本日はキリスト教的には安息日にあたるので、ご都合主義者の私はこれを採用して短かくいきます。
前回最後に書いたインシアッラーの余談。
インシアッラーと似たニュアンスの言葉は沢山ありますね。
歌の歌詞にも"ケ セラ セラ"とか、"Let it be"も同じようなニュアンスではないでしょうか。面白いのは"ケ セラ セラ"も"Let it be"もアッラーの神ではなくお母さんの言葉である点、そしてこの2曲とも共通してお母さんであって断じてお父さんでない点は偶然であるのかどうか、お父さんである私には気になるところで、今後、研究に価すると思っています。
日本語的には"覆水盆に帰らず"という言葉もあてはまりそうですが、むしろ"人事を尽して天命を待つ"の方が近いニュアンスと思えます。
このような言葉が宗教的、文化的、人種的背景を異にする人々の間で共通して使われるという点が面白いと思いませんか。
つまり、今、この瞬間にも世界中で今悩んでも仕方がないような事柄について頭を抱えているという事ではないでしょうか。多分、人間に共通した習性なのでしょう。
自分が今悩んでもどうしようもないような事について悩んでいた事に気がついた時はこの事を思い出してみましょう。
同じ時間に世界中の人が同じように悩んで、頭を抱えていたと思えば、意外と人間、平等だと思えてきますし、そんな人々と何となく"あんた達もか"と妙な仲間意識を覚えたりもするわけです。
前回最後に書いたインシアッラーの余談。
インシアッラーと似たニュアンスの言葉は沢山ありますね。
歌の歌詞にも"ケ セラ セラ"とか、"Let it be"も同じようなニュアンスではないでしょうか。面白いのは"ケ セラ セラ"も"Let it be"もアッラーの神ではなくお母さんの言葉である点、そしてこの2曲とも共通してお母さんであって断じてお父さんでない点は偶然であるのかどうか、お父さんである私には気になるところで、今後、研究に価すると思っています。
日本語的には"覆水盆に帰らず"という言葉もあてはまりそうですが、むしろ"人事を尽して天命を待つ"の方が近いニュアンスと思えます。
このような言葉が宗教的、文化的、人種的背景を異にする人々の間で共通して使われるという点が面白いと思いませんか。
つまり、今、この瞬間にも世界中で今悩んでも仕方がないような事柄について頭を抱えているという事ではないでしょうか。多分、人間に共通した習性なのでしょう。
自分が今悩んでもどうしようもないような事について悩んでいた事に気がついた時はこの事を思い出してみましょう。
同じ時間に世界中の人が同じように悩んで、頭を抱えていたと思えば、意外と人間、平等だと思えてきますし、そんな人々と何となく"あんた達もか"と妙な仲間意識を覚えたりもするわけです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます