本日、ニュージーランドの提携レンタルバイクショップがFacebookの掲示板に"GPSはツーリングに必要だと思いますか?”という質問を投げかけていました。各国のライダーやバイクツアー関係者の答えを読んでみると、基本的に皆、否定的。ナビゲーションシステムは風景を見るチャンスを失う原因になったり、自分がどこにいるか確認するためにバイクを止めるチャンスを失う原因となるというのが意見の大勢を占めているように思えました。
私も基本的には同じ意見。極端な言い方をすれば、道に迷うのも旅の楽しみのうち。時間に縛られている日常生活では道を間違って引き返すような贅沢な時間の使い方はできないかもしれませんが、旅ではその贅沢を存分に楽しむようにしたいものではありませんか。特にバイクや車で旅するのであれば、道を間違ったおかげで出会えた風景や人々はあなたの旅を唯一無二な物にしてくれる一番の要因でもあるのです。
ただ1つ、上手い使い方と考えられるのは、走ったルートのログを残して、旅の記録をのこすという使い方。これなら高価な地図データ付きのGPSも不要。GPSロガーだけあればOKです。
私の車やバイクにはカーナビは搭載していませんが、カーナビを搭載している車に同乗させて貰っていた際に2度ほど事故に合いそうになった経験があります。いずれも、道標を見ていれば間違いようのない分岐点で、「200m先を左です。」などのカーナビの指示に、慌てて曲がろうとした結果発生した急ハンドルでした。本当に曲るべきは200m先。そして、助手席に乗っていた私から見たら、間違えようのないほどしっかり道路標識も出ていたところでの出来事でした。2004年には、カーナビの指示に動揺したドライバーが右折待ちから突然気が変わって左折。後続直進していた私は右に合図を出しながら左に曲がってきた車を避け切れず、足の骨を骨折しました。
カーナビの普及に従って、道路上でも、突然無理に車線を変えるような車が増えたような気がします。私はカーナビが隠れた原因となっている事故がかなりあるものと確信しています。このあたり、カーナビのメーカーの方はもう一工夫していただきたいものです。どうも人間の感覚とはシンクロしていないように思えますし、今の状態であれば道路交通法での規制も必要なのではないかと思います。
突然、事故の話へ話題が飛んだように見えますが、この2つは実は同根だと思うのです。
地図とランドマークでナビゲーションをする場合、地図をハンドルに乗せて走る場合などを除けば、前方にあるはずのランドマークを探しながら運転することになります。つまり、将来遭遇するはずのランドマークを先読みして運転しているので、常に思考は運転より先を走っているわけです。ところが、カーナビに頼った運転、GPSに任せた運転をしている人の多くは、曲がるべき交差点に来て初めて、そこが曲がるべき交差点である事に気がつくような、予備知識の無い運転をしているように思えます。これは運転という作業においては非常に危険といえます。
地図でチェック済みのランドマークを探しながら走る場合は周囲の風景を見なければならなくなりますし、先の予測も出来ていて、結局安全運転にもなると思うのです。
そして何より忘れないで欲しいのは”遊び心”という側面。
旅は遊び。仕事や日常生活とは違います。
遊びには”間違う権利”もあります。
遊びには”計画し、想像する権利”が存在し、現実が計画や想像と違ったときに驚く権利も存在します。
GPSやカーナビという便利な物は、間違いが許されず、現実が計画と違うことも許されない、日常生活や仕事の側面においてのみ便利なものではないでしょうか。その便利さと引換に間違う権利や驚く権利を放棄してしまって、ただひたすら間違いなく、計画通りに進行する旅を”処理”し続けるのは、仕事をしているのと同じ精神状態ではありませんか?旅するときには旅する心になれるようになりましょう。
私も基本的には同じ意見。極端な言い方をすれば、道に迷うのも旅の楽しみのうち。時間に縛られている日常生活では道を間違って引き返すような贅沢な時間の使い方はできないかもしれませんが、旅ではその贅沢を存分に楽しむようにしたいものではありませんか。特にバイクや車で旅するのであれば、道を間違ったおかげで出会えた風景や人々はあなたの旅を唯一無二な物にしてくれる一番の要因でもあるのです。
ただ1つ、上手い使い方と考えられるのは、走ったルートのログを残して、旅の記録をのこすという使い方。これなら高価な地図データ付きのGPSも不要。GPSロガーだけあればOKです。
私の車やバイクにはカーナビは搭載していませんが、カーナビを搭載している車に同乗させて貰っていた際に2度ほど事故に合いそうになった経験があります。いずれも、道標を見ていれば間違いようのない分岐点で、「200m先を左です。」などのカーナビの指示に、慌てて曲がろうとした結果発生した急ハンドルでした。本当に曲るべきは200m先。そして、助手席に乗っていた私から見たら、間違えようのないほどしっかり道路標識も出ていたところでの出来事でした。2004年には、カーナビの指示に動揺したドライバーが右折待ちから突然気が変わって左折。後続直進していた私は右に合図を出しながら左に曲がってきた車を避け切れず、足の骨を骨折しました。
カーナビの普及に従って、道路上でも、突然無理に車線を変えるような車が増えたような気がします。私はカーナビが隠れた原因となっている事故がかなりあるものと確信しています。このあたり、カーナビのメーカーの方はもう一工夫していただきたいものです。どうも人間の感覚とはシンクロしていないように思えますし、今の状態であれば道路交通法での規制も必要なのではないかと思います。
突然、事故の話へ話題が飛んだように見えますが、この2つは実は同根だと思うのです。
地図とランドマークでナビゲーションをする場合、地図をハンドルに乗せて走る場合などを除けば、前方にあるはずのランドマークを探しながら運転することになります。つまり、将来遭遇するはずのランドマークを先読みして運転しているので、常に思考は運転より先を走っているわけです。ところが、カーナビに頼った運転、GPSに任せた運転をしている人の多くは、曲がるべき交差点に来て初めて、そこが曲がるべき交差点である事に気がつくような、予備知識の無い運転をしているように思えます。これは運転という作業においては非常に危険といえます。
地図でチェック済みのランドマークを探しながら走る場合は周囲の風景を見なければならなくなりますし、先の予測も出来ていて、結局安全運転にもなると思うのです。
そして何より忘れないで欲しいのは”遊び心”という側面。
旅は遊び。仕事や日常生活とは違います。
遊びには”間違う権利”もあります。
遊びには”計画し、想像する権利”が存在し、現実が計画や想像と違ったときに驚く権利も存在します。
GPSやカーナビという便利な物は、間違いが許されず、現実が計画と違うことも許されない、日常生活や仕事の側面においてのみ便利なものではないでしょうか。その便利さと引換に間違う権利や驚く権利を放棄してしまって、ただひたすら間違いなく、計画通りに進行する旅を”処理”し続けるのは、仕事をしているのと同じ精神状態ではありませんか?旅するときには旅する心になれるようになりましょう。
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