安倍晋三の国会の質問、かなりヤバい感じ。ヒートアップして、何を勘違いしてんだか・・・。国会劣化中。
(以下のブログを書いてから2年後、2014年夏、乳がん再発がわかりました。けれど、三大治療はやらずに、生活習慣を変えることで、がんと共存をめざしています。2015年秋現在、今のところ、大きな問題は無く、仕事しながら普通に生活しています。)
先日、がんを患っていた知人が亡くなった。寝たきりなどではなく、抗がん剤治療を行いながら、普通に働けていた。このところちょっと体調が悪いとは聞いていたが、つい、1ヶ月ほど前に仕事関係の相談の電話を受け、まだまだ大丈夫だと思っていた。死の知らせは寝耳に水で、しばらく呆然とした。
私もがんを体験しているため(8年前に乳がん治療)、治療法を変えた方がいいのではないかとか、抗がん剤治療についても見直す時期ではないのかとか、会った時には治療についての話をした。けれど、その知人のがんは転移していたし、その不安の大きさや、実際の体調についてなど、私の乳がん治療体験など思いも及ばない領域で、彼にとって有効な話が出来たとも思えない。逆に自らもがんを体験したことで、転移したという事実の持つ意味の重さを感じ、彼とのがんについての会話は、核心に近づかず、中島を遠くから眺めながら池の周りを歩いているような感じでもあった。
彼の話によれば、抗がん剤治療をやることで、肺に転移したがんが急激に大きくなるのはなんとか抑えられていたようだ。ただ、小さながんがたくさん散らばっていた。抗がん剤を投与することで、体調を崩す様々な副作用も出ていた。抗がん剤ががん細胞を殺す効果の大きさと、副作用とどちらをとるべきなのか・・・。最後の1年の彼の状態を見ると、ちょっと判断が難しかったと思う。
抗がん剤治療を続ける患者は常に死を意識せざるを得ず、その治療をやめることは死に近づくことを意識させる。抗がん剤をやめて体調が一時的に良好になったとしても、がんが再び大きくなり始めるのではないかという恐怖もつきまとう。
亡くなる前の数ヶ月は身体の不調を訴えることが多かったようだ。普通に働いてはいたが、職場で無理をして(徹夜に近い激務で本当に大変な仕事だったようだ)倒れたとも聞いた。あまりに体調が悪いので、家の方が心配して一時入院したこともあった。
がん自体は突然大きくなったりしていたわけではないらしい。担当医も、この体調の悪さが何に起因するものなのか原因がわからないと語っていたそうだ。「がんが大きくなってないんだとしたら、この体調の悪さの原因が何なのか、それを突き止めて、その治療をしてほしい。」彼は入院中のベッドでそう言っていた。そして、その後、1ヶ月あまりで逝ってしまった。
手術で、腎臓もひとつとっていた彼の身体で抗がん剤を解毒することはかなり身体に負担であったと思う。その上、大腸を切り、直腸を切りしている身体だ。糖尿の気が出ていたのも、内蔵の働きが通常ではなかったからだと思う。医者に体調不全の原因が分からないのだとしたら、抗がん剤の内蔵への影響は、体調不全の原因にカウントされていないからだとしか思えない。もちろん、私の言っていることは状況から見た想像でしか無く、彼に関する検査データなどに基づくものではない。しかし、データを持っている医者でさえ、原因はわからないという判断しかできないのだ。
彼の死因は何になるのか・・・。
それを専門としている人の世界は別としても、一般的には「がん」という病は死の病として恐れられている。がんを宣告されるのはこの世の終わりと言わんばかりの認識が世の中に広まっている。世の中の、特にメディアから流れてくるがんに関する情報は、がんは死の病と思わざるを得ない煽りに満ちている。
亡くなった知人は最後まで働き、寝込むことも無く果敢にがんと戦いながら日々生きていたと思う。そして、そんながんばっている人も、時にそうした煽りに満ちた情報を目にしてしまう。リテラシーもあって、そんなものは煽りだと分かっていても、患者の立場になるとどうしても不安がもたげてしまう。これは私が治療を始めたときもそうだった。そんなに脅かさなくてもいいではないかと思う。
なにごとも周到な準備と防御の姿勢は重要ではあるが、やり過ぎはかえって、その防御の対象に対する恐れや怯えを生む。実際、「がん」という言葉に怯え、過剰に防御的になり必要の無い治療まで行っている人も多い。がん患者を取り巻く状況は煽りに満ちている。
恐怖心に煽られること無く、もっと冷静に自分の病状を見つめられる余裕の持てるような状況が作れないものか・・・。
「がん」に関しては考えるべきことが多すぎる。
私自身はといえば、乳がんの治療を終えてもう8年が経とうとしている。ある医師によれば、私の乳がんなど、がんとも言えない「がんもどき」程度、恐れることは無いと言う。実際にそうかもしれない。ほとんど後遺症も無く、乳房も切ってはいない。そんな私に偉そうにがんを語ることなどできるのかとも思う。しかし、私と同タイプの乳がんを体験したタレントが、雑誌で「私のがんは珍しいタイプで・・・」と語るのを目にし、その「珍しい」という言葉を「難しい」とか「面倒な」と誤読し、不安になる患者がいるのではないかなどと考えると、やはり自分の体験も語る価値はあるのではないかとも思うのだ。
治療が終わってから8年。結局、がんについての話をまとまった形では書いてこなかった。書くということは、自分の中で曖昧になっていることを明確にする意味もある。つまり、まだ私は自分の中のがん体験も曖昧なままで放置しているということだ。亡くなってしまった知人と今後話そうと思っていたこと、言い残してしまったこともある。再びがんについて書き始めることで、今一度、がんとは何かを自分の中で整理していきたいと思う。
それに思うのだ。がんを取り巻く状況は、原発事故以来の放射能という言葉への人々の反応に似ている。自分にとって未知の領域への恐怖が冷静に考えることを拒否させる・・・。
自分が放射線治療を選んでいることも、何かそのへんを考えるとっかかりになる気もする。この放射線治療が最善であったかは分からないが、私の乳がんが放射線治療で消えたことは事実だし、そんな私は原子力でエネルギーを作る原発には反対だ。
やはりもう少し、がんのことを考えることにしようと思う。
2年前にも一度、がんのことを書き始めようとして、一度書いたきり挫折している。その時読んでくださっていた方は、またか・・・と思われるかもしれない。考えてみれば、あれから紆余曲折、いろいろなことをやっては挫折したり、考えが変わったり…。しかし今、やはり自分の本分は「伝える」ことであると感じている。それも言葉を使って伝えたい。下手だけどそう思う。
これから時々、自らの体験を交え、がんのことを書いていこうと思います。