橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

4月20日・桜を愛でる七輪の会『七輪と、八重桜の日』開催!

2014-04-12 02:35:16 | Weblog

みなさまお久しぶりです!久々に火鉢クラブのイベント開催します。

今回は上野浅草方面にちょっと足を伸ばし、入谷にある「古民家ゲストハウスtoco.」さんとのコラボで、火鉢ではなく「七輪の会」を開催します。

toco.の庭には一本の八重桜があります。今回はその桜を愛でながら、七輪の炭火でほうじ茶を焙じたり、タケノコや梅干しを焼いたりしてお花見しようというわけ。お団子やタケノコなど、食事部門はtoco.のスタッフの方が腕を振るって下さいます。というわけで開催概要です。

 

『七輪と、八重桜の日』

日時:4月20日(日)14:00~16:00

場所:古民家ゲストハウス toco.のお庭と縁側

   http://backpackersjapan.co.jp

         https://www.facebook.com/toco.jp

参加費:一人500円

提供:団子、梅干し、バナナ、竹の子のセットプレート

   茎茶(焙じ茶)

お酒 :別料金でビールのご用意もあります!


予約は不要です。当日toco.においで下さい。

飲食はセットプレートが無くなり次第終了とさせていただきます。

 

今回は会場のいたるところに、プチ七輪を置いておこうと思います。

普通の大きさの七輪もありますが、今回、みなさんにご紹介したいのはプチな七輪。テーブルの上でも使えるかわいい七輪です。上のヘッダーの画像を見ていただければ、どのくらいの大きさかはだいたい分るでしょうか?高品質な能登の珪藻土の切り出し七輪です。

詳しくは「ブログ・火鉢クラブ」にてご覧下さい。

http://hibachiclub.blogspot.jp

では、toco.でのお花見会。ぜひおいで下さい!



子規と鴬谷と信濃路と 新刊「鴬谷 東京最後の異界」を買う

2014-03-20 04:32:42 | Weblog

仕事で正岡子規のことをちょっと採り上げて、その仕事が終わった途端に、肝心なことを忘れていたと落ち込んでいた。その仕事はそれなりに形にはなっているが、進行中ずっと何かが足りないと漠然と思っていて、最後の方、気付いたのだけれど、時間切れでそれを盛り込めなかった。そして、一夜明けた今になって、それが決定的な部分であったことに気付いた。すごく落胆した。テレビの仕事だから共同作業なのだけれど、勝手に一人で落胆した。子規が最も言いたかったことはそれだ…と思うと子規にも申し訳なかった。

自分はなにも分っていないことをあらためて突きつけられたような気になりながら、近隣の上野駅まで戻って来た。駅構内の本屋に入ると、話題の本の棚に「鴬谷」というタイトルの本がある。惹句には「東京最後の異界」とある。そうなの?と思い、そうだろうとも思いながら表紙をめくると、タイトルの次に出てきたのが正岡子規の俳句だった。

「鴬や 垣をへだてて 君と我」。

ああ、また正岡子規か…と思って目次を見れば、「正岡子規と鴬谷」。そのページを開くと、私が盛り込めなかったと気にしていたその俳句がドンと目に入って来た。ああ…やっぱり。落ち込んでいたところに追い討ちをかけられ、その本をレジに運んだ。

財布の中にはお札が一枚も無くて、カードで買った。もう遅い。タクシーで家まで帰ろうかと思っていたが、財布の中には多分500円くらいしかない。そこで130円で切符を買って、一駅先の鴬谷に行くことにした。今買った本に書かれている駅から帰ろうと思った。そこから徒歩でとぼとぼ帰ればいい。

そして子規にすまなかったと念じよう。

北口を出て、目の前に「信濃路」という店がある。この「鴬谷」という本にも7、8ページが割かれている、この界隈の人なら誰でも知っている店だ。スタンド席とテーブル席が調理場を真ん中に両側にある不思議な居酒屋。もちろん激安である。友人との会話の中では「場末食堂」と読んでいる。

今日もここに立ち寄った。居酒屋ではあるが、そばやおにぎり、定食メニューもあって、簡単な夕ご飯を済ますのに丁度いい。カウンター席は一人でも気兼ねが無いし、頭の上にはテレビが2台あって、そこで見る遅い時間のニュース番組は、まるで別世界の話をしているように感じられる。

頭の上のテレビでしゃべっているキャスターがやっていた番組の仕事を辞めたのはもう4年前だ。もうこのへんでディレクターという仕事は辞めにしようと思って、次の仕事のあてもなく辞めた。一時は海外支援チャリティを兼ねた商品開発をやろうと動き回った。しかし、それも東日本大震災後のドメスティックな空気の中、頓挫し、さらに、チャリティが目的なのに商品を売るということに疑問を感じ始め、頓挫したそのまま、その仕事は再開しなかった。町にはどうでもいいものが溢れすぎて、どれが商品だかゴミだかわからないような有様だ。これだけの商品のどれだけがちゃんと買われて行くんだろう…。そう思ったら、さらに自分まで物を作らなくてもいいだろうと思えて来た。それまでお世話になった人にはとても申し訳ないことをしたと思う。けれど、どうしてもその仕事を再開する気になれなかった。

もとい、信濃路に通い始めたのはそのディレクターの仕事を辞めた4年前からだ。会社に通わない生活になってから、家の近辺の店に通うようになった。仕事を辞めてお金もなかったから、信濃路の安さはありがたかった。

今夜も信濃路のカウンターに座る私の目の前には120円の梅干しのおにぎりと200円の豚汁が並んでいる。合計320円。この組み合わせは私の中では鉄板。これにうるめが付いたり、白菜の漬け物が付いたりする。さっきスタバで飲んだトールラテは380円だった。自分にとっては、スタバの喧噪の中で飲むラテよりも、いつもの信濃路でテレビ見ながらのろのろ食べるおにぎりと豚汁のほうが、くつろぎとやすらぎを感じられる。

誰の目も気にしなくていい。お茶も飲み放題。長居しても咎められない。そして時々耳に入る客の会話の本音の割合が心地いい。駅のスタバでは本音を語っている人等いない。その分、自分もよそゆき顔をしなくてはならない。そして決定的なのは、店員がチェーン店みたいにロボットじゃないことだ。中には無愛想な店員もいる。けれど仮面じゃない分、作り笑顔よりはましだ。今日も頼んだ梅おにぎりの真ん中には種だけが入っていた。まわりの梅肉をこそげとった後の種だけ。ひどいといえばひどいけど、この店ではこれも怒る気がしない。それがすごい。ああ、新入りの店員は知らないんだな…と思う。感じのいい女の子の店員に、「今日のおにぎりこれしか入ってなかったよ」と言ったら、すごく頭を下げられた。調理場の方で新入りの若い男の子を怒ってる声が聞こえた。日本のチェーン店ではこんな声が聞こえることは無い。日本のチェーン店はどうしてこうも無表情になってしまったのだろう。

 

日本社会がこれまで追い求めて来た「快適」とか「便利」とか「ホスピタリティ」とか「スタイル」とかって何だったのだろうと思う。町に溢れるものは、「どうでもいいような便利」。それだけのような気がする。

今日の信濃路は比較的空いていて、カウンター側の席にはサラリーマンの4人組とおじさん1人、そして若作りの年増女性だけ。サラリーマンたちは飲んで大声で盛り上がっていたが、私の前にいたおじさんはご飯が済んだらすぐに出て行った。入れ替わりに70代くらいの比較的みなりのいい白髪のおじいさんが、ピンク色の椿の枝を2本手にして店に入って来た。そして簡単に食事を済ませるとすぐに出て行った。お勘定が重なった若作り女性が、その椿を見て「あら綺麗ね」と言ったりしていた。時計の針が0時に近づいて、20代くらいの若い男性が一人でやってきてもつ煮とホッピーを頼んでいる。この店では「ナカ追加」という声がよく聞こえる。ホッピーをおいてある店独特の注文だ。ナカとはホッピーで割る焼酎のこと。

私はそんな様子をどことなく気にしながら、テレビのニュースを時々見つつ、本屋の袋から「鴬谷」を取り出して、パラパラとめくっていた。とっくにおにぎりと豚汁は食べ終わっている。ここの豚汁やそばの出汁は、煮詰まっていて、いつ来ても塩っぱい。全部飲み干したら、そのあとはお茶を何杯か飲まないと喉が渇いてしょうがない。セルフサービスのほうじ茶を飲むあいだ、本をめくっていた。

お勘定をする時に、「鴬谷」を袋から出して、店員の女の子に「この本にここ出てるね」と言ってみた。彼女はよく分かっていなかったみたいで、横から昔からいるおじさん(店長なのか?)が、「ああ、この人良く来てるよ」と言った。

そして、「この本に書いてあることほとんど嘘だから」と笑っていた。

でも、芥川賞作家の西村賢太氏は本当にたまに来るそうだ(この本にそう書いてあるのです)。「今日もさっきまでそこにいたんだよ」とボックス席を指差していた。

 

正岡子規から始まった話。なんだか脈絡無く長くなってしまった。

食通だったという正岡子規の終焉の地「子規庵」はここから歩いて2、3分のところにある。江戸時代が終わったばかりの鴬谷にはまだ田んぼがあって、今のようなラブホテル街ができたのも終戦後だそうだ。「場末食堂」なんて呼んでいるが、ここはもちろん山手線の駅のある都心で、近くには上野公園、寛永寺、谷中墓地、そしてちょっと行けば浅草がある東京の中心地だ。本の中にも聖と俗が混在する場所と言っているが、たしかに山手線の駅のそばにこんなエアポケットのような場所があるところは他に無い気がする。「東京最後の異界 鴬谷」のタイトル、納得。

仕事を辞めて、お金もなく、さまよった数年間。そばにこの異界があることで救われたのかもしれない。かつて駅前にあるすき家で深夜に聞いたパフュームの曲。これがAKBだとここは異界ではなく苦界になると感じた。今日も駅の周りには、携帯片手のホテトル嬢を待つ男たち。路地裏には客引き立ちんぼ。駅前のオリジン弁当には会社帰りの単身者。深夜のマクドナルドの老人たち。様々な人たちが交錯する真ん中に交番があって、このエアポケットを見張っている。

信濃路はそんな鴬谷に集まる様々な人が一同に会する場所だ。みな自分の素性を明かしはしない。無名の状態でそこにいる。界隈にはいろんな種類の店があるけれど、この店ほど誰でも彼でも来てる店は多分ない。

考えてみれば、社会とは常に自分の肩書きや社会的位置を意識させられる場所だ。現代の社会では、ブランドものの店でびびったり、虚勢をはったり、おしゃれなカフェに似合う自分になろうとすましてみたり。誰もそのままの君でいいよとは言ってはくれない。ワンランク上を目指せだの、違いが分る男だの言われ、実のところ大量消費社会が求める消費者像に仕立て上げられ、そういう振る舞いをすることを強いられている。そういう社会ではもちろん生きやすい肩書きや社会的ポジションがあって、そこからこぼれる人は居心地の悪さを感じながら、消費社会が用意した「おしゃれで」「いい感じの」店にいる。

意地悪い見方をすれば、私が信濃路に行くことも、そんな現代社会へのアンチとしてのポジショントークみたいなものになっているのかもしれない。

しかし、そうであったとしても、お育ちの悪い私にとって、プラスチックの湯のみで飲むほうじ茶や真ん中に種だけが入っている梅干しのおにぎりを出してしまう信濃路はホッとする場所なのである。

この「鴬谷」という本にはあるソープ嬢が言ったというこんな言葉が書かれている。

「こんな仕事でも、男の人たちが変なほうに走らないことに役立ってると思ってる。」

多分、みんないろんなことを考えながら、信濃路のカウンターに座っている。

私は今、再びテレビの世界に戻り、いるのかいらないのかわからない構成作家という仕事をしている。冒頭で肝心なことを言えなかったと落ち込んでいたのもその仕事の中でのことだ。報道番組のディレクターを辞め、ものづくりに関わろうと思ったけれど、やはり形無いものの世界に戻って来た。自分は形なきものの世界で生きて行きたいのだと感じたからだ。形の無いものでお金をもらう時、考えることは、もしかしたらこのソープ嬢の言葉のようなことなのかもしれない。けれど、自分のやっていることはそうなっているのか…。社会の表層からこぼれ落ちそうな人を救えるのか…。いや救えるなんておこがましい。

 

いつも駅の方から入る信濃路には、もうひとつの入り口がある。

そちら側から入ると、その先に元三島神社が見えるはずなのだが、これだけ信濃路に通っていて、私はまだそこに行ったことが無い。ごみごみと建物の建ち並んだ、なぜこんなところに…というような場所に、地図を見る限り、この神社はある。ちょっと調べてみれば、ここに祀られている大山祇命は伊予水軍と関係があり、伊予出身の正岡子規も足しげく通ったのだとか。

 

これは子規に呼ばれたに違いない。

明日はこの元三島神社に行って、子規にごめんねと謝ろう。

そういえば、今回の番組、小林一茶の故郷「信濃路」も登場するのである。

 

深夜。信濃路より帰宅して書ける。


誰か「走れ!」と言ってくれ~中二生が指摘した「走れよメロス」

2014-03-02 14:20:39 | Weblog

ちょっと前に、ネット上で話題になっていた中学生による「メロスの全力を検証」って知ってますか?

(例えばハム速 http://hamusoku.com/archives/8245475.html

太宰治の「走れメロス」の記述からメロスの平均移動速度を算出し、「メロスはまったく全力で走っていない」、最後の死力で走ったとされる部分も「ただの早歩きだった」という結果に至った数学の自由研究です。太宰が書いた「メロスは疾風のごとく」などという記述も今回調べたこととあまり合っていないと指摘。タイトルは「走れよメロス」の方が合っているという気の効いた締めのコメントもあり、「算数・数学の自由研究」作品コンクールで見事入賞しました。

その研究はこちら http://www.rimse.or.jp/project/research/pdf/work03.pdf

 私も最初に見た時はおお!と思いました。で、あらためて「走れメロス」を読んでみたのですが、すると太宰治もそういい加減に書いているわけでもない。太宰の書いた移動速度は、メロスの心の中と照らし合わせるに、だいたいにおいて妥当な感じがしました。最後の疾風のごとく走ったという部分も、その前のメロスの行動を考えれば、そのくらい速く走らないと間に合わなかったと思われます。

考えてみたらメロスが走ったのは片道10里、往復80km。2日目に結婚式があったとしても、3日あれば歩いたって間に合う距離です。むしろ私たち読者が勝手に、ずっと走らなければ間に合わない距離だという先入観を抱いている気がします。

それが結局、ギリギリの到着になるのは、途中で濁流に巻き込まれたり、山賊にあったりしたせいもありますが、その前にメロスが、安心して呑気に小唄を歌いながらダラダラ歩いたからであり、山賊を倒した後、疲労に耐えられず、まどろんでしまったからにほかならないでしょう。

この小説を書く前、太宰は友人の檀一雄をなじみの宿の宿泊代のかたに置き去りにし、自分は井伏鱒二に借金を申し込みに行ったまま、なかなか戻って来なかったということがありました。しびれをきらしてやってきた檀一雄は、のんきに将棋を指している太宰を見て飽きれたそうです。そのときの太宰こそがメロス。檀一雄はセリヌンティウス。

太宰治がこの小説で書こうとしたのは、こちらの“ダラダラするメロス”のほうでしょう。そう考えると中学生の彼が今回の自由研究で気付いたことは、実はあまり驚くべきことでもありません。まさに小説の主題そのもの。正しくこの小説を読みとった結果です。

しかし、「全力じゃなかった」ことが驚きを持って受け止められたのは、「走れメロス」という小説が学校教育の中で、「信じる心の大切さ」という部分を強調され、ラストシーンばかりが印象に残るからでしょう。この小説を最後まで読むと、途中のダラダラしたメロス像は掻き消され、血を吐きながら全速力で走ったメロスの姿ばかりが頭に焼き付きます。そして、最後まで互いを信じたからこそ、2人とも命拾いし、王も改心した…そんな印象が残ります。メロスが途中怠けず、スタスタ歩いていれば、最後これほど頑張らなくてもよかったかもしれないということはほとんど言及されません。

途中怠けない。実はこの方が最後に血反吐を吐くことより難しいのかもしれません。普段からちゃんとやっていれば、途中で諦めそうになって友に懺悔することも、血反吐をはくまで頑張ることもないかもしれない。なのに、メロス=太宰にはそれができないのです。太宰は上記の借金の問題だけでなく、原稿を書くことについても、同様の悩みを抱えていたに違いありません。

実は私も今、急ぎでやらなければならない仕事があります。なのに、その手を留めて、こんなものを書いています。そちらを先にせねばならないのは分っているのに、なぜか、心はそちらに向かわない。そちらの仕事を始めても、キーを打つ指が一向に動かない・・・。そんな私にとって、メロスの一瞬のまどろみや、もうダメだ…というへたれな態度や、すぐに安心して小唄を歌いながらタラタラ歩く気持ちが手に取るようにわかります。

メロスが走らないのなんて当然なんです。メロスは尻に火がつかないと走らない。そのくせ感動屋で、理想家で、言うことだけは言う。それに似た太宰も理想家であるが故に、頭の中の理想が高くて筆が進まない、現実的にものごとを進められない…。夢見がちな人間に計画的に物事を行えるわけがないのです。人間失格です。

でも、そんなダメ人間だからこそ、最後の最後、間に合わなくなったのは“自分のせいだ”と自覚でき、その懺悔の心によって、あれだけ力を振り絞れたのかもしれませんね。それまでの自分にもし落ち度がなかったら、この手の人は、山賊や天候のせいにして、諦めてしまっていたかもしれませんから。もちろん、それまでの自分に落ち度がなかったら、あわてなくても到着していたのかもしれませんけどね。普段からきちんとしているに越したことはありません。

最後になりましたが、そんなダメ人間のメロスに対して、「走れよ」とだるく指摘する中学生の村田君の自由研究は、やはり核心を突いたいい研究なのだと思います。

そば屋の出前じゃないけれど、お腹が痛くなったり、電車が遅れたり、親が突然訪ねて来たりして、仕事はずるずる遅れます。一旦、始めれば、なんとか進み始めるのは経験で分っているのだけれど、その進み始めた先に、山賊が出て来ることも、濁流があることもまた分っている。だから一歩が踏み出せない。そんなとき、自分の背中を押してくれるのは、誰かに迷惑がかかるという思いと、天から聞こえる「走れよ」の声なんでしょう。

でも、たまには誰かに「走れ!」と言ってもらいたい時もあります。「君ならできる」といった感じですかね。

この年になっても、まだ甘えています。 仕事に戻ります。


原発問題は基地問題と同じ。地方が自立するために

2014-02-15 21:42:08 | Weblog

このところ、ずっとこのブログを更新していなかった。facebookのほうに書き込むと、ついついこちらにも掲載する事を忘れてしまう。ちょっとブログに戻ろう。

以下は、先日の都知事選挙の前日に書いたもの。上のタイトルのような内容。ここに書いたことは都知事選挙にも関係あると思ったけれど、それに限った問題でもないので、ブログの方にも再掲する事にします。当時の時勢でそのまま掲載します。

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都知事選挙まであと1日。
私は東京都民ですが、今日は地方の実家に帰っています。明日、選挙には行けるように東京に帰りますが、自分の生まれた土地の現状を見ていると、東京都知事選が東京のためだけにあるとは到底思えません。特に国政の中でも最も重要なエネルギー政策に一石を投じる候補が出馬している選挙です。

中央集権の時代に、東京の経済の論理に引きずられ、地方は逆に疲弊して行きました。東京本社の大企業が地方に進出し、地方の自立と富を中央のために奪って行きました。地方の人々の華やかな東京に対する憧れは皮肉なことに、彼らの文化も富も収奪しました。

そこにやってきたのが原発政策です。疲弊した土地に仕事を持ってくるという名目で、一部の人はいざしらず、多くの人をその犠牲に見合わない条件で働かせ、それでも、より疲弊した地域よりはマシだろうと思わせる。そしてそれに頼らなければ生きて行けないように自立性を奪った。

原発政策は国政だけれど、それで最も恩恵を被ったのは東京のはずです。犠牲を伴う恩恵である原発立地自治体とちがい、東京は犠牲のない恩恵だけ。
今、東京が原発推進を宣言することは、地方の自立をさらに遅らせ、東京はいつまでもそうした地方の犠牲の上でしか成立しない都市のままでいることを宣言することにほかなりません。東京五輪の積立金は決して東京だけの力で積み立てることができたわけではないと思います。いかに東京が地方の犠牲の元に肥え太って来たかを考えてみて下さい。そういう意味でこれは一自治体の選挙ではない。

3・11以降、地方の状況も変わりつつある気がします。原発のある自治体でも、もはや推進にこだわっているのは、経営者側など甘い汁が吸える人々とその恩恵を受ける政治家や天下り。それに頼らなくていいのなら、代替の仕事があるならば、原発にこだわることはない。そう思い始めている人もいるような気がします。私はそうした人々に期待したい。脱原発派の候補が知事となり、東京の経済力と人脈とあらゆる力を使って、原発の代替となる仕事を考え、作り、地方のお手本となる姿を見せるなら、現在、脱原発に踏み出せないでいる地方の人々の背中を押すことができるかもしれない。

そして、それは地方の経済の自立に向けた第一歩になると思うのです。
そのためにも、東京では是非、脱原発候補を当選させたいのです。
本当にこの選挙は東京のためだけの選挙ではないと思います。
明日の選挙、有権者の皆さん、雪が降っても、寒くても、がんばって行きましょう!


選挙へ行こう!選挙ステッカーなるものを作ってみる。ウェブ用ですが

2014-02-02 03:01:31 | Weblog

東京都知事選に向けて、投票を呼びかける選挙ステッカーを漫画家さんたちが作り始め、配布されています。それに触発され、私も選挙ステッカーを作ってみました。とはいえ、シール状にはなっていない、ただのウェブ上の画像です。ツイッター(@yurys)でツイートしています。拡散希望!

上野不忍池の水面に映った蓮。蓮はふたたび緑に戻るけれど、とりかえしのつかないことをして、戻らなくなったりしないように、自然を守り、人を守ってくれる候補を選びたい。


菅原文太のカブ

2013-11-10 13:17:21 | Weblog

上野のデパ地下で、閉店前の特売のカブを買って来たら、菅原文太の作ったカブだった。

家に帰って、冷蔵庫に入れようとして気付いたのだが、最初は同姓同名?と思って、ラベルに書いてある「竜土自然農園おひさまの里」でググると、菅原文太が出てきた。

今や文太は山梨県の北杜市で「仁と義と辛抱で野菜を作る!」人だった。

本当に売るほど作ってるんだなあ…。「代表:菅原文太」の文字がまぶしい。

野菜の通販はやっておらず、お店やレストランでの出会いを待つしかないようだ。

でも、通販で直接買うより、お店でこうして出会った方がなぜか嬉しい。たまたま出くわしたという嬉しさもあるが、お店で手に取るということは、仕入れて来た小売店の人と、野菜セレクトの基準が同じだということ。価値観を共有していると感じることができる。文太を介して、お店の人と会話しているような気分だ。

ところで、文太の野菜のラベルには「化学農薬・化学肥料は一切使っていません」と書いてある。f1種のタネの問題にも詳しい文太だから、嘘は無いに違いない。

早速、塩と鷹の爪だけでもんで、塩揉みにする。

ほんのり甘い実の部分。葉の茎の部分はちょっとハーブっぽい風味もある。これは美味しい。塩の味まで一緒に丸くなっている。ちょっと出汁を入れたような気さえする(入れてませんが)。これが野菜本来の味なんだろう。

ほかの野菜もちょっと探してみよう。

でも、夕方タイムセールス超特価でカブ1個50円。通常価格はいくらなのかがちょっと気になる。少しお高そうだ。通常価格が平気で買えるように、しっかり働かねばならない。とりあえずは夕方タイムセールス常連として、夕方伺わせていただきます。

 


2k540 AKI-OKAにて鯖江のめがね職人の技を体験!

2013-08-24 22:22:00 | Weblog
眼鏡をかけている皆様へ!
今日、JR秋葉原と御徒町駅の間のガード下にある2k540 AKI-OKA ARTISANに行ったら、たまたま福井県の鯖江市フェアやってました。以下の写真。自分の好きな色のセルを選んで眼鏡の形の小さなキーホルダー作りができるのです。電動のヤスリで削って、セルを磨くんですね。職人さんが指導してくれます。

 

実は私、2年前鯖江市に行ったおり、「めがねミュージアム」にて、このチビ眼鏡作りを体験しました(下のチビ眼鏡のほうの写真はそのときのもの。おじさんの写真は今日撮ったものです)。で、その時思ったのは、手持ちの古いセル眼鏡の曇りもこれで削れば綺麗になるジャン!でも、鯖江に行ったときは古い眼鏡は持ち合わせず…。で、今日、このイベントを見て膝を打ったのです。ちょうどかけていた眼鏡のセルが曇っている。形は気に入っているだけに捨てたくはない。そんでダメ元で、これを磨いてもらえませんか?とたずねたところ。職人のおじさんは喜んでやってくれました。ここではレンズを外せないので、隅から隅まで完璧とはいきませんが、相当キレイになりました。感激!

 

 

以前、某舶来有名メーカーのお高いフレームをメンテに出して、タダで修理してくれることに、さすがお高い眼鏡は違うと感動したのですが、壊れた部分は直ったものの、セルの磨きについてはいまひとつ。曇りはとれていませんでした。これが限界とのことだったのですが、今日磨いてもらった眼鏡はピカピカ。おじさん曰く、綺麗になるはずだよ、とのこと。小売店の効用とは、きちんとメンテをしてくれること。最近、お客と直でやり取りできる小売店が減って来て残念な限りとも言ってました。


鯖江のめがねミュージアムにいけば、1万6千円で、自分の好きなセルを選んで、好きな形にデザインした眼鏡を作ってくれるそうです(レンズは別料金)。もちろん、その後も送ればメンテしてくれます。東京の表参道にも支店がありますが、そこではやはり地代が高いのか、この価格ではオーダーはやれないよう。
でも、たまに特別企画で、東京でも1万6千円のオーダー受注をやるそうです。
自分の顔に合う形の眼鏡って、そうそう見つからない。気に入った形の古い眼鏡を持って行って、同じ形でお好きなセルで作ってもらうのもいい

暑かった…ワールドハピネス2013

2013-08-17 22:17:12 | Weblog

暑い…、暑すぎる。

「自然の猛威に逆らって、ここまでして音楽を聴かねばならないものだろうか…。」正直、そんな疑問が頭をもたげた12時半。開始時点で「命あっての物種」という言葉がよぎる。そう思ってしまう程、今年の暑さは尋常ではなかった。

つまらなかったわけじゃない。というのも、楽しさは空が曇り始めた夕刻とともにやって来たからだ。それまでの炎天下の演奏は、どうしても「暑い」が先に立って判断不能。

まわりには長袖、腕袋、頭にタオル、大きな麦わらという完全防備の女性多数。見てるこっちが暑い。向こうからは異様にたるんだ日焼け肌を晒した短パン一丁のおじさん。汗といっしょに腹が垂れてる…。普段はおしゃれであろう人も、もう暑さに対してはなりふり構わずだった.

演者も還暦周辺の方多数。真っ昼間に登場した高橋幸宏の表情は主催者なのにげんなり。シンバルの上で目玉焼き焼けるよねという掴みのトーク。演者から「暑いからもう止めない?」とは言えないだろうけど、ちょっと言って欲しかった。刻苦勉励、隠忍自重とか、部活中水飲むな!的なものとは最も縁遠そうなワールドハピネスのメンバーには、あまり「がんばって」ほしくない。もちろん、本当に止められるのは嫌なんだけどね。

高橋幸宏の演奏の頃は最も暑かった時間帯だった。本当なら涼しさを届けてくれるはずの軽やかなドラムスが熱い空気の壁に阻まれて、音が風に乗り切らない。涼しげな音は、フライパンに落ちた水滴のようにすぐジュッとなって熱気に変わってた…。

 

音楽は自然の猛威に勝てるのか!

これがのっけから今回のテーマとなってしまった。

強烈な太陽に照らされて、数万人の人間が集まって、舞台には照明、PA機材、巨大なマルチビジョン。頭の中には、エレクトロニクス文明が太陽に負けた…とか、近代が生んだ文化と産業は自然を凌駕することはできはしない…とか、都会って結局何?とか、もうありとあらゆる近代批判の言葉が怒濤のように浮かんで、曲に集中してる暇がない。頭の中は周りの人には見えないからいいが、いい感じの音楽に揺れながら、実はこんなこと考えてるなんてどうかしてる。

誰のせい?それはあれだ…猛暑のせい!

今回はスチャダラパーも登場。とうぜんながらサマージャムも歌った。しかし「それはあれだ夏のせい」とか言ってられるのは、夏の暑さが尋常だった古き良き時代の話。いっしょに、それはあれだ夏のせい!と指振り上げる気力無し。

そして、今あらためて聞く「今夜はブギーバック」のバブル感。いや、そんな俺をクールに見つめるもう一人の俺的な90年代。まだ失われた実感が薄かった時代の歌。これが今の40代の懐メロなのだ。あれから失われっぱなしの日本。

おっさんになったようなならないようなスチャダラとまわりのスタンディングの群衆。久々に見たスチャダラ。ああこれが現代の懐メロ。

懐メロといえば、最後のおそ松くんバンドwithゲストの演奏はスチャダラのとはまた違った今の40代50代サブカル世代の“究極の”懐メロだった。歌は世に連れ…ってわけじゃないけど、心に残る名曲ぞろい。

矢野顕子と奥田民生がやった「ラーメン食べたい」。民生が歌詞を忘れたのはご愛嬌。矢野顕子のフォローが見られて、観客はかえって得した気分。小原礼をバックに従えて、奥田民生が歌ったミカバンドの「ダンス・ハ・スンダ」は、私にとっては今回のワーハピのベストプレイ。ボーカル奥田民生がはまりまくり。鈴木慶一、高橋幸宏と共に歌った大貫妙子の「LABYRINTH」も暮れ切った空の下で現代の幽玄。

日本の音楽もここまできたか(と、偉そうに言ってみる)。子供の頃に見たNHKの懐かしのメロディーで聞いた親の世代の懐メロとは隔世の感がある。昔も名曲はあった。でも、アレンジとか演奏とかノリとか…ここまで緻密でありながらしなやかに。その職人芸は日本の手仕事百選に入れたい。西洋の音階と楽器を使いこなして、思えば遠くに来たもんだ。この先俺たちゃどこに行く…そんな感じの現代の懐メロ。先日終戦の日、戦後68年。ホントに日本ってここまで来ちゃったんだなあ…。

現代のカリスマたちが揃った凄すぎる演奏は、天岩戸をこじ開けたどんちゃん騒ぎのお神楽で、そんな人の心を揺さぶる人気者を大昔、神と呼んだのだろうなあ…などと熱狂する群衆の中で揺れる。

 

で、結局、音楽は自然の猛威に勝てたのか…?

上記のカリスマたちの共演は夜風も吹き始め、夕闇降りた頃。もう自然の猛威に悩まされることもない時刻。じゃあ、暑い時間帯はどうだったのか…。

希望はきどらないおばさんにありました。

頭の中を埋め尽くした「暑い」という文字を一瞬忘れさせてくれたもの。それは、14時、一日で最も暑い時刻に登場した清水ミチコの笑いと毒。

今年のワーハピには、なんとユーミンも美輪明宏もドリカムも山達も参加してたのですよ!ユーミンが歌ったのは映画「風立ちぬ」で話題の「ひこうき雲」。似過ぎです。ああ、我々はベタには勝てない、思い出には勝てない…。もちろんそう思えるのは清水ミチコの芸と愛嬌があってこそ、ものまねする対象への愛あってこそ。

暑さを忘れさせるもの。暑さもここまでくると、それはクールで涼しげな音でも、暑さを凌駕するような爆裂音でもなくて、はじける愛嬌と生命力なのであると感じた瞬間でありました。

清水ミチコは続いて登場した矢野顕子と共演。矢野顕子もいつものアッコちゃんスマイル。たのしげに2人で歌う「丘を越えて」(清水ミチコは矢野顕子との共演でめっちゃ緊張してたけど、でも嬉しそうでした)。笑顔とともに風が吹きはじめました。

矢野顕子はこの暑さを、この先しばらく何があっても大丈夫と思える為の我慢大会と言ってましたが、本人は太陽にも負けてないんですよね。原始女は太陽だったを地でいく感じ。軽やかなピアノソロは、熱くてぎゅっと凝縮した高気圧のすき間を、音符たちが通り抜けて耳まで届く。そんな感じでした。

「海のものでも、山のものでも」、忌野清志郎のカバー「セラピー」、そして「いい日旅立ち」。どれも風景が見えて来る歌です。

初めて聞いた「セラピー」。人の心の中に分け入るような歌詞の歌は聞いてると自分が繭の中に閉じ込められたような気がするものですが、この歌は、その壁が透明になって、次第に融けて流れて、その先に街の風景がみえてくるような歌でした。そんな日本の風景を感じていたら、暑いけど、暑いなりに、いつのまにやらちゃんと音楽を聴いていました。

矢野顕子、はじめて外で聞いたけど、自然に溶け込む音というのがあるのだなあとしみじみしました。

自然に溶け込む音とそうでない音がある。今回のワーハピで印象に残ったことのひとつです。

あと、大貫妙子の「ファムファタル」があんなに良い曲だったと今頃気付きました。大貫さんは「細野さんの書いた」と前置きしてたけど、細野さんってホントにスゴイ。

そうそう、話題の小林克也(咲坂守)&伊武雅刀(畠山桃内)の登場に、スネークマンショーを知る人は沸いたわけですが、小林さんは、やたら「ジャパニーズジェントルマン、スタンダップ プリーズ」をくり返してました。「レディース、スタンダップ プリーズ」とも言っていた。

それはただの歌詞の一節ではなくて、現実に向けて本気でシャウトしているように見えました。もちろん他の人の歌だって、ただの歌詞ではないとは思いますが、このときの小林さんには何か切羽詰まったものを感じました。それは私が世の中に「スタンダッププリーズ」と言いたいからでしょうか。いや、自分に対して言いたいからなのかもしれない。

そんなわけで、自分でも説明し難い今回のワーハピ。

レキシも面白かったです。縄文土器、弥生土器どっちが好き? 学校時代を思い出すという意味ではこれも懐メロ?

結局、懐メロなフェスだったってこと?自分が年取ったってこと?

これだけたくさんのミュージシャンが登場すると、人によって随分見方は違うと思いますが、音楽にあんまり詳しくないけど、音楽は大好きで、いつも鼻歌歌ってる(このところ薬師丸ひろ子の歌にはまってます)私の感じた今年のワーハピです。

去年の、久々に見た岡村靖幸ほどの衝撃は無かったものの、やっぱり音楽ってすごいと思わせてくれるなんだかジワジワくるフェスでした。10月には岡村ちゃんライブ行きます!


8月15日終戦の日の覚え書き

2013-08-16 02:30:41 | Weblog

8月15日終戦の日の覚え書き。

お盆で実家にかえるでもなく、仕事で外に出かけるでもなく、家でテレビを付けて、夏のジリジリした暑さの中で行われる戦没者追悼式を見た。仕事用の背もたれの大きな椅子にもたれて、黙祷。近くのお寺の鐘も鳴っていた。

戦争体験のない自分の頭の中に、ドラマで見たのであろう戦争のシーンが浮かび、そんなもので涙が出そうになる自分のチープさに一瞬ひるみながら、気付いたら1分経っていた。

総理大臣の言葉はいろんな思惑に気付いて欲しいといわんばかりの思わせぶりな文言がちりばめられ、そのスピーチの軽さと、天皇陛下が深々と頭を下げられる姿の重さのギャップに、立場の違いもそうだが、両者の生きた時代の違いも感じた。

新聞も今日は8月15日終戦の日特集で、いろんなところでいろんなイベントも行われている。なのに私は、今朝、あ、今日は終戦の日だ…と気付いた。8月6日の原爆の日から続く、真夏の戦争を考える週間。これまでならばもっと意識に上って来ていた。それが、今日が15日だということをテレビのニュースに言われて気付いている。ちょっとショックだった。

ドミューンでは、大友良英のあまちゃんバンドや詩人の和合亮一が福島でライブと盆踊りをやっていた。やぐらの上で自作の詩を叫ぶ和合亮一が古代の酋長に見えて来て、それをパソコンで見ている自分が嫌になった。やっぱ祭りと民謡だと思った。月がデタデタ歌いたい。

あれからもう2年が経つけれど、直接的な被害を何も受けていない自分が、ここにきて道に迷っている。自分には何がやれるのか、やりたいのか、やるべきなのか…。

つい2、3年前まで感じられていた、時代の空気とか、これから求められるだろうものへの予感とか、そういうものが霧の向こうに見えなくなった。自分の嗅覚が鈍ったのか、それとももはやそれさえ見えない時代となったのかがわからない。もしかしたらそれを希望がない状態というのだろうか。

夜、ラジオデイズの内田樹、平川克美のはなし半分夏休み特別号村上春樹を読むを聞く。村上春樹の小説の中の壁抜けやパラレルワールド的な描写について語る。文学の可能性とは、ありえたかもしれないもうひとつの世界を想像し、行ったり来たりできること。村上春樹こそ、このありえたかもしれない世界を描ける作家であり、それを描くことが文学が現実にコミットできる可能性である…などなど。

今よりマシなありえるかもしれない未来を想像し、そんな未来を目指す。ちょっと前までは自分の中でそれが想像可能だった。しかし、その未来はどっかで何かを掛け違って、来るべき未来ではなくなってしまった気がしている。自分の想像が甘かっただけで、それはマシな未来に繋がらないことが見えて来たのかもしれない。世の中ではいろんな人が、それぞれの自分なりのマシな未来を想像して右往左往しているけれど、私の新たな未来はまだ見えて来ない。

それがなぜなのかはわからない。これまで言って来たことも、今後言い続けるべきなのかもわからない。でも多分、自分自身は何も変わっていない。自分の中深くに眠る考えを、これまでは借り物の言葉で表現していたのかもしれない。言葉に関わる仕事で生きて行こうとしているのに、そこまで本気で言葉に向き合っていなかったことを、いまさらながら感じている。

結局は批判されない言葉を選んでいたのだと思う。いい人と思われようとしていたのだと思う。自分はいい人ではなく、単に臆病なだけだ。世界が殺伐とすることに自分が耐えられないだけだ。

そして、自分はこの先、何をやって食ってくのか。基本的なことを考える。これまでの自分を捨てられるわけではない。これまでやって来たことを元にして何かやるしかない。虻蜂取らずでこれが私の仕事だと誇れるものは無いが、全くなにもやってこなかったわけでもない。やはり「リセット」ではなく、「有効利用」するしかないのだと思う。

こんなことを考えて8月15日は終わった。


氷が融けはじめる時

2013-08-09 00:24:34 | Weblog

ペットボトルに水を凍らせていた。

出して来て、融けたら飲もうと置いといた。

するとしばらくして

「ぴしっ」と音がする。

またしばらくすると「ばしっ」と音がする。

氷にヒビが入って割れる音だ。

 

冷たく凍り付いたものが融けはじめる時、

雫がたらりたらりとひと雫ずつ静かに融けて行くのかと思っていたら、

最初にばしっと断層が入るのだった。

 

3回程、大きなヒビができてからしばらくは静かだった。

そしたら、融けてたまった水が

ひび割れた氷のすき間から湧き出たのか

やにわに「ごぼごぼッ」という音がした。

そしてまた静かになった。

 

冷えきって固まったシステムも

融けはじめるときは

衝撃的な音を伴ったひび割れを起こすのかもしれない。

そしてしばらく静かになったと思ったら、

ごぼごぼと泡を吹き

汚いものを吐き出して、融けて行くのかもしれないな。


30年後の「蒼い時」 最近なんだか昔を振り返ってしまう…

2013-08-01 03:24:49 | Weblog

ガラスの仮面50巻は出てないよな…と思い本屋へ行ったが、やはり出ていなかった。かわりに「あまちゃんガイドvol2」「タモリ論」、雑誌「一個人・日本の新宗教」、そしてなんとなく、山口百恵の「蒼い時」を買う。「蒼い時」はAKB48が読書感想文を書くキャンペーンの一冊になってて、平積みされてたのが目に入ったから。

「タモリ論」と「蒼い時」。本と関係はないけど、百恵ちゃんが引退前に、タモリのオールナイトニッポンに出て、百の質問というのに答えていたのを思い出した。内容は覚えていないが、当時まだ「いいとも」も始めておらず、ゲテモノ芸人のイメージが強かったタモリの、それも深夜のラジオに出演して、100個もの質問に答えているということが意外で、このことはずっと覚えている。出版から30年以上。初めて読んで、これなら、タモリの深夜ラジオにも出演するかもなあ…と思った。(※後日追記:このタモリのオールナイトニッポンに関する記述は私の記憶違いだったかもしれません。以下のコメント欄にコメントをいただきました。詳しくはそちらをご覧下さい。でも、なぜそんな記憶になったんだろう。不思議です。)

それにしても、20歳そこそことは思えない文章である。「教条的」なんて言葉を普通に使っている。ゴーストライターが書いていたとしたら、なおのことこういう言葉は使わないだろう。正直すぎるほど、自分の気持ちを見つめて書かれた文章だ。普段は「百恵ちゃん」と呼んで何らおかしくない部分も併せ持った女性だったに違いない。

山口百恵が引退して数年後、日本にはバブルがやって来る。

なぜかその後の浮かれた日本では、子供のままの心を持ち続けることが良しとされ(もちろん良い部分はあるけど)、大人はダサいということになった。「大人」とは、常識に縛られてるとか、つまらないとか、お金を持っているとか、権力持ってるとか、そういうことになった。

そして、バブルも弾けて、いろんなことがあって、原発事故まで起こってしまった今頃、世の中にそのツケが回って来ている。

山口百恵が「蒼い時」と書いたあの時代。山口百恵がいた70年代といなくなった80年代は明らかに空気の層が違った。「蒼い時」から「なんとなく、クリスタル」に変わった頃だ。


ブログタイトル変更「へちま日記」よろしくお願いします。

2013-07-29 19:22:22 | Weblog

ブログタイトルを変えた。

ずっとへちまのテンプレートを使ってきてるから「へちま日記」にしてみた。

やっぱりグリーンカーテンはゴーヤじゃなくてへちまだよ。

へちま水もとってみたい。

へちまがどこの家にもぶら下がっている世の中は、

まんざらでもないんじゃないか。

夏の昼下がりに思う。

冬は炭火を楽しむ火鉢クラブだけど

夏はへちまクラブもいいかもしれない。

ボディタオルよりやっぱりへちまだ。

炭もへちまも気孔が多くてスカスカだから役に立つ。

「へちま日記」よろしくお願いします。


もう5月も終わるなあ

2013-05-23 04:56:50 | Weblog

前に記事をアップしたのが4月15日。もう1月以上前だ。丁度、今やってる仕事を振られる前くらい。その時にはこんなに忙しくなるとは思っていなかった。後少し、後1週間でそれも終わる。今が山。1週間後、気持ちよくこのブログをアップできるように、後少しがんばろ。

また一週間後に!すいません、なんでもない投稿で。


浅田真央礼賛~ソチ五輪後引退報道に思う

2013-04-14 18:49:13 | Weblog

>>最後に、浅田の新しいインタビューを受けての追記あり。

浅田真央、ソチ後引退の報。

浅田真央本人のコメントを見れば、ソチを自分のフィギュアスケート人生の集大成にしたいと言っていた。引退という言葉は使っていない。けれど、報道はすべて「引退」という惹句を使っている。そんなに引退すると言うことがニュースなのだろうか…。まあ、ニュースなのだろう。けれど、ソチ五輪の浅田の演技の瞬間がやって来た時、何がもっとも大事なのかと言ったら、浅田の演技を競技の場で見られるのはこれが最後ということよりも、浅田がどんな演技をするかということである。自らが集大成という滑りに、どんな曲を選び、どんな振り付けをし、どんな技術を盛り込み、そしてどう演じるか。

私の個人的な思いを言えば、あのバンクーバーで見せたフリー演技「鐘」を上回るプログラムを用意し、それをどこまで完璧に演じられるのか…。それが気になる。そのあと引退するかどうかなど、大した問題ではない。私(たち)が浅田に感じている可能性のすべてを出し切り、ああ、やっぱり浅田真央はスゴイ!と感じさせてくれるプログラムを演じてくれるか。気になるのはそれだけだ。

バンクーバー五輪のシーズン、特に五輪後の世界選手権の「鐘」の演技を見た私は、闘う浅田真央の姿に涙した。タラソアが振り付けしたそのプログラムは、少女から大人になろうとしている浅田のさまざまな闘いをフィギュアスケートという形で見せてくれた。その闘いには自分との闘いもあれば、外部との闘いもある。そして彼女がそれから逃げず、果敢に立ち向かっていることを、彼女の演技は物語っていた。それまで妖精のようにふわふわと舞っていた浅田は、天賦の才だけで乗り切れるフェーズを超え、人間浅田真央として氷上で闘っていた。そんな彼女の現状をそのまま表現するような「鐘」をプログラムとして選んだタラソアの選択は、浅田真央の本質を本当に理解した指導者の選択だった。つまり、浅田とは人間とは何かを表現できる希有なスケーターであるという点だ。

そんな彼女の「鐘」の演技は、もはや技術や表現力という枠を超えて、彼女の人生だけでなく、人間が生きるとはどういうことかさえも感じさせるものだった。女性としての美しさなどという陳腐なものではない、人間としての純粋な部分もドロドロした部分も、喜びも悲しみも怒りもすべて抱え込んで乗り越えて行こうとする人間の輝きを浅田真央は表現していた。大仰な言い方になってしまったが、そしてくり返すが、浅田はそんな滑りが出来る数少ないスケーターの一人であることは確かだ。これは浅田より高得点をたたき出すキム・ヨナにもできない。もちろんキム・ヨナのすべりもある意味人生の結晶だが、キム・ヨナは何か別のものと戦っているようで、少しかわいそうな気さえする。国家を代表としたさまざまな方向からの期待である。

もとい。だから、ソチ五輪まであと10ヶ月といわれて気になるのは。浅田がソチで何をどう演じるかだけだ。現在の「I got rhythm」と「白鳥」もいいプログラムだとは思うが、彼女の集大成というにはまだ物足りない。

彼女が目指す集大成の滑りは必ず私たちを感動させてくれるプログラムとなるはずだ。それがあの「鐘」以上のものになるのだとしたら、私の目の前には引退などという文字はちらつかない。その新プログラムがどういうものになるのか。興味があるのはそれだけだ。

人生を変えた一冊の本とか、映画とか、一生のうちで心に深く刻まれる芸術作品がある。私にとって浅田真央のスケートは自分を勇気づけてくれる作品のひとつである。引退とか関係なく、素晴らしいプログラムは一生の思い出として残り、演技を見た時に感じた心の震えはその後の自分を支えてくれる。ほんとに大げさな言い回しだと自分でも思うが、浅田の過去の演技をYOUTUBEでみると、何度見ても涙が出てしまうのだ。

浅田真央はそのくらい凄いスケーターだ。そんな凄いスケーターを、引退するか否かというような演技内容と直接関係ない事象で報じてはいけないのだ。

ソチ五輪を最後だと思って、全精力をそこに注ぐ。そういうことなのだろう(追記:あとで見たインタビューによれば、やはり本当に引退する意向らしいが)私たちはそんな彼女の思いを感じながら、応援するだけだ。ソチ五輪での新しいプログラムの振り付けは今回と同じ、SPがローリー・ニコル氏、FPがタチアナ・タラソアだそうだ。私にとっては引退よりもそのことのほうがニュースだ。真央のことを理解するこの二人が集大成となるプログラムを振付ける。今から楽しみでしょうがない。

表現力とは何か…。それは見る人に生きる希望を与えるものだと思う。そういう意味で浅田真央は最高の表現者だ。

なんか恥ずかしいくらい礼賛しましたが、前回の四大陸ではキム・ヨナも一皮むけていたと思います。最初テレビの放送を見たときは、えっ?と驚きました。これはスゴイかもと。もうこうなるとまさにガラスの仮面、マヤと亜弓さんの対決です。もちろんマヤが真央。

決して頭で考えた表現でなく、身体から湧き出て来るものをそのまま表現できる浅田真央。そんな彼女にぴったりのプログラムを期待します。タラソアよろしくお願いします!

以下、追記>>>

上記を書いた後で、浅田が引退の意向を語っているインタビュー映像を見た。本当に辞めるのね。ふっと思ったと言ってたが、やはり辛いのだろうか。彼女の気持ちはわからないが、少し不安がよぎった。気持ちが弱ってなければいいが。浅田の無限大の可能性を信じたいのは、見る側のエゴなのかなあ…。わからない。でも彼女の演技には本当に無限の可能性を感じる。