中草牟田バス停から鶴尾橋をわたると、ヨーロッパの城を思わせる大きな石づくりの門が見えてきます。
ここが鹿児島刑務所でした。
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江戸時代には牢屋とよばれ、郡元の一之宮神社の近くにありましたが、西南戦争で焼かれてしまいました。
あくる年、鹿児島駅近くに鹿児島監獄所が建てられました。
しかし市の中央にあるということや、建物が古くなったということなどもあって、一九〇一(明治三十四)年から、永吉町に新しい刑務所の建設が始まりました。
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設計は山下啓二郎(西田町出身)を中心とする司法省営繕組織で、工事には受刑者も加わりました。
工事に使う大きな石は、伊敷町肥田から切り出して、甲突川を船で運んだと言います。
この工事は七年後の一九〇八(明治四十一)年三月に終わりましたが、その時に刑務所前の鶴尾橋もつくられました。
石づくりの刑務所としては、わが国で最も古く、尚古集成館や五大石橋とともに、鹿児島の貴重な石造建築物でした。
鹿児島刑務所は、昭和六十年に姶良郡吉松町に移され、今は正門だけが残り、中世ヨーロッパの城門を思わせるゴシック建築独特の様式を偲ばせてくれ、国の登録文化財に登録されました。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)
ここが鹿児島刑務所でした。
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江戸時代には牢屋とよばれ、郡元の一之宮神社の近くにありましたが、西南戦争で焼かれてしまいました。
あくる年、鹿児島駅近くに鹿児島監獄所が建てられました。
しかし市の中央にあるということや、建物が古くなったということなどもあって、一九〇一(明治三十四)年から、永吉町に新しい刑務所の建設が始まりました。
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設計は山下啓二郎(西田町出身)を中心とする司法省営繕組織で、工事には受刑者も加わりました。
工事に使う大きな石は、伊敷町肥田から切り出して、甲突川を船で運んだと言います。
この工事は七年後の一九〇八(明治四十一)年三月に終わりましたが、その時に刑務所前の鶴尾橋もつくられました。
石づくりの刑務所としては、わが国で最も古く、尚古集成館や五大石橋とともに、鹿児島の貴重な石造建築物でした。
鹿児島刑務所は、昭和六十年に姶良郡吉松町に移され、今は正門だけが残り、中世ヨーロッパの城門を思わせるゴシック建築独特の様式を偲ばせてくれ、国の登録文化財に登録されました。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)