今朝、野良猫の終の住処と書いたけど、
自分の終の住処はどこになるのだろう。
40代も半ばとなり、ふと頭をよぎる。
生まれた土地から遠く離れた場所で糊口を凌ぎ、
いまだ賃貸住宅。
家を持ちたいとは思わないけれど、
鴨居にくぎを打ったり、柱にペンキを塗ったり、
自由に家をいじれたらと思う。
この世は仮の宿りというし、
どんなところに住んだってそれは仮の宿りなのだろう。
豪華な家を持ってもかりそめ、
方丈記のごとくに方丈の庵でこと足りるのが、
震災後の日本の目指すべき姿・・・なんて思うけど、
やはり洋服は好きだし、本も捨てられない。
中華料理屋ばりの火力で炒め物をしたいと思うし、
本当は縁側か坪庭が欲しいのだ。
それを欲望というか文化と呼ぶか・・・。
それを文化と呼ぶ家には住みたくない。
家は欲望の塊。
子供の頃住みたかった家は、
たくさんの部屋が万国旗のように各国仕様になっている家。
中国の部屋、インドの部屋、中東の部屋、アジアンリゾート、
ヨーロッパアールデコ、アメリカンコミック、ロシアの客船、
そして桂離宮・・・・。
もうわけが分からない。
住めば都な人になりたい。
いや、どんな古い家にも住める私は
十分、住めば都な人間なのかもしれないが、
最近、自分なりの条件に合う賃貸物件が少なくなっている。
ここならいいという基準は
日当り良く、窓が部屋の2面以上にある、
窓が開く(窓の開かない高層マンションとかもってのほか)、
畳の部屋がある、そんで障子が入ってて欲しい、
大きな押し入れが欲しい、近くに緑がある。
洗濯物がたくさん干せる。
ほんとうはひろーいベランダとか屋上とか庭に
青空の下、洗ったシーツをはためかせるのが幸せの象徴と思っている。
そんくらい。
ようするに風通しのいい家。
そのくらいのことがなぜ実現できないのだろう、今の日本。