e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

梅乃宿 紅梅

2012年01月04日 | 
昨日は、妹夫婦が子どもたちを連れて年始の挨拶に来た。
義弟もかなりの酒好き。
先日の“九々鱗(くくりん)”が空になり、
次ぎに登場したのが“梅乃宿 純米吟醸 紅梅”やった。
せやけど梅乃宿もすぐに空いてしもた。

@梅乃宿 純米吟醸 紅梅
淡麗な中に純米ならではの芳醇な味わいと旨みを引き出したお酒です。
梅乃宿酒造 株式会社
創業/明治26年(1893年)
奈良葛城山の麓に創業以来今日まで「飲む人の心に語りかけるような酒」を念頭に少しの妥協も許さない酒造りに力を注ぐ。
酒造りの基本は良い原料と高精白。超軟水の葛城山系の伏流水を仕込み水に、南部流の技で醸す酒は柔らかく、きめ細かな味わいが持ち味です

給油

2012年01月03日 | 道路・鉄道・船
昨夜、大阪茨木から地元に帰って、慌てて給油した。

昨日は祝日。
いつも行くガソリンスタンドは、土日・祝日はガソリンが安いから。
1Lが131円。
せやけど高い!
円高やと言うのに・・・
今年の初ボヤキ。

茨木童子

2012年01月02日 | 人物
今夜は、正月で帰省していた息子を送って大阪・茨木へ。
この街の郵便ポストの上には“茨木童子”がいた。
皆さんの家にも、このポストから投函された年賀状が届いたかも?

@茨木童子(いばらきどうじ)
平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる「鬼」の一人。茨城童子と書くこともある。酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来であった。
出生地には、摂津国(大阪府茨木市水尾、または兵庫県尼崎市富松)という説と、越後国(新潟県旧栃尾市、現在の長岡市の軽井沢集落)という説がある。生まれた頃から歯が生え揃っていた、巨体であったなど周囲から恐れられ、鬼と化した後は酒呑童子と出会い舎弟となり、共に京を目指した。
酒呑童子一味は大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市と亀岡市の境にある大枝山という説もある)を拠点にし、京の貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらいたが、源頼光と4人の家臣たち(頼光四天王)によって滅ぼされたという。 しかし茨木童子は逃げ延びたとされ、その後も頼光四天王の一人である渡辺綱と一条戻り橋や羅生門で戦った故事が後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれている。

屠蘇に九々鱗

2012年01月01日 | 
お正月・元旦と云えば“お屠蘇(とそ)”。
なにを飲もうかと酒蔵を物色し、“辰”年やから“長龍”の“九々鱗”に決めた!
“九々鱗”とは龍の異称。一列のうろこが81枚あるといわれるところから、こう呼ばれている。龍は鳳(ほう)、麟(りん)、亀(き)とともに4霊の1つとされ、雲雨を自由に支配する力を持つといわれる想像上の霊獣。このお酒も酒造好適米「山田錦」を100%用いて風格ある味わいをもった自信作として「九々鱗」という立派な名前が付けられたという。
“長龍”は、関西在住の方なら誰しも聞いたことがあるあのテレビCMあれから十余年、長龍は、奈良・広陵町に蔵を構え特定名称酒以上の酒を醸すようになった。準大手的なイメージの蔵が造りだす新生「長龍・広陵」は、これがあの「長龍」の系晋? と疑いたくなるような素晴らしい酒質で進化を認めざるを得ない出来栄えやった。

※屠蘇(とそ)とは、一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む薬酒である。
「屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を屠(ほふ)るという意味である。数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を日本酒に味醂や砂糖を加えたものに浸して作り、小・中・大の三種の盃を用いて飲む。昔から、「一人これを呑めば一家病無く、一家これを呑めば一里病無し」と言われ、伝統的な正月の祝いの膳には欠かせないものとなっている。

なにも足さない、なにも引かない

2011年12月31日 | 
歳月には力がある。歳月を養分にして、この琥珀色は滴った。だからピュアモルトの香りは、言葉に溶けてしまわない。はっきりと呟きが聞こえる。凛としたモノローグである。朴訥だが明晰。シンプルだが、奥が深い。なんという矛盾だろう。静謐があって、覇気がある。ゆったりと、鷹揚で、大きな流れと、縦横無尽に闊歩するものとが、同居している。なにも足さない、なにも引かない。ありのまま、そのまま。この単純の複雑なこと。
日本のウイスキーのふるさと山崎から
サントリーピュアモルトウイスキー山崎
1992年~1994年

高砂

2011年12月30日 | 
・島根の日本酒。酒名は、酒造地の地名と隣の土地がそれぞれ「白砂」「高崎」と呼ばれていたことと、謡曲の「高砂」にちなみ命名。大吟醸酒、吟醸酒、純米酒、本醸造酒、普通酒をそろえる。平成8、9、12年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は山田錦など。仕込み水は自家井戸水。蔵元の「財間酒場」は寛政3年(1791)創業。所在地は鹿足郡津和野町中座。

・石川の日本酒。父祖が松任郷士・二階堂氏の末裔であったことから、酒名は松任の松に関係のある謡曲からとり命名。大吟醸酒、純米吟醸酒、純米酒、本醸造酒などがある。平成14、15年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は五百万石など。仕込み水は白山を源とする手取川の伏流水。蔵元の「金谷酒造店」は明治2年(1869)創業。所在地は白山市安田町。

風の森

2011年12月29日 | 
創業は享保4年(1719年)以来280年、絶えることなく酒造りを続てきました。
風の森を醸す、油長酒造は、県下でも比較的大きな蔵でこれまで、普通酒を中心に造ってきました。
しかし本物の酒を造るべき吟醸酒専用の平成蔵を建設し平成10年4月より発売を開始しました。
風の森ブランドは、すべて手造り、しかもまったく濾過をせず割り水も行わない生原酒で出荷しています。
また2001年から、純米酒・純米吟醸・純米大吟醸の純米系のみの仕込みになりました。

まこと屋一番人気☆

2011年12月28日 | 麺類
ポンパレで見つけた“まこと屋一番人気☆”。
『全のせ牛醤(ぎゅうじゃん)ラーメン』
【半熟煮玉子・チャーシュー4枚・ぴり辛のトッピング付き】
心斎橋店NEWOPEN記念☆通常980円が半額の490円!!
大阪美津寺筋で食べて来ました!

“まこと屋一番人気☆”と言われても・・・
店内に客は私ひとり・・・
その私が食べたんやから、やっぱり“一番人気☆”か???

鹿児島刑務所跡

2011年12月27日 | 建築物
中草牟田バス停から鶴尾橋をわたると、ヨーロッパの城を思わせる大きな石づくりの門が見えてきます。
ここが鹿児島刑務所でした。

江戸時代には牢屋とよばれ、郡元の一之宮神社の近くにありましたが、西南戦争で焼かれてしまいました。
あくる年、鹿児島駅近くに鹿児島監獄所が建てられました。
しかし市の中央にあるということや、建物が古くなったということなどもあって、一九〇一(明治三十四)年から、永吉町に新しい刑務所の建設が始まりました。

設計は山下啓二郎(西田町出身)を中心とする司法省営繕組織で、工事には受刑者も加わりました。
工事に使う大きな石は、伊敷町肥田から切り出して、甲突川を船で運んだと言います。
この工事は七年後の一九〇八(明治四十一)年三月に終わりましたが、その時に刑務所前の鶴尾橋もつくられました。
石づくりの刑務所としては、わが国で最も古く、尚古集成館や五大石橋とともに、鹿児島の貴重な石造建築物でした。
鹿児島刑務所は、昭和六十年に姶良郡吉松町に移され、今は正門だけが残り、中世ヨーロッパの城門を思わせるゴシック建築独特の様式を偲ばせてくれ、国の登録文化財に登録されました。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)

牡蠣詰め放題・食べ放題

2011年12月26日 | グルメ
この季節、やっぱり旨いのは“牡蠣”!

お隣の三重県鳥羽に行けば“牡蠣詰め放題・食べ放題”ができる。
昨日は息子が友人と。
だから今、冷蔵庫の中は牡蠣でいっぱい。
どうして食べようかと思案中。

三津寺筋

2011年12月25日 | 道路・鉄道・船
写真は大阪の「三津寺筋(みつてらすじ)」。
「三津寺筋」の名前の基になった「三津寺」は、「御堂筋」と「三津寺筋」のちょうど角にある。
大阪市内の幹線道路・通りは原則として南北方向に延びるものを「筋」(すじ)、東西方向に延びるものを「通」(とおり)という。
江戸期には、筋と通の使い分けはそれほど厳密ではなく、すべての道が「筋」と呼ばれた形跡があったり、混在していた(近松の戯曲や古地図の浪華名所獨案内などで確認できる)。
現在では道路名称を命名する場合は、下記に揚げた幾つかの例外を除き 基本的に上記の原則に沿っている。
・東西方向に延びている筋:清水町筋、周防町筋、八幡筋、三津寺筋、宗右衛門町筋
・南北方向に延びている通:大正通、海岸通

かつての「筋」の中の特定の道が「通」とも呼ばれるようになったわけだが、その条件は、船場においては「家々の間口の面した道」であると思われる。間口の面した「通」の両側は、一つのコミュニティー(町)を形成していた。船場の町名は、「通」ごとにつけられていた。すなわち「筋」「通」の違いの本質は、その道を挟むコミュニティの形成の有無、ということができよう。「筋」はただの裏道に過ぎないのである。

ふぐ料理

2011年12月24日 | グルメ
フグを主とした料理群。
山口県、大阪府など西日本を中心にふぐ料理は作り上げられ、太平洋戦争後に全国に広まった。
ふぐの本場とされる山口県、北九州地方などでは濁らずに「ふく料理」、大阪などでは「テッポウ料理」あるいは「テツ料理」などとも呼ばれる。
ふぐ刺しはフグの身の刺身のこと。関西ではフグのことを「テッポウ」と呼ぶことから、「テッポウ刺し」を略して「テッサ」とも呼ばれる。
フグはその内臓などに毒(高級魚とされるトラフグなどが体内に持つのはテトロドトキシンが広く知られている。またハコフグが持つパフトキシンもある)を持つため扱いが難しく、日本国内の場合、多くの自治体では初期処理には専門の資格者が当たることが義務付けられている。

御堂筋のいちょう並木

2011年12月23日 | 趣味の園芸
御堂筋の並木は1937年(昭和12年)、御堂筋の完成と共に植えられました。

現在では大阪市の指定文化財となっており、季節によっていろいろな顔をみせる御堂筋のいちょう並木は、府民投票の結果により、1989年(平成元年)4月に大阪みどりの百選に選定されました。
淀屋橋から難波までの区間では、毎年樹齢に至ったものを新しく植替えて景観を維持するなどの努力が続けられています。
近年は銀杏の匂いの問題もあり、雄株が植えられるようになっており、近い将来全て雄株になるかもしれませんが、文化や風情が失われるとして賛否両論があります。
1937年の竣工時は淀屋橋以北はプラタナスが植えられていましたが、現在ではいちょうに植え替えられています。

鶴丸城

2011年12月22日 | 
鹿児島城は、鹿児島県鹿児島市城山麓にあった城である。
鹿児島では一般的に古くから「鶴丸城」(つるまるじょう)と呼ばれている。
「鶴丸」の呼び名の語源は島津家の家紋が「鶴丸の紋」であったことによる。
城跡は鹿児島県史跡に指定されている。

江戸時代初期に島津氏によって築かれた、上山城跡である城山とその麓に築かれた鶴丸城で構成された平山城である。平城や山城とする説もある。

城山は、南北朝時代には「上乃山城」および「上山城」という上山氏の居城であったが、後に島津氏に明け渡され、上山氏は桜島に移っている。
その後島津氏は城山の東麓に屋形を築いて居城した。麓の屋形(本丸、二ノ丸、出丸)には石垣が築かれたが、公称「77万石」の大名の城としては天守など高層建築や高石垣などは築かれず、明治時代に城跡を訪れた本富安四郎は著書『薩摩見聞記』で「不思議」と評している。これには江戸幕府に対する恭順の意味があったとされる。その代わりに、島津氏は中世式の山城を各地に残し、113区画をそれぞれ家臣に守らせる外城制度を行っていたとされる。

本城である鹿児島城は北に本丸、南に二の丸が位置していたが、単純な構造で防御には問題のある「屋形造」の城であった。そのため裏山である城山を籠城のための「後詰めの城」としていた。初代の城代として島津歳久の孫の常久が任命されて居住していたが、常久が早世した後は次の城代は任命されず、城山自体が聖域として立入禁止区域となった。

明治6年頃には「御楼門」という大手口の櫓門と1重2階の兵具所多門櫓、角櫓(隅櫓)、書院造の御殿などがあった。御楼門と兵具所多門櫓、角櫓の様子については明治初期に撮影された写真が現存する。

鹿児島港旧石積防波堤

2011年12月21日 | 建築物
南側の130m程の部分が「一丁台場」、

その付け根から東側に約30度の角度を持つ石積みの護岸が「新波止」、

その接続部分は新波止の構造を踏襲し、
美しい局面を損なうことなく全体の景観に融合した巻石防波堤が「第一防波堤」である。
巻石のいたるところには、石工たちの名が誇らしげに刻まれている。


国指定重要文化財で、土木学会選奨近代土木遺産に選定されている。

竣工年は明治38年,平成5年改修された。