e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

竹内街道

2010年08月29日 | 道路・鉄道・船
昨日書いた“綿弓塚”のある庭と民家を整備した建物(休憩所?)には、司馬遼太郎の色紙や芭蕉の資料等が置かれていた。

ここ竹内の集落には司馬遼太郎の母親の実家があり、彼は少年時代、この山麓の在所ですごしたそうだ。

建物から表の通りに出ると、そこは“竹内街道”。

この道は、推古天皇21年「難波より京に至る大 道を置く」と、『日本書紀』記録された日本最古の国道「大道」だったという。

飛鳥時代には、中国や朝鮮半島の優れた大陸文 化がこの道を通じて伝来。

日本で最初の本格的文化である飛鳥文化の発展に大きく貢献した街道だった。

また、竹内街道は大陸からの渡来人を迎えるだけでなく、大陸へ赴く遣隋使や遣唐使が利用したこともこの街道だったそうだ。
710年に奈良の平城京へと都が遷されると、次第にその役割を消失。

その後は、聖徳太子信仰が強まることで、太子信仰の道としての性質が色濃くなり、中・近世は、伊勢、長谷参詣、山上詣りで隆盛し、街道沿いには旅籠や茶店が軒を連ねたという。

1796年(寛政7年)4月小林一茶がここで一句詠み、1853年(嘉永6年)吉田松陰23歳も竹内を経て儒者を訪ね、1863年(文久3年)天誅組7名が志果たせず逃走したという。

万葉集には、

大坂を 我が越え来れば 二上に もみぢ葉流る しぐれ降りつつ飛鳥川 もみぢ葉流る 葛城の 山の木の葉は 今し散るらしとあるという。

竹内街道に似合う季節は、やはり“秋”なのだろう。

「写真;竹内街道」



信貴生駒スカイラインでのこと

2010年08月29日 | 道路・鉄道・船
ぼんやり考えるのは、突然息子を交通事故で喪った知人のこと。



そしてバイクの事故のこと・・・



思い出したのは、結婚前、家人とドライブに出かけた時のコト。



信貴山側から“信貴生駒スカイライン”を走った。



生駒山までの途中で大阪平野が見渡せるポイントを発見。



道路際に停車し、景色を眺めながら私たちは話に夢中だった。



突然、「ガーン!」と音が鳴り、対向車線の自動車の通過後、



転倒した大型バイクと少し離れて人間が滑りながら私の愛車の方へ・・・



幸い大型バイクは、愛車の横をかすらずに通過していった。



しかし、その後を転がってきたライダーは、愛車の前のバンパーの下に突っ込んできて、ドンと音が鳴って姿は見えなくなった。



家人と共に、恐々車から降りて車の下を覗く。



ライダーのヘルメットは、ナンバープレートと道路の間に挟まっており、彼は少し動いていた。



誰がどうやって連絡してくれたのか分からないが、やがて救急車とパトカーが到着。



ライダーは救急車に乗せられて運ばれ、



その後、交通事故の現場検証がはじまり、我々も目撃者?としていろいろ聴かれた。

住所・氏名等を聴かれた後に、「二人の関係は?」と聴かれても・・・

最後に、道路わきに車を停めていたことのお説教もたっぷりと・・・

「写真;信貴生駒スカイライン
先日行った“西大和さえき”の庭から北西の方向を眺めると、信貴山、高安山や生駒山が見えてい た。」

K氏の愛車はトヨタ・プリウス

2010年08月29日 | 道路・鉄道・船
K氏の愛車はトヨタ・プリウス、そうハイブリッドカーである。

購入後、約1年半。

今回の旅で使わせてもらうことにした。

彼は、長距離ドライブで燃費を伸ばすのが楽しみらしい。

彼が運転中は、急な加速を控え、ブレーキも極力控える。

室内の冷房も1℃高めとし、モニター画面で10分ごと?に燃費をチェック。

一方私は、マイカーに年期が来ているので、次期購入の参考になればという考え。

前方に車が詰まると急な追い越しをかけた。

1500ccのエンジンと電気モーターとの組み合わせで、どれくらいの加速が出来るかが知りたかったのだ。

往復に同じ道路を利用するのは単調すぎるか ら・・・と、

行きは東名阪自動車道を名古屋、そこから東名→東海北陸自動車道を白鳥ICまで北上し、九頭竜川沿いに福井へ。

帰りは北陸自動車道→名神→京滋バイパス→京奈和自動車道を利用してN盆地へ。

Nから往復約700kmの旅。

1度も給油をすることはなく、燃料計にはまだま だガソリンが残っていた。

ガソリンタンク満タンで、約1000km走れるのだそうだ。

このガソリン価格高騰の折、この車が旅にまた違う楽しみをもたせてくれた。

「写真;東海北陸自動車道、妙な車を見かけた」




病院通いの交通事情

2010年08月28日 | 道路・鉄道・船
奈良盆地は小さな盆地である。

職場を早めに出させてもらって、今日も母の待つ病院へと向かう。

しかし、大和の交通事情が私の邪魔をする。

奈良盆地の南東部に住む私にとって、

北(奈良市の方角)に通じる道は1っ本しかない。

それしか無いから、朝夕方は特に混雑する。

何処を掘っても文化財・・・道路はなかなか整備されない。

母に逢える時間は13時30分から14時30分と、

18時から19時までの1日に2時間しかないのだ!

17時に仕事を終えて北へ走ろうとしても、

たかだか南北20kmしかない盆地なのに、病院まで1時間近くかかってしまう。

せっかく行ったのに本日のICU、訳あって母との面会時間は2分ほどだった・・・

「写真;二上山」


50

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
先日の鍋の話題も、

もっぱらこの数字のことで盛り上がった。

鍋をつついていたのは、おおよそ全員40代。

勿論、ゴルフのスコアーのことではない。

さあ、これからの人生、

一体・・・  どう生きようか・・・


車にココロ

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
今日は10年ほど前にあった不思議な話。

それは、私が現在乗っている車のひとつ前の車のこと・・・


その車にも10年ほど乗ったので、そろそろ新しい車が欲しくなり、仕事帰りにディーラーに車を見に行った。試乗をし、カタログを貰って助手席に乗せ帰路についた。


自宅まであと少しというところで、突然カーラジオの音が消えた。

“・・・?” 

私は何が何だか分からなく、カセットテープを差し込んだ。

すると、車の計器類の照明が消えた??


右折すると自宅へ続く上り坂という最後の信号のある交差点へ・・・

車は惰性で走行しているが、正面から対向車が来るとブレーキを踏まねばならない。

そんなことしたら・・・交差点で立ち往生・・・

信号が青色のうちになんとか・・・

右折しようにもパワステが利かないのでハンドルが重い重い。

私の車はどうにか交差点を渡り、右斜め前のコンビニの駐車場に辿り着いた。


あの車は、私が新しい車を見に行ったことに怒ったのだろうか?

新しい車のカタログを助手席に乗せて、

新しい車のことを想像しながら運転している私に

自分からサヨナラしたのかも知れない・・・













愛車のメーター

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
愛車の走行距離が、10万kmに近づいていた。



この車に乗って10年半。



通勤をはじめ、買い物や家族旅行に利用した。

西国巡礼や四国遍路での走行も、

かなりの距離になったことだろう。



メーターがジャスト100000kmになった

記念写真を撮るのを楽しみにしていたのだが・・・



この日曜日の夜、自宅から神戸を往復することになり、



99999kmは阪神高速・環状線の信濃橋付近、



100000kmは阪神高速・神戸線への分岐・合流付近で



どうしても車を停車し、撮影することが出来なかったのです。

まだまだ愛車が機嫌よく走行してくれると信じています!


新名神高速道路の下の道

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
長男の暮らす滋賀へ行くのに、私は“信楽越え”をする。

他にいくつかのルートがあるのだが、奈良や宇治、京都を通ると

かなりの信号の数になってしまうからだ。


自宅を出て、名阪国道を東へ。

いつかブログに載せた“伊賀上野”のお城を見ながらさらに東進。

毎年初詣に行く敢國神社のあるインターのその次のインターで下りて、信楽方面へ。

伊賀焼の看板をいくつか通過すると、その次は信楽・狸の焼き物の里である。せっかくだから今回も、いつもの店で“干支の置物”を購入した。


そこからが“信楽越え”。


数年前まではもの凄い山道だったのだが、第二名神高速道路の建設にともない、この山道もかなり良くなってきた。

片側は山を切った崖、反対側が急流流れる谷底で、

車が対向するのに困るような箇所もいくつか残っているのだ。


昔々、この付近の山の木を切り出して平城京が出来たのだとか・・・

そのため長い間、木のない山になっていたのだという。

それが淀川の氾濫を招いたのだとか・・・


さらに先日、藤原京で運河の跡が発掘された。

藤原京の木もこの山の木だという仮説が新聞に載っていた。


この狭い山道を越えると、息子の暮らす街に着く。

我が子の顔を見るための、およそ100分間のドライブだ・・・















阪神高速で大阪LOVER

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
あの日、平野のお寺でご朱印を頂いたあと、再び阪神高速に乗り神戸へ。

(阪神高速は平野では大阪方面には上れないので、お隣りのインターから)

しばらく阪神高速を走ると、大阪らしい風景が見えてくる。

今年は春からドリカムの“大阪LOVER”がヒット!


「東京タワーだって
あなたと見る通天閣にはかなわへんよ
なんで そんなに笑って!
一生に一度の告白やんか!
恋しくて憎らしい大阪・・・」


この風景見ながらこの曲を聴くと、“大阪やなぁ~”って思うてしまう。

やがて道路は環状線合流直前の急カーブに。

ブレーキはもちろん5回。

“ア・イ・シ・テ・ル”のサイン?

懐かしいなぁ~“未来予想図”。

環状線に合流したと思うたら、急いで一番左端の車線へと移動。

すぐに環状線から神戸線・湾岸線への分岐が近づくから

急がんとあかん。

その途中で道路状況の表示板を確認する。

3号神戸線が渋滞してたら、5号湾岸線で神戸へ。

少し遠回りやけど、やっぱり湾岸線は景色がええなぁ~。

海遊館やユニバーサルスタジオが見えるし、海を見ながら走れるやんか!

そう、ここは昔、私が学生生活を送った街や・・・









ごんに会いに知多半島へ

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
栗が落ち、彼岸花が咲く季節になると、


“ごん狐”の話を思い出す。


残念ながら私の口から出て来る言葉は


「ごん、お前だったのか・・・」だけ・・・

昔、我が家の蔵に火縄銃があった。


私は小さい頃、その銃を構えてよく遊んだものだ。


だが“ごん狐”の話を知ってからは、


火縄銃を見ると悲しくなってしまい、

その遊びもいつの間にかしなくなってしまった。

“新美南吉記念館”が愛知県・知多半島中央部の半田にあるという。


この日曜日、私は無性に“ごん”に逢いたくなりガソリンを満タンにして、 


名阪国道→東名阪自動車道→伊勢湾岸自動車道→知多半島道路 と


片道160km、所要時間2時間の日帰りの旅に出た。























国道169号南下

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
先日、国道169号を吉野・川上村へ南下。


その途中に昔、“吉野離宮”があったという“宮滝”を通過。


“宮滝”と言うが、いわゆる滝はない。


滝と言うのは、水が滾(たぎ)る瀬のこと。滾るは、辞書を引くと「水などがわきかえる」、「激しく流れる」、「さかまく」と言う意味になっている。


だから、宮滝は水が滾る宮処という意味だという。
宮滝を神仙郷に例えることもあるが、まさにその趣のある場所。


万葉集で吉野川の流れは「たぎつ河内」「夢のわた」「川淀(かわよど)」等と詠まれ、柿本人麻呂が女帝の持統天皇の吉野行幸に供をして来た時には、
 山川も 依りて仕ふる神ながら たぎつ河内に 船出せすかも  


と詠んでいる。


吉野川に架かる「柴橋」のたもとには石碑が建ち、吉野川流域で最大の「宮滝遺跡」が在る。ここから出土した縄文時代後期の土器には「宮滝式」の名称が付けられている。


また遺跡の北側から飛鳥時代以後~平安時代初期の建物跡も発見され、656年女帝斉明天皇が「吉野宮」を造ると「日本書紀」に記された“吉野離宮”と推定されており、吉野へ行幸した天皇は、応神天皇から聖武天皇まで8人で、その間約440年余だという。


672年6月大海人皇子が近江朝打倒の為ここから出陣し、後で「吉野の盟約」を行った。


また、女帝持統天皇は在位9年間に31回吉野へ行幸したと伝えられているそうだ。

かめバス

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
“ネコバス”なら“となりのトトロ”なのですが、



奈良・飛鳥路を走っているのは、“かめバス”。



“ネコバス”があんな形なんだから・・・



“かめバス”は、一体どんなのが走って来るのだろうかと、



暫くバス停で待っていたのですが、



“かめバス”は遣って来ませんでした。



出来たら龍宮城に連れて行って欲しかったなぁ~



南阪奈道路

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
平成16年春、これといった高速道路の無かった奈良盆地の南部にも一本の道路が開通した。


その道路の名称は“南阪奈道路”。


“平成の竹内街道”とよばれる“南阪奈道路”は、大阪府の堺市美原で阪和自動車道から分岐し、羽曳野市、太子町を通り、奈良県の葛城市へとつながる。


葛城市では、すでに開通している一般国道165号大和高田バイパスと一体となって、畝傍山の北、藤原京の西で終わっている。

私は、この二上山から延びる道路をみると“箸墓”の物語を思い浮かべてしまうのだ。


『日本書紀』にしるされているというのだが、
倭迹迹日百襲姫命死んだので大市に葬り、この墓を箸墓とよんだ。ところがこの墓は昼は人間が築き、夜は神が造った。しかもこの墓を築造するのに多くの人が大坂山から箸墓まで相並んで手送り式にして石を運んだという。この大坂山とは現在二上山麓の香芝市逢坂と考えられているのだという。


この道路開通のお蔭で、我が家から息子の暮らす神戸にも1時間ほどで行けるようになったのだ。