再び橋本治のことを考えていて、たまたま読んだリンクの記事。
「知性の顛覆」という著書の紹介のためのインタビュー記事。中に地の文でこう書かれている。
『「反知性主義を読み解いていくなかでたどり着いたのは「不機嫌」「ムカつく」という感情だ。ムカつく人たちに納得してもらう言説を生み出さないと〈知性は顚覆(てんぷく)したままで終わり〉だと指摘した。』
反知性主義を語るインテリで、この「ムカつく」という部分に言及する人は意外と少ない。しかし、どう考えても、今の安倍政権の高支持率とか、ネトウヨ的な言説とかって、知性的なるもの、インテリに対する「頭いいと思って、なに綺麗ごと言ってやがるんだ」的な「ムカつき」でしかないような気がする。
なのに、インテリたちは「なぜなんだ」「理解不能」というばかりで、ムカついている人々のその「ムカつき」を理解しようとはせず、結局は彼らを見下す位置から「知性的であれ」「努力しろ」と言うばかりなのである。そこにあるのは高くそびえる「バカの壁」。より断絶は深まる。
難しいことは分からないという無力感の裏返しとか、勉強不足がおっつかない悔しさとか・・・、それでも同じように人は歳を取り、いっぱしの大人になって、それなりの顔をしなければ、舐められるし、格好がつかない。そして、多くの人は肩肘を張り、受け売りで語り、本当の知性から遠ざかる。
そういう自らの生まれ持ったる能力の限界を感じながら、本当の意味での謙虚でいられるような強い心を持った人ってそうはいない。いるとしたら、そういう人こそが本物の知性というのだと思うが、そういう認識は今の日本ではあまり流行らない。
知性を語るとき、自分など何ほどのものでもないという姿勢は重要で、それって言葉ではいくらでもそうだと言えるが、実際に心からそういう態度でいることっていうのはなかなかに難しい。
頭がいいってことはそんなにスゴいことなのか・・?
「知性」という言葉の定義がわからなくなってきてしまった・・・。
どのあたりに「ムカつく」人たちを納得させられる言葉はあるのだろうか。なかなかに難しい課題ではあると思うけれど、根気づよくその言葉を探し続けなきゃ行けないんだろうな。
この記事の最後にはこうあった。
『とにかく根気の良い人、と自己分析する作家。思考の旅は続く。』
しかし、もう彼はこの世にはいない。けれど、著書は残されている。思考の旅を受け継ぐのは私たちだ。
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