奈良県と大阪府の県境,
葛城山と金剛山の間にある水越峠を越えると,
「千早赤阪村」という大阪府内でただ一つの村がある。
この村は楠正成の生誕地。
彼は,鎌倉幕府討幕の計画を企て,
京都を出た後醍醐天皇の行宮・笠置にいち早く馳せ参じ,
南朝方の忠臣として活躍した武将。
「下赤坂城」は正成が挙兵した城。
500余の精兵で幕府方の大軍を迎え撃ち、よく耐えた。
戦の様子は『太平記』で詳しく語られているという。
現在,城址には中学校が建っている。
私は車で城址への坂道を上ろうとしたが,中学校の敷地?に入ってしまい,
学校に迷惑をかけてはいけないと戻り,
下のバス停横に車を停め,再び歩いて登った。
校舎と校舎の間を抜けると丘の上に「赤坂城址」の石碑が見えた。
一番上まで歩いて辺りを見ると,石碑近くに駐車場があり,
そこに数台の車が停まってるやんか~
少し損した気分・・・
カメラを持った初老の男性たちの姿を発見!
「やっぱり楠公さんは人気があるから・・・」
はじめはそう思ったけど,
その男性たちの目的は,日本の棚田100選に選ばれている 「下赤坂棚田」やった。
私,自宅の田植えを終えたばかりやけど・・・
なんというか・・・
兵どもが夢のあと?
気が付けば,私も夢中で棚田の写真を撮っていた。
「写真;下赤坂城と棚田」
葛城山と金剛山の間にある水越峠を越えると,
「千早赤阪村」という大阪府内でただ一つの村がある。
この村は楠正成の生誕地。
彼は,鎌倉幕府討幕の計画を企て,
京都を出た後醍醐天皇の行宮・笠置にいち早く馳せ参じ,
南朝方の忠臣として活躍した武将。
「下赤坂城」は正成が挙兵した城。
500余の精兵で幕府方の大軍を迎え撃ち、よく耐えた。
戦の様子は『太平記』で詳しく語られているという。
現在,城址には中学校が建っている。
私は車で城址への坂道を上ろうとしたが,中学校の敷地?に入ってしまい,
学校に迷惑をかけてはいけないと戻り,
下のバス停横に車を停め,再び歩いて登った。
校舎と校舎の間を抜けると丘の上に「赤坂城址」の石碑が見えた。
一番上まで歩いて辺りを見ると,石碑近くに駐車場があり,
そこに数台の車が停まってるやんか~
少し損した気分・・・
カメラを持った初老の男性たちの姿を発見!
「やっぱり楠公さんは人気があるから・・・」
はじめはそう思ったけど,
その男性たちの目的は,日本の棚田100選に選ばれている 「下赤坂棚田」やった。
私,自宅の田植えを終えたばかりやけど・・・
なんというか・・・
兵どもが夢のあと?
気が付けば,私も夢中で棚田の写真を撮っていた。
「写真;下赤坂城と棚田」