「はたらく細胞」という漫画がある。白血球と赤血球を主人公に、身体の中で免疫が働く仕組みを、様々な細胞や血球を擬人化したキャラによるストーリーで解説してくれる。現在発売中の2巻にはがん細胞をNK(ナチュラルキラー)細胞が倒す話が掲載されている。
(以下ややネタバレ)がん細胞は自分ががん細胞になりたかったわけではない。自分が所属する人間様が不摂生をしたおかげで(もちろん不摂生だけではなく、放射能や職業上の問題など自分のせいでないものもありますが)、いつのまにやらがん細胞になって、まわりの免疫細胞からは敵視され、つねに駆逐の対象になっている。がん細胞は自らのそんな宿命に悩み、苦しみ、つねに免疫細胞に狙われるという死の恐怖にさらされるがゆえに、逆にまわりに浸潤することで自らを守ろうとする。漫画はそんながん細胞の悲しみを描いていた。実際にはここに、さらに抗がん剤や放射線という攻撃が加わることもある(漫画はそこまでは描いてはいなかったが)。この状況、空爆受けてるテロリストみたいなものではないか…。自分の中のがん細胞もこんな思いをしているのだろうか。
ずっと自分の中のがんというものを意識してきて思うのは、がんというのは「孤独の病」ではないだろうかということだ。それは単純に一人で寂しいとかいうことではない。「孤独」という言葉の意味は、多分、人それぞれで、たくさんの人に囲まれていても孤独であるということはあるし、信頼しあえる人がいても、またそれとは別の孤独というものもある。「自分にとっての孤独」というものがどこらへんにあるのか…そういうことと「がん」というものはどこかで繋がっている気がする。そして、それに向き合うことで、自分の中のがんも落ちついていくのではないか…。もちろんこんな考えに医学的エビデンスなどない。けれど、漠然と抱いていたこうした思いが、擬人化されたがん細胞と免疫細胞たちの物語に重なって、なにか腑に落ちるものを感じた。
世界の歪みがテロリストを生む。自分の不摂生や現代社会の毒(放射能とかアスベストとかたばことか添加物とか)が身体の中にがん細胞を生む。テロリストを攻撃して殺しても根本的解決にはならず、世界の格差の是正や異民族や異教徒への理解を深め、世界の歴史を知ることが必要であるように、がんの治療というものにも対症療法だけでなく、そうした根本治療というもの必要なのだろうと思う。そしてそれはがんに限ったことでもないのだろう。
私たちの多くは、自分の身体の中で日々起こっている様々なことにあまりにも無頓着だ。そして、日本で暮らす私たちの行動が、めぐりめぐってテロリストの誕生に繋がっているかもしれないということにも無頓着である。そうした想像力の欠如こそが、世の中を不安にし、より住みにくい場所にし、自分の身体をも不健康にしているのだと思う。
がん細胞にも愛を。
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