e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

ザビエル滞鹿記念碑

2011年12月15日 | 人物
イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが、薩摩人ヤジロウの案内で鹿児島に上陸したのは天文18年(1549)でした。これが日本最初のキリスト教の伝来です。
しかし、仏教徒の激しい反対にあい、ザビエルは10カ月で平戸に移りました。
鹿児島市東千石町のザビエル公園にある滞在記念堂は、明治44年(1911年)にザビエル渡来を記念して、鹿児島県内で最初の石造りの教会が建てられました。しかし、昭和20年の戦災で焼けてしまい、焼け残った旧教会の石壁を利用して、記念碑がたてられたものです。
また、道路の向かい側にあるザビエル教会は昭和24年にローマ法王の寄付金をもとに建てられたゴシック建築の教会でしたが、これも平成12年に建て替えられ今は近代的な教会になっています。

@フランシスコ・デ・ザビエル(スペイン語:Francisco de Xavier または Francisco de Gassu y Javier, 1506年頃4月7日 - 1552年12月3日)
スペイン・ナバラ生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。
ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。また、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。カトリック教会の聖人で、記念日は12月3日。

1548年11月にゴアで宣教監督となったザビエルは、翌1549年4月15日、イエズス会員コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人と共にジャンク船でゴアを出発、日本を目指した。
一行は明の上川島(広東省江門市台山/en:Shangchuan Island)を経由しヤジロウの案内でまずは薩摩の薩摩半島の坊津に上陸、その後許しを得て、1549年8月15日に現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した(この日はカトリックの聖母被昇天の祝日にあたるため、ザビエルは日本を聖母マリアに捧げた)。
1549年9月には、伊集院城(一宇治城/現鹿児島県日置市伊集院町大田)で薩摩の守護大名・島津貴久に謁見、宣教の許可を得た。ザビエルは薩摩での布教中、福昌寺の住職で友人の忍室(にんじつ)と好んで宗教論争を行ったとされる。後に日本人初のヨーロッパ留学生となる鹿児島のベルナルドなどにもこの時に出会う。
しかし、貴久が仏僧の助言を聞き入れ禁教に傾いたため、「京にのぼる」ことを理由に薩摩を去った(仏僧とザビエル一行の対立を気遣った貴久のはからいとの説もある)。

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2 コメント

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Unknown (酒徒善人)
2011-12-15 17:03:09
miwakoさんへ
>あの禿が大きくなったらザビエルになるっ!!!!
こんな場面でザビエル登場???
それぞれの家にそれぞれのザビエルがいるんですねぇ~
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内緒ですが・・ (miwako)
2011-12-15 11:53:52
三男が小一年の頃のことです(何故か子供たちは私に似てナイーブで・・)
環境が色々立て続けて変わった為か後頭部に500円玉禿が出来ていました。
本人に見つからなくて良かったのですが、髪形を変え隠して通学。
あの禿が大きくなったらザビエルになるっ!!!!
と、どんなに気を揉んだ事か。
今も打たれ弱い優男で、女の子に振り回されて苦労が絶えませんねんなぁ。とほほ。。
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