旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

鯵の三枚おろしとイランの肉屋

2006年11月04日 | 旅行一般
先日、台所で鯵を捌いていたら、小学生の長女が頭やヒレのついたその姿を見て、"このまま売ってる事もあるんや?"とつぶやいたのです。近所の川で様々な生物を捕獲しては飼育に失敗して虐殺するという行為を日々繰り返している彼女にとって、魚が切り身で泳いでいるなどといった誤解はさすがに無い事と思いますが、食卓に乗るべき魚はやはり切り身だったのでしょうね。

これを聞いて、昔、ある時、一緒に飲んでいた友人が、「自分はかなりおおきくなるまで、本気でサケは切り身で泳いでいると思っていた」と発言した事を思い出して、そこから更に様々な記憶が掘り起こされてきたのです。

例えば、牛肉。さすがに牛肉というのは牛という生物を、解体して店頭に並ぶものである事はほぼ全ての人が理解しているでしょう。鶏肉も同じですね。私自身、これは理解できていると思っていましたし、実際、東南アジアや西アジアで鶏肉というとバザールで鶏そのものが生きたまま売られていて、料理する直前に捌いていたりするのを目にしても特に動揺したりする事はなかったし、また、それに動揺しない自分は生物の生命を奪って自分は食事をしているのだという事をわきまえてもいると思っておりました。

そんなある日の夕方、イランのとある街角を夕食後の満腹感を感じながら宿に向けて歩いていました。時は1987年。イランvsイラク戦争はまだ休戦に至らず、町のあちこちに戦死した若者と思われる巨大な顔写真が立てられ、多数の花束が供えられているのを目にした頃の事です。

とある交差点で、突然、足元に大量の血液が坂の上から流れてきたのです。坂の上から長い距離を流れてきた事を考えると尋常な量ではないのです。一瞬、戦争の事が頭をよぎりましたが、特にミサイルが着弾した音や、銃撃戦の行われた様子もなく、町は落ち着いた雰囲気です。

不気味に思った私は坂を流れてくる血液を辿ってその源流を探してみたのです。すると、とある街路樹の周囲に、手に手に金属のボウルを手にした男達が集っています。そして、その大きな街路樹には一頭のされた牛が後ろ足をロープで縛られて吊されていて、2人の男が周囲からボウルを受け取っては肉塊を切り取ってボウルに入れて返却し、代金を受け取っています。つまり、肉屋さんだったのですね。

これが一般的に行われている事なのか、戦時下での特殊な出来事なのか、はたまた何かお祭りのようなものなのかは判りません。ただ、自分自身が理解していると思っていた事が、実際に自分の目の前で展開された途端に、本当には理解できていなかったと感じた記憶として頭の中に刻みつけられています。

こんな些細な出来事ですら、抽象的な概念として理解する事と、具体的な出来事として体感する事はあまりにも違うという事を思い知った出来事でありました。

考えてみれば、今日の世界では、あまりにも抽象的な概念だけが走り回っていないでしょうか。テレビの報道、解説やインターネット上の議論で理解できたと思い込んでいるのではないでしょうか。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-11-05 18:17:56
空想の世界と現実の相違はあまり重要視されていませんが、とても重要だと感じます。

宗教家が自分の都合で想像した地球は平でしたが、自然科学を知っていた学者は地球は丸いと断定した。これ、全然違いますね。

最先端の科学技術を駆使した幾つかの交通システムや車両、航空機でさえ、時々トラブルを起こしますね。それは設計図上で人間が考えた事が自然の動きを読みきれなかったということでしょう。まあ、100%読みきるのは不可能でしょうが。

技術が進歩し、世の中が便利になるにつれ我々は自然の真理から遠ざかっていくのかもしれません。情報は自分にとって都合のいいものが中心に入ってきますが現実は望まない事もやってきます。

食にしても異常な衛生観念が今の所在の分らない食生活を生み出しているのかもしれません。

見た目や自分の都合のいい物や情報だけを選ぶ事で我々は自らを危険な方向に追い込んでいるのかも?

そんな感想を拝読後に抱きました。

とは言うもののつい最近出かけたロシアの旅はきつかったわ! 多分現代日本の最新鋭のインフラにどっぷり浸かっているからでしょう。心身共に相当弱くなってると感じます....  
しかしもう後には戻れない。
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