内田樹さんが橋本治の追悼として書かれていた文章の一説
ーー書き手は「自分が知っていること」をではなく、「今知りつつあること」を遅れて知りつつある読者に向けて説明するときに、もっとも美しく、もっとも論理的で、もっとも自由闊達な文章を書く。橋本さんはどこかで経験的にそのことを知った。(中略)そうやって考えてみると、『桃尻娘』は「高校生とはなにものか」についての説明であり、 『窯変源氏物語』は「王朝人とはなにものか」についての説明であり・・・以下、橋本さんの書くものはすべて説明なのである。そればかりか、橋本治はなにものだったかについても、橋本さんはちゃんと本を書いていて、『橋本治という行き方』とか『橋本治という考え方』という本まである。ーー
WEBちくまの連載(『遠い地平、低い視点 第52回なぜこんなに癌になる?』)にこう書いた橋本治
ーー(癌の研究は)「癌を治す」という方向にばかり進んで、「人はなぜ癌になるか」がほとんど解明されていない。ーー
彼が書いた「癌とはなにものか」を読みたかった。
女子高生にも、清少納言にも、光源氏にも、三島由紀夫にもなりえた橋本治だったら、自らの細胞の変異であり、もう一人のブラックな私とも言えそうな癌について、またその癌をとりまく世間についてどう書いたのだろうか。
しかし、それは結局自分のことを書くことになるから、橋本治はそれを書かなかったかもしれない。そして、「癌とはなにものか」を書いたとしたら、それは自分のことを書くことになってしまうから、彼はそれを書くことなく、それが最後のテーマになることなく逝ってしまったのかもしれない・・・。
自分が癌になって、なんでなったのだろうと思い、いろいろ調べ、「知りつつあること」を、遅れて知りつつある読者に向けて、もっとも美しく、もっとも論理的で、もっとも自由闊達に書かれたものを、今、癌を抱える私は読んでみたかった。橋本治がいない今、自分のために自分でこれをやるしかないのである。