e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

大阪城で教育塔

2011年01月28日 | 建築物
昨日のブログ記事の仏頭を拝んでから,さらに大阪城の南外堀を西に歩いていた。
もうすぐ堀が終わるという左側に高い塔が見えた。
塔に書かれた文字を読むと「教育塔」?とある。
なぜ,大阪城の外堀に「教育塔」???

@教育塔
1934年9月21日、突如大暴風雨(後に室戸台風)が関西地方を襲いました。秒速60mという強風及び大高潮はあらゆる方面に大惨事を及ぼしました。学校においては始業の前後でもあり多数の木造校舎が倒壊し、教職員25名をはじめ600名を超す子どもたちが亡くなるなどの甚大な被害がありました。災害直後、大阪の教育界は二度とこのような惨事が起こらないことを願って、子ども、教職員を追悼し、その名を永くとどめるため、記念碑の建設を発議し、帝国教育会が臨時総会において記念塔を建設することを決定しました。全国の教育関係者はこの呼びかけにこたえ、児童、生徒、教職員、一般有志の方から32万円を超える寄付が寄せられ、大阪城公園にそびえる塔ができました。
第50回(1985年)教育祭では180人が合葬され、特別合葬者の中には御巣鷹山での日航機墜落事故(1985年)の犠牲者が含まれています。
戦後50年の節目に教育塔の外観や内部の大修理を行うとともに、第60回(1995年)教育祭では154人が合葬されました。阪神・淡路大震災で自宅の倒壊や火災により亡くなった121人を特別合葬するにあたり「教育塔説明掲示板」を全面的に書き改めました。また60回を記念する行事も行われました。

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