順位とされる。
伊雑宮を志摩国一宮とする説が一般的である。しかし、鳥羽市を中心に鳥羽市安楽島町の伊射波神社(いざわじんじゃ)を志摩国一宮とする異論がある。
現在では、式年遷宮のためのお木曳行事が伊勢神宮に準じ20年に一度行なわれる。正宮では1年次と2年次の2回であるのに対し、瀧原宮と伊雑宮の別宮2社では1年次のみである。第62回神宮式年遷宮の伊雑宮御木曳は2006年(平成18年)4月17日(月曜日)に催された。第61回神宮式年遷宮までは旧磯部町内のみであったが、平成の大合併での志摩市誕生により、この第62回神宮式年遷宮では志摩市中心部の旧阿児町内でも初めて曳かれることとなった。
他の境外別宮と同様、神職が参拝時間内に常駐する宿衛屋(しゅくえいや)があり、お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎを行なっている。
ご利益があればいいけど
続いて~磯部神社に初詣?参拝?に行きました。
おいらてきには「穴場」(伊雑宮の分家?)だったので?以外にも駐車場が満車状態でした
磯部神社は?(これもコピーっぺ)
沿革 磯部の地は伊雑宮御鎮座の地にして、伊雑神戸の郷として其の関係甚だ密接にして郷内各村々に大小の神社は恰も伊雑宮の摂末社の如く、歴代伊雑宮神人等によって其の氏神産土神として奉祀せられ、造営に当りても伊雑宮竝大歳社(佐美長神社)の古殿を拝領して、其の造修を営んで来たものである。明治の末期に至り、神社合祀の方針に則り、村内十大字(除坂崎)の神社を現在地(正月殿社跡地)に移転合祀して、磯部神社と単称することとなったもので、磯部郷の惣社と称すべき神社である。即ち明治四十一年四月七日許可を得て、大字恵利原村社神津見社、同境内社一社、大字迫間村社大山祇神社、同境内社一社、大字穴川村社宇気比神社、無格社須賀神社、大字下之郷村社宇気比神社、同境内社五社、無格社神集社、同境内社三社、無格社楠之社、同水神社、同山神社、同大崎社、大字飯浜村社宇気比神社、同境内社三社、無格社須賀社、大字上之郷村社谷ノ神社、同境内社一社、無格社少名彦社、同境内社一社、大字沓掛村社以比社、同境内社三社、大字五知村社新宮熊野神社、同境内社二社、無格社権現熊野神社、同境内社一社、無格社本宮熊野神社、同境内社二社、大字山田村社神津見神社を明治四十一年八月二十五日大字恵利原字正月殿の現在地へ移転合祀、村社磯部神社と奉称し、次いで同年十二月二十八日大字山田の無社を合祀し、更に明治四十三年三月二十一日大字築地村社八柱神社を移転合祀せられた。敗戦の結果、社格は廃止せられ宗教法人となる。昭和三十年二月十一日町村合併磯部町の発足にともない、度会郡神原村成基地区の産土神である山原の八柱神社竝同境内社三社又栗木広の栗木広神社、同末社天皇社及桧山の八柱神社と同社末社四社を合祀先の神原神社より分祀して、昭和三十年十二月九日磯部神社に奉遷合祀せられた。
今年も?おみくじを引きました~♪
おいらの強運(凶運?)の右手でエイ!う~ん・・・中吉・・・(昨年は大吉でした)
一度睡眠をとってからもうひとつのところにも参拝に行きたいと思います。
夜は冷え込みました。風の通しにくいジャージにジャンバーを着こんで行きました。
それにしても神頼みは人が多いっと思いました?(おいらも人のことは言えません)