本町橋は現役の橋としては、大阪市内最古の橋である。
豊臣秀吉が大阪城築城に際して東横堀川を外堀として開削した時に架けられたと考えられている。
大坂の役(とくに冬の陣)の時は、戦略上の重要地点であったとされ、橋周辺で蜂須賀隊と塙直之が激突している。
江戸時代には公儀橋の一つとして幕府が直轄管理する橋であった。
橋の東側は商業地となり、今の大阪コクサイホテルの前には石畳が敷かれ荷揚場になっていた。また橋詰の北東側には享保9年(1724)の大火事以降に西町奉行所が設置され、行政の中心地ともなった。天明7年(1787)の調査によれば、橋長約54m、幅員5.9mの木橋であったとされている。
現在の橋は、本町通が市電道路として拡幅された大正2年(1913)5月に架け換えられたもので、3連の鋼アーチが、ルネサンス風のデザインをもつ石造りの橋脚に支えられた重厚な構造の橋となっている。『浪速の名橋50選』に選定されている。
豊臣秀吉が大阪城築城に際して東横堀川を外堀として開削した時に架けられたと考えられている。
大坂の役(とくに冬の陣)の時は、戦略上の重要地点であったとされ、橋周辺で蜂須賀隊と塙直之が激突している。
江戸時代には公儀橋の一つとして幕府が直轄管理する橋であった。
橋の東側は商業地となり、今の大阪コクサイホテルの前には石畳が敷かれ荷揚場になっていた。また橋詰の北東側には享保9年(1724)の大火事以降に西町奉行所が設置され、行政の中心地ともなった。天明7年(1787)の調査によれば、橋長約54m、幅員5.9mの木橋であったとされている。
現在の橋は、本町通が市電道路として拡幅された大正2年(1913)5月に架け換えられたもので、3連の鋼アーチが、ルネサンス風のデザインをもつ石造りの橋脚に支えられた重厚な構造の橋となっている。『浪速の名橋50選』に選定されている。
あの日,そんなに歴史のある橋とは知らずに渡ってしまいました。
橋の横からの姿も見てみないといけません。
2枚目の写真は,橋の上から東横堀川を撮影したものです。上を通っているのは阪神高速道路です。