e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

三輪山登拝

2010年08月30日 | 山・川・水・温泉
6月末の日曜日,毎日新聞・日曜くらぶの特集記事は「三輪山登拝」やった。


まだ三輪山に登ったことのない私は,それからずっと「三輪山登拝」が頭から離れない。



そこで昨日,「三輪山登拝」にチャレンジして来ました!



まず,大神神社の駐車場に車を停め参拝。



そこから,山の辺の道を北へ 「三輪山登拝」の受付がある狭井神社を目指し歩いた。



300円払って入山手続き,提出用紙に,氏名・住所・携帯電話の番号を記入した。



でも,なんで携帯電話の番号なんやろか?と思ったけど聞かなかった



往復約2時間の行程で,飲食・写真撮影は出来ないと説明を受けた。



しかし今度は勇気を出して,水やお茶もだめなんですか?と聞いてみた。



その答えは,コーラやジュース類はアカンとのことやった。



渡された「三輪山参拝証」の襷を首にかけ,杖を持って登拝開始。



三光の滝という行場が近づくと,なにやら不気味な音。



近づいて見ると,親子連れが行場の清掃をしておられた。



不気味な音は,ポリバケツに滝の水を受ける音やったらしい。



そこからさらに登ると中津磐座。



そこには神秘的な岩が多数集まっていた。



ここの岩は黒く表面がザラザラした火山岩?



我が地方では「生駒石」と呼ばれている石に似ていた。



烏山椒の林を抜けようとしたとき,上から2人の若い女性が下りてきた。



すれ違いに挨拶しようと足元を見たら,一人の女性は裸足やった。



私は,「裸足で大丈夫なんですか?」と聞いた。



なぜか裸足で無い方の女性が,「彼女はいつもこうなんです。」と答えた。



これが,今流行のスピリチュアルの世界???



それから私は,登山道に残された彼女の裸足の足跡が気になって・・・



山頂近くに高宮神社の祠。



さらに山頂に奥津磐座,そこにも岩がゴロゴロしていた。



その磐座を拝む人達を見て,あまり近寄ってはいけない世界ではないのかと感じ,すぐに下山した。



休憩や参拝を入れて,登り約40分,下り約30分やった。



残念ながら,登拝の写真はきまりを守り撮らなかった。



「写真;狭井神社」

峰の記憶;穂高岳

2010年08月30日 | 山・川・水・温泉
高校2年生の夏は,槍ヶ岳と穂高岳に登った。



高校の部室から重いザックを背負って最寄駅へ。



名古屋を経由して木曽福島駅?で下車し,バスで上高地を目指す予定。



しかし,夜行列車のこと・・・



木曽福島駅の手前で,メンバー全員が眠ってしまったらしい?



私がふと目を開けた時には,列車は木曽福 島の駅に停車していた。



キャプテンである私は大慌て。



部員と顧問の先生を起して,列車の窓から下車することに。



先に身体と片手に持った登山靴が下車。



その後,列車の中の者が,ホームの者に窓からザックを渡した。



部員全員が降りたと同時に,列車は発車して行った。

バスから降りて,上高地から涸沢まで,徳沢,横尾を経て約6時間歩いた。



屏風岩が見えた時は感動したよなぁ~



キャンプ地である涸沢は,氷河が作ったカール地形。



だからモレーンを越える時のシンドさは,睡眠不足も相まって厳しかった~



翌日は,ザイテングラードから奥穂高岳,そして前穂高岳へのピストン。



奥穂高岳から前穂高岳へのピストンの行程で,一人の男性と知り合いになった。



その人は,我々に山の魅力をいろいろ語ってくれた。



前穂高岳から奥穂高岳への帰り,涸沢での再会を約束して,その人はピッケルを使って雪渓を涸沢へと下って行った。



我々は元来た道を下山し,涸沢のキャンプへ到着した時,山岳救助隊が前後にロープをつけた橇を引いて下山してきた。



橇の上にはビニールシートに巻かれた物体?が乗っていた。



何があったのかを聞くと,前穂高岳から奥穂高岳の間の雪渓を降りた登山者が滑落し,岩にぶつかって死亡したとのこと・・・



多分・・・我々と涸沢での再会を約束して別れたあの人・・・



今,北海道での山での遭難事故が大きな話題になっているけど,それが人生で初めて出遭った遭難やった。



なんかショックで・・・



憧れの穂高岳登頂の興奮が一度に冷めてしまったのを覚えている。



「写真;大正池から見た穂高連峰」

峰の記憶;剣岳

2010年08月30日 | 山・川・水・温泉
なぜか数年前から,


家人が「立山黒部アルペンルート」に興味を持ち出した。


私は,結婚を条件に登山靴を脱いだ人間だ。


そんなことが関係しているのかと思ったことがある。


私が生まれて初めて日本アルプスに登った のは高校1年生の夏。


立山と剣岳やった。


室堂からザックを担いで立山を越え剣沢でテントを張り,


夕日に映える剣岳を見て,明日あの山の頂に立てるんやと想像し,


暗くなるまで眺めていた。


高2の先輩は,なにを間違ったのか灯油をコンロで沸かしてココアを入れてくれた。

もう少し沸騰させていたら引火していたか爆発?してたかも知れへん。


先輩も剣岳を前に,きっと興奮してたんやろう。


あの夜は,寝ようとしてもその興奮でなかなか寝付けなかった。


翌日早朝,剣岳に向かって歩きだしたらもう大渋滞・・・

そして,雪渓を横切る途中で落石に遭った。


遥か雪渓の上部から,頭大の岩がイレギュラーバウンドしながら


雪煙を上げて我々に向かって落ちてきた。


逃げようにも雪渓を横切る道の途中。


しかも前後は大渋滞。


ただ身を屈めて岩が当たらないようにと祈るしかなかった。


幸いにも岩は,我々の2mほど手前でバウンドし,


5人ほど前にいた人の50cmほど上を通 過して落ちて行った。


カニの縦這いや横這いなど,初めての岩場を登ったのも覚えている。


頂に立ってその爽快感というか展望の素晴らしさに感動したんやった。


あれから35年・・・


私も「立山黒部アルペンルート」に行ったことがない。


家人に勧めてお供することにした。

本当に行きたかったのは,私の方やったのかも知れへん。

「写真;大観峰と立山ロープウェイ」

天香具山

2010年08月29日 | 山・川・水・温泉
天香具山の南麓を彷徨った日、私はこの山の頂に登ってみたいと思った。



高校時代、耳成山の周回や山頂までが、いつもの部活のランニングコースやった。



天香具山の中腹・国見の丘まで走ることも何度かあったが、標高152mの山頂まで登ることはなぜかなかった。



なぜこの山だけが天から降ってきたと云われ、「天ノ」と飾り言葉が付いているんやろか?

これに関しては、「伊豫国風土記逸文」に、
『伊与の郡、東北の方に天山あり、天山と名づくる由は倭に天加具山あり、天より天降りし時、二つに分かれて、片端は倭の国に天降り、片端はこの土に天降りき。よりて天山と謂ふ。』とあるという。



このことを知っていたら、四国遍路のときに伊予の国の天山を見て見たかったよなぁ~
なぜ万葉人は、この山に特別な思いを持っていたのか知りたくて登ることにした。



この山から見える大和三山の畝傍山、耳成山は、美し いトロイデ形火山である。



それに対してこの天香具山は、吉野竜門山塊の末端で平たく盛り上がり、頂上付近は地下の深所でゆっくり冷やされたマグマが地殻変動で隆起し、地表に出て来た深成岩の花崗岩からなっているという。(金剛、葛城、生駒山、三輪山等と同様に生成されたと考えられている。)



私は、畝傍山や耳成山の方が、姿は美しいと思うんやけどなぁ~



国見の丘にあった天香具山を詠んだ代表的な万葉集の歌、



大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 
国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
           舒明天皇 万葉集巻1-2



春過ぎて夏来たるらし白栲の衣干したり天の香具山
           持統天皇  巻1-28



ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春たつらしも
           柿本人麻呂  巻10-1812



国見の丘から山頂へと歩き出したらすぐに到着したんやけど、頂は木立が多くて展望きかず。



舒明天皇「海原は鴎立ち立つ」、この山から海原と鴎は見えるはずもなく・・・



持統天皇「白栲の衣干したり」と、この山を形成する花崗岩の白色との関係も分からへん。



柿本人麻呂「夕べ霞たなびく」は・・・お昼やったんで・・・



「写真;甘樫丘から天香具山を眺める」



名水百選・ごろごろ水

2010年08月29日 | 山・川・水・温泉
我が家に大峰山麓・洞川の“ごろごろ水”を届けてくれる人がいる。

それも大きなタンクにいっぱい。

それに、その水で作った“名水豆腐”を添えて。

この夏の終わり、私は久々に大峰山に登った。

その時、“ごろごろ水”の水汲み場の前を車で通過した。

昔は道ばたに湧いていたのを汲んでいたのだが、水を汲みに来た人の駐車した車が通行の障害となり、それが問題 となって新しい水汲み場と駐車場が道を渡ったところに出来ていたのだ。

駐車場の看板を読むと、一回の駐車料金は300円。

それでもたくさんの車が駐車していた。

名水ブーム?

「水の味」といわれても、我が家の井戸水を毎日飲んで生活している私には、名水の味がそんなに分からない。

水道水とはすぐに区別がつくのだが・・・

いつぞや東京方面のスーパーで、この“ごろごろ水”がひょうたん型の容器に入れて売られているのを、ブログの記事に載せている方がおられた。

その記事にコメントを載せると、私に“ごろごろ水”の取材を依頼しておられたのだが・・・

その方、ここ一月ほどブログ更新しておられない。

私はとても心配なのだ。

「写真;ごろごろ水の水汲み場」

大峰山・我が青春の山

2010年08月29日 | 山・川・水・温泉
女人結界門から休憩時間を入れておよそ2時間で、我々は山頂にある大峰山寺に到着した。

普通の脚なら、およそ3時間はかかる道程なので、我々はなかなかのペースだったのだ。



その道中、私は長男に山行をしていた頃の思い出話をした。



離れて暮らしていることもあり、ゆっくり男同士2人で話すのは久しぶりやった・・・



山頂到着後、大峰山寺へのお参りを済ませ、お寺の軒下にあった長椅子に腰掛け、コンビニで買った昼食を食べた。

しかし、途中の茶屋で休憩するたびに、おにぎりなどを食べていたので、山頂で食べる食料は限られていた。



長男は「身体動かして、お腹減ってるから美味しい !」と、本当に美味しそうな顔をして食べていた。



彼の“美味しそうな顔”に我々夫婦は、生きる勇気や元気をもらって、この25年生活してこれたのだと思う。



そんな長男の顔を見ながら、ここでも 昔の思い出話をした。



私が高校2年の3月、3学期の期末考査を終え、卒業を控えた部活の先輩たちとこの山頂にいた。



ここから南にある大普賢岳・和佐又山へ大峰山脈を縦走しようと洞川から歩いて登り、この境内にテントを張ったのだ。



あの時はかなりの積雪があり、大峰山寺の屋根の上まで雪の上を歩くと自然に上ることができた。



朝起きると、テントの中に入れておいた登山靴が凍っていて、すぐに履いて歩くことが出来なかったよなぁ~。



靴を温めてやっと履けたので、荷物をまとめて縦走に出発したけど、途中で道が分からなくなって彷徨ってしまい・・・



それに雪庇の張り出しが大きくて危険だったこともあり・・・



結局、縦走を諦めて引き返し、またまたその日もこのお寺の境内にテントを張ることになったのだ。



たしかあの時、このお堂の正面に立っている背の高い木製の供養塔の上に・・・



それ以外にもいつの山行の時だったか、たしか秋、このお寺から歩いてすぐのお花畑の日本岩でブロッケンを見たことがあったよなぁ~



あの時、夢中で写真を撮ったんやったなぁ~



食事の後、“我が青春の山々”を息子に見せようと、山頂近くにあるお花畑に行ったけど、この日は生憎の天気で、すべては白い霧?(雲?)の中やった・・・



「お前も結婚して、もし男の子が生まれたら、この山に一緒に登らなあかんで・・・」なんて話を息子にしながら下山した。



帰路の途中、黒滝の道の駅に寄ったら、コンニャクを炊く美味しい匂い。



息子と熱々を頬張り、おかわりまでしてしもた。



ほんまは、その時2人でビールで乾杯したかったけど、家に帰るまで我慢したんや。


「写真;山上ヶ岳・大峰山寺」

大峰山行・西の覗き

2010年08月29日 | 山・川・水・温泉
後ろを歩いていた長男が、一本松茶屋を出てしばらく歩いたところで、スッと私を追い越し、私の前を歩き出した。

二人の距離がどんどん広がっていく。

私は「次の茶屋(洞辻茶屋)で待っとけよ!その先に“行場”があるんで、説明するからな!」と声をかけた。

彼はアッという間に見えなくなってしまった。

昔は私も歩くのが速かったのに・・・と思いながら、自分のペースを守って歩き続けた。

私が息子に説明したかった“行場”とは、“油こぼし”、“鐘掛岩”そして“西の覗き”。

しかし、次の茶屋で説明した“油 こぼし”も“鐘掛岩”も、

「鎖無い方が楽に登れるなあ。」と言いながら、長男は楽に登ってしまったのだ。

“鐘掛岩”は、少しでも左右の手足の運びを間違うと、立ち往生してしまう難所なのだが・・・

最後の頼みは有名な“西の覗き”。

大峰山といえば、この“西の覗き”の絶壁からロープ一本で突き出されて「両親 に孝行する かッ!奥さんを大事にするかッ!」ってやられるのが名物。

私が中学2年の時は、「親孝行するかッ!先生の言うこと聞くかッ!」と言われ、友達の手前上「いらん!」って答えたら、本当に膝ぐらいまで岩壁から出されてしまった。

その時、胸ポケットに入れていたチューインガムがスーッと何百m?も下の方に落ちていくのが見えて、本当に怖かった・・・

高校の時の山行では、覗きの小屋のおじさんに「学割でお願いします。」と料金を値切ったら、身体を確保する綱はおじさんが持ってくれたのだが、足首を持つ係は友人になった。

これはこれで、日頃の恨み?と加減を知らない素人ということで怖かった・・・

今回は、せっかく初の“サンジョサンマイリ”だから息子にも体験させ、「親孝行を誓わせたい」と思ったのだが、残念ながら「突き出し屋のオジサン」はいなかった。

小屋に覗き用のロープが置いてあったので、親子でそれなりに“覗き”を実行しようかとも考えたのだが、「火曜サスペンス劇場・大峰山殺人事件?」になってもと考えて諦めた。

崖から下を覗いてみたが、当日は霧というか雲の中?

それでも足がすくんで思わず中腰になってしまった。

覗きの岩に腹ばいになって、携帯電話で写真を撮ろうとした息子に「携帯落としたら絶対拾らいに行かれへんぞ!」と、言って先を急ぐことにした。

「写真;西の覗き遠望
西の覗きとは、この岩に腹ばいになり、1人の突き出し屋のオジサンに肩を固定したロープを、もう1人のオジサンには足首を持ってもらい、この岩壁から上半身を出し、岩壁に彫られているという仏様を拝むのです。」



大峰山

2010年08月29日 | 山・川・水・温泉
先日、話の成り行きから突然“サンジョサンマイリ”をすることになった。

“サンジョサン”とは、吉野・大峰の“山上ヶ岳”のこと。

私の住む地域では、“サンジョサンマイリをして初めて一人前の男”という風習が残っていた。

私が初めて山上ヶ岳に登ったのは、中学 2年生の宿泊体験学習。

洞川で1泊し、男子は山上ヶ岳、 女子は稲村ヶ岳に登ったのだ。

当時は、県内ほとんどの中学校でこの行事が行われていたのだと思う。

親父の若い頃は、村の青年団?で氏神様にお参りの後、徒歩で談山神社近くの峠を越えて吉野山を目指し、その後、山上ヶ岳まで夜通し歩き通し詣ったそうだ。

これまで、少し気になっていたのだが、そのきっかけがなく息子たちを誘うことがなかった。

長男は現在、就職活動中。

うまく決まれば来春、長い学生生活にピリオドを打つことになる。

声を掛けたら、すぐに「行きたい!」の声が返ってきた。

心配なのは、7~8年前に、この山で痛めた左膝と午後から雨という天気予報だった。

「写真;山頂にある大峯山寺」




平成の名水百選

2010年08月29日 | 山・川・水・温泉
予報よりはやく雨が降り出した。

今日からず~っと、天気予報は“曇り時々雨”。

ゴルフコンペの日も、雨降りの予報だ・・・

カンカン照りの晴れの日のゴルフもキツイが、雨降りでカッパを着てのゴルフも嫌だ。

しかし、雨は嫌なコトすべてを洗い流してくれそうな気がする。

雨はすべての生命の源なのだ。

先日のニュースによると、
“環境省は、全国のわき水や地下水、河川のうち、地元の保全活動で水質や景観が保たれている100カ所を、現在の「名水百選」に加えて「平成の名水百選」に認定した。

県からは、曽爾村太良路地内にある「お亀池」を中心に点在している曽爾高原湧水群と、東吉野村大又の「七滝八壷」の2カ所が選ばれた。”とあった。

今年の7月、環境問題が主要議題となる北海道洞爺湖サミットが開かれることから、環境省が「サミット前の6月に百選を発表し、多くの人に水の大切さを考えてもらうきっかけにしたい」と、新たに平成の名水百選を決めることにしたらしい。

曽爾の「お亀池」か・・・

以前このブログに“お亀池の伝説”のことを書いた。

昔行った、亀山峠を越えて東側にある「池ノ平湿原」の湧水はよかったなぁ~

いろいろあって倶留尊(くろそ)山を登った後、この湧水の横でロング缶を2缶飲んで酔っ払い、亀山峠をフラフラしながら越えたことが懐かしい・・・

今、この湧水はどうなってるんやろうかなぁ~

「写真;5月のお亀池」

開聞岳

2010年08月28日 | 山・川・水・温泉
“あなたがいつか 話してくれた 岬を僕は 訪ねて来た・・・”

薩摩半島の最南端の岬“長崎鼻”。昔から憧れていた開聞岳を眺めながらその岬をバスの旅をすることができた。そこで見かけたもののメモ。

・原油中継備蓄基地
わが国初の原油中継基地。大量輸送によるコストの引き下げと石油の安定供給を目的として昭和42年に着工。現在、原油タンク57 基、貯油能力735万KL(日本の石油消費量の約2週間分)の世界最大級の原油中継備蓄基地として稼動中。
私には海岸で作業をしている人たちの方が気になった。潮干狩りかと思ったが、海苔の採集と養殖とのこと。

・今和泉
昨夜も『篤姫』を見ていた。この地名のつく看板等を車窓から何箇所か見たのだが、写真を撮ることができなかった。

・池田湖
九州最大のカルデラ湖。周囲19km最深部233m、幻の怪獣イッシーで有名になった。そこに住んでいる大ウナギは大きいのは体長2m胴回り50cmもあるという。南国の春は早く、写真を撮ろうにも菜の花畑は終わり頃だった・・・

・開聞岳
開聞岳は、標高922mのきれいな円錐形をした秀峰。富士山に似ている所から薩摩富士とも言われ、深田久弥著の「日本百名山」にも挙げられている。

・竜宮神社
浦島太郎伝説発祥の地と呼ばれている。

・玉乃井
神代の昔から日本最古の井戸といわれ、彦火々出見尊の妃豊玉姫が朝夕汲まれたといわれている。

・桜島小みかん (島みかん)
直径4cmほどの世界一実のなるみかん。最高記録は1本の木に約24,649個。一袋300円で購入した。購入の翌日、みやげ物屋のおじさんと話していると、食べる旬(12月)が終わっていると言われてしまった。どおりで味が・・・

・前田利衛門
“前田利衛門”はサツマイモを当時の琉球王国から日本へ伝えた薩摩藩武士。私は既に隣町の居酒屋に、その名の焼酎を一升瓶でボトルキープ済み!ただ、彼がどんな人だったのかを初めて知り納得した。


龍王山

2010年08月28日 | 山・川・水・温泉
この日曜日は、ものすっご~い晴天!


家人は友人と大阪へ歌舞伎の観劇に。


私は留守番やったけど、こんな天気のいい日に家にいるのはモッタイナイ!


それならば、以前から登ってみたいと思っていた天理の“龍王山”へ。


柿本人麻呂の歌に

「衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし」

と妻の急死を悲しんだ万葉歌があるが、

その“引手の山”が“龍王山”と考えられているそうだ。


“龍王山”は、奈良盆地の東側の山々の中で一番高い山(586m)。


山頂にある龍王山城跡は、中世に築かれた大規模な山城なのだそうだ。


そこは、奈良県でも最も美しい夜景を見ることができる場所として有名で、


その展望の良さは奈良盆地を一望できるとのこと。
空気の澄んだ最高の条件がそろえば、

西方向う大阪市の向こうに大阪湾・明石海峡大橋が望め、

北方向の木々の間からは奈良市の向こうに京都タワーも見えるそうだ。
山頂からの展望を期待して出発したの だが、

天気が良すぎて、N盆地すらも霞んであんまり見えず。


でも、気持ちよかった!


龍王山城の歴史や伝説はまた後日・・・


「写真;龍王山を望む、麓には長岳寺がある。」