子供の頃、トマトが嫌いでした。
私が育った家庭では”好き嫌い”は父親のみに許された特権で、子供の好き嫌いが発覚しようものなら容赦ない拷問の日々がやってくる可能性がありました。食事の席で"トマト嫌い"と言い終らないうちに平手打ちが飛んでくるのはまず確実、それ以外にもいろいろ。
事実、私の姉は幼い頃、ニンジンがあまり好きではなかったようで、それを発言してしまったばっかりにある日の夕食、姉の前に並べられた料理が"ニンジン尽くし"となっていて、それを泣きながら食べていた姿を未だに記憶しています。
だから私はトマトが嫌いな事を極力ひた隠しにしていました。トマトが付いてきたときは一番最初に片付けて、トマトが消滅してからじっくり食事を楽しむようにしていました。おそらく私がトマトを嫌いな事は家族にはバレていたと思いますが、我慢して食べていた分、”トマト尽くし”になる事はありませんでした。もしかすると”トマト尽くし”にするほどトマトは安くなかっただけかもしれませんが...。
いつ頃変わったのか、今の自分にとっては特に”好物”というわけではありませんが、嫌いな食材でもありません。トマト缶は常備していますし、時々トマトは買って食べます。そして、トマトを買う度に、”子供の頃、嫌いだったな”という思い出や、姉のニンジン尽くしの夕食などを思い出したり、いろいろな思いが駆け巡る楽しい食材の一つとなりました。
最近では、来年は鉢植えでトマトを育ててみようかと考えるまでになりました。
トマトを、大人になって食べるようになったのは子供の頃に強制的に食べさせられたからかもしれませんし、逆に今の"子育てマニュアル"的な視点に立てば、強制的に食べさせられなければもっと早く好きになっていたかもしれません。そのあたりは専門家にお任せするとして、1つだけ言えることは、スーパーや八百屋の店頭でトマトを手にする事が私ほどドラマチックな出来事となる人はあまりいないのではないでしょうか。
なぜなら子供の頃、自分が働いて稼いだお金の一部を好き好んでトマトへの対価として支払う時が将来やってくる事など絶対に想像できなかったわけですから。それに、トマトを手にしただけで、子供の頃、両親が厳しかったことを思い出したり、今すっかり丸くなった歳をとった両親が元気にしているかと少し思いを巡らしたり、ニンジン嫌いだった姉がどうしているかなぁと思ったり、私の心を少しくすぐります。
そして、両親や兄弟と共に暮らさなくなった今となって私の記憶に刻まれているのは両親の虐待という側面ではなくて、子供が食べ物に対して好き嫌いを述べる事に対して両親なりに真剣に向き合っていたという事実。"子供の嫌いなものは出さない"というような当たり障りのない問題回避をする事なく嫌いでも食べろ"という明確な規範は。戦後の食糧難を生きた彼らにとって当然の物だったのだろうと思います。
"嫌いな食べ物"を我慢してでも食べる習慣は私が旅をするようになってからは両親が与えてくれた恩恵となりました。旅先で人にすすめられた食べ物、たとえそれが普段我々が食料品と考えないものであっても、まずはすすめてくれた人に敬意を払って口にするように努力を払う事ができます。物によっては気持ちに抵抗がありますが、食べてみたら結構美味しかったものも沢山あります。また、地元の食事を"美味しい"と言って一緒に食べることは不思議と人と人との距離を大きく縮めてくれるものです。
私が育った家庭では”好き嫌い”は父親のみに許された特権で、子供の好き嫌いが発覚しようものなら容赦ない拷問の日々がやってくる可能性がありました。食事の席で"トマト嫌い"と言い終らないうちに平手打ちが飛んでくるのはまず確実、それ以外にもいろいろ。
事実、私の姉は幼い頃、ニンジンがあまり好きではなかったようで、それを発言してしまったばっかりにある日の夕食、姉の前に並べられた料理が"ニンジン尽くし"となっていて、それを泣きながら食べていた姿を未だに記憶しています。
だから私はトマトが嫌いな事を極力ひた隠しにしていました。トマトが付いてきたときは一番最初に片付けて、トマトが消滅してからじっくり食事を楽しむようにしていました。おそらく私がトマトを嫌いな事は家族にはバレていたと思いますが、我慢して食べていた分、”トマト尽くし”になる事はありませんでした。もしかすると”トマト尽くし”にするほどトマトは安くなかっただけかもしれませんが...。
いつ頃変わったのか、今の自分にとっては特に”好物”というわけではありませんが、嫌いな食材でもありません。トマト缶は常備していますし、時々トマトは買って食べます。そして、トマトを買う度に、”子供の頃、嫌いだったな”という思い出や、姉のニンジン尽くしの夕食などを思い出したり、いろいろな思いが駆け巡る楽しい食材の一つとなりました。
最近では、来年は鉢植えでトマトを育ててみようかと考えるまでになりました。
トマトを、大人になって食べるようになったのは子供の頃に強制的に食べさせられたからかもしれませんし、逆に今の"子育てマニュアル"的な視点に立てば、強制的に食べさせられなければもっと早く好きになっていたかもしれません。そのあたりは専門家にお任せするとして、1つだけ言えることは、スーパーや八百屋の店頭でトマトを手にする事が私ほどドラマチックな出来事となる人はあまりいないのではないでしょうか。
なぜなら子供の頃、自分が働いて稼いだお金の一部を好き好んでトマトへの対価として支払う時が将来やってくる事など絶対に想像できなかったわけですから。それに、トマトを手にしただけで、子供の頃、両親が厳しかったことを思い出したり、今すっかり丸くなった歳をとった両親が元気にしているかと少し思いを巡らしたり、ニンジン嫌いだった姉がどうしているかなぁと思ったり、私の心を少しくすぐります。
そして、両親や兄弟と共に暮らさなくなった今となって私の記憶に刻まれているのは両親の虐待という側面ではなくて、子供が食べ物に対して好き嫌いを述べる事に対して両親なりに真剣に向き合っていたという事実。"子供の嫌いなものは出さない"というような当たり障りのない問題回避をする事なく嫌いでも食べろ"という明確な規範は。戦後の食糧難を生きた彼らにとって当然の物だったのだろうと思います。
"嫌いな食べ物"を我慢してでも食べる習慣は私が旅をするようになってからは両親が与えてくれた恩恵となりました。旅先で人にすすめられた食べ物、たとえそれが普段我々が食料品と考えないものであっても、まずはすすめてくれた人に敬意を払って口にするように努力を払う事ができます。物によっては気持ちに抵抗がありますが、食べてみたら結構美味しかったものも沢山あります。また、地元の食事を"美味しい"と言って一緒に食べることは不思議と人と人との距離を大きく縮めてくれるものです。
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