亀山城
2011年07月04日 | 城
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亀山城は天正18年(1590)岡本良勝によて築城されて以来、歴代藩主により城郭も整えられた。当初は三層の天守閣があったが、寛永9年(1632)に幕命により解体され、正保年間(1644~47)天守台に多聞櫓が築かれた。
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天守南西の高石垣は直高14.5mもあり、野面石(自然石)を牛蒡積みとした中くぼみの扇形勾配で、堅固・優美さを整えており、四百余年の風雪に今も耐えている。
白壁の櫓・門・土塀等を連ねる景観を蝶の群が舞う姿に例えられて「粉蝶城」とも呼ばれた。
亀山は東海道の要衝であるので、江戸時代前半には幾度も城主が交代したが、延享元年(1744)六万石で石川総慶が入封後は、明治まで11代120余年、石川家が続いた。
明治以後、城郭の大半が破却され、現在は天守台・多聞櫓・外堀・土塁の一部が残るのみであるが、多聞櫓は県下で唯一現存する城郭建造物として、昭和28年三重県史跡に指定された。
亀山市教育委員会(現地案内板より)
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天守南西の高石垣は直高14.5mもあり、野面石(自然石)を牛蒡積みとした中くぼみの扇形勾配で、堅固・優美さを整えており、四百余年の風雪に今も耐えている。
白壁の櫓・門・土塀等を連ねる景観を蝶の群が舞う姿に例えられて「粉蝶城」とも呼ばれた。
亀山は東海道の要衝であるので、江戸時代前半には幾度も城主が交代したが、延享元年(1744)六万石で石川総慶が入封後は、明治まで11代120余年、石川家が続いた。
明治以後、城郭の大半が破却され、現在は天守台・多聞櫓・外堀・土塁の一部が残るのみであるが、多聞櫓は県下で唯一現存する城郭建造物として、昭和28年三重県史跡に指定された。
亀山市教育委員会(現地案内板より)