知り合いの弁護士先生の言葉です。
『言語は言葉だけじゃない』
グローバルな視点で政治から経済まで語ってくれる先生は
『これからは世界に通じる言語を学び、真の国際人になる必要がある』
と仰いました。
言語といっても英語や中国語を学べということではなく、世界に通用するスキルを持てということだと、例をあげるならば国際会計基準を身に付けた会計のプロや化学や医学のノウハウは世界共通の言語なのだと教えていただきました。
なるほど。なるほど。
私には何があるかなぁ。。。
全然関係ないですけど赤福が営業再開したらしいですね。お伊勢さん行ったときの写真です。
お寺なんかでよく使われている標語で、履物を揃えろみたいな感じで玄関やトイレの入口に掲示されていることが多いですね。
意味はもう少し深いところにあって、端的には他人を気にしたり批判したりする前に脚下(足元)を照らし自らを顧みろということみたいです。
簡単なようで一番難しく、人間の真理でもありますよね。
自宅の前で無残にも刺殺された7歳の柚希ちゃん。
母親によって6階から落とされた1歳の赤ちゃん。
世界各地で絶えることのないテロ、紛争。
テロとの戦争の大義名分の名のもとに犠牲になる一般市民。
『無機質な社会が殺人者を生み出す』
『テロとの戦争は世界秩序を守るため』
『戦争が100人のビン・ラディンを生む』
何が真実でどうすれば世界に平和が訪れるのか。
ちょっと壮大なテーマで、答えはないことなのかもしれないないけれど、あまりにも毎日毎日悲しいニュースが続くので皆で考えてみませんか。
『殺人者は特別で被害にあった人はたまたま運の悪かった人』
こんな風潮が今の社会にはありませんか。何故そんなに悲しい事件事故が起きたのか。マスコミによってではなく、警察なり検察なり裁判所が客観的立場で見解を発表するべきだと思います。
そして、地域で会社で学校で、可能な限りのコミュニュティで安全について語られる『場』や『機会』を自治体や警察が主導権を取って提供して頂けないものでしょうか。
事件事故は未然に防ぐべきです。その社会システムを国民全てが参加できるプログラムとして開発することはできないのでしょうか。すみません思いつきです。
戦争や暴力、刑の厳罰化などでは決して解決しないのです。アフガンやイラクの現状がそれを如実に表しています。
話は飛躍するかもしれませんが、
真の英雄とは自分を犠牲にしてでも自分の守るべきもののために戦う人間のことだと『国家の品格』に書いてあったと記憶しています。
ブッシュ大統領が守ろうとしたものは何だったのか。
自国の経済発展?
石油の権益?
世界の平和?
911で被害にあわれた方のご家族は複雑な心境でしょう。私がその当事者なら必ず報復を訴えたに違いありません。だけど考えたんです。人間たちはこの哀しみの連鎖を何千年も繰り返していて、その連鎖を断ち切れないでいる。この哀しみの負の連鎖を断ち切ることのできる真の英雄があらわれないものかと。
日本から世界をリードする政治家が出てほしいです。派閥争いや権力闘争なんかしてる場合じゃないですよ。世界が喜びで満たされるように今こそ政治がリードするべきです。そういう政治家や政治を育てるのが私たち国民の責務ではないでしょうか。
明日以降は『富の分配』について考えてみたいと思います。
勿論、神聖なる世界タイトルマッチでのあのような反則は許されるべきではないし、厳罰に処されるのは当然のことだと思います。
しかし、亀田選手だけが悪いのか??
亀田家を煽り続けた、テレビ、マスコミ、そしてそれに乗っかった人たち責任はないのか?
ボクサーたるもの鍛え上げられた肉体と磨き上げられたテクニック、そして肉体とテクニックを支える崇高な精神力が備わってはじめて一流のボクサーなんじゃないでしょうか。
個人スポーツで尚且つ殴り合いで決着をつけるボクシングだからこそ崇高な精神が必要だと思います。
その域に達していない子供を担ぎ上げて、その気にさせた人たちにこそ責任がありませんか?
負けたら切腹?
そんなこと真に受けて公共の電波で流すな!
命を賭けて戦う男は決してそんな軽口叩かないはずです。
そんなとき忠告してやるのが大人の役目なんじゃないですか。
強けりゃいいのか?勝てばいいのか?スポーツってそういうものじゃないですよね。
より過激なことで視聴率を追いかける今のテレビの有り方には問題大有りです。
画像は計量後のミウーラ選手です。フィリピン3位です。
10月8日に行われた第3戦を無事勝利することが出来ました。雨の中、応援に来てくださった皆様有難うございました。引き続き一戦必勝で戦って参ります。
今日は10年来通っている治療院にいったときのお話です。
シーズンも深まりだいぶ疲労も溜まってきたので、久しぶりに渋谷にある治療院に車で向かいました。
治療が終わったのが21時過ぎ。
オヤジ狩りとかにあったら怖いなとか思いながら、ボーっと歩いていたら、気が付いたときには私のGPSは完全にクラッシュして、自分の位置情報を認識できなくなっていました。そしてそこはラブホテル街のど真ん中。
キョロキョロしてる私は即効でポン引きにロックオンされ
『社長、お店探してるんですか。うち若い子沢山いますよ。』
『社長、日頃大変なんだから今日は羽根伸ばしちゃいましょうよ。』
『社長、リラックスリラックス。』
『駐車場探してるだけなんで。』
『そうですか。じゃあまたの機会に。』
クラッシュした私のGPSは、3分後にまたそのポン引きのところへ。
『あっ社長、その気になったんですね!今日はハジケチャイマショー。』
より抜粋
― 急がば回れ ―
性急な手段をとるよりも,手間はかかっても安全な道をとる方が結局は早い.
<USER-DIC>
― ぽん引き ―
不案内な人をだましてお金をまきあげる‐こと(人).ぽんひき.
ご主人が闘病しているなか、悲しみを堪えコンサートを乗り切った吉田さん。
本物の表現者ですね。
本物のプロですよ。
吉田さんの歌で救われている人が何万、何十万人といたとしても、今の吉田さん自身を救える人は亡くなったご主人以外いないのでしょうね。
頑張って吉田さん。
それに比べて沢尻さん、まずいよー。
子供じゃあるまいし、どんなに面白くないことがあったってあの態度はないでしょ。
まだ若いから(私が言うのも偉そうですが)失敗して気付いていくんでしょうけど。。。
まずいよなーー、あれは。
カンパチの兜煮を囲みながらそんな話をしていました。
日常当たり前に供給されている電力ですが、ある日突然電力の供給が途絶えたら、、、、。考えただけでゾッとします。
今回の供給抑制は「中越地震による柏崎原発の操業停止」と「記録的な猛暑による冷房などの電力使用量増加」のダブルパンチによって引き起こされたものらしいです。地震は天災ですからいかんともしがたいですが、「記録的な猛暑による~」はこれはちと問題ですよ。
なぜならば、
猛暑→冷房ガンガン→電気を供給するためにバンバン発電して、バンバン温室効果ガスを排出→地球が暖まる→猛暑→冷房ガンガン→更にバンバン発電→地球がもっと暖まる
みたいな感じでドンドン地球が暖まっちゃいます。
そこでちょっと調べてみました。
発電方法によってこんなに二酸化炭素の排出量が違うんですよ。
(1kwあたりの二酸化炭素の排出量)
ではコスト的にはどうなのか?
発電に掛かるコストは原子力が1kWあたり約7円前後だそうです。
その他は
ということは総合的に考えれば原子力発電って地球温暖化対策の切り札だと思いませんか???
しかし、原子力発電は問題点もたくさん抱えてます。
一番大きな点は安全面の確保でしょうね。
かの有名なチェルノブイリ原発の事故などに代表されるように、原発がひとたび大事故を起せばその被害は甚大かつ悲惨なものになります。
日本でもちょこちょこ原発絡みの事故は起きますし、一番いけないのはその事実を隠蔽して後で結局バレちゃったりしてますよね。
これが住民の不安感を煽り不信感を募らせる一因になっているのは間違いないです。
これらのことを考えると、原発には相当に厳格な管理運営が求められ、しかもその管理運営体制は相互監視が働くような成熟した組織である必要があります。
原発反対!ではなく、どうしたら原発を安全に操業することが出来るか。議論の論点をその辺りに絞っていくことが原発の普及に向けた課題になるんでしょうね。
うちのビルの地下には発電用の自転車が所狭しと並んでいて、いざとなったら社員総出で地域の電力を供給するようになっています。
ミウラが1kW発電するのに排出する二酸化炭素は2グラム。コスト的にも時給300円で済むので、かなりの高効率発電となります。
ということでミウラ発電を普及させていくことにします。
今日は「カーボンニュートラル」
について書きたいと思います。
地球温暖化対策の一環としてバイオマスエネルギーが注目を浴びているのは、前回書かせて頂きましたが、そのバイオマスを燃料として使用する場合については
化石燃料と同様に二酸化炭素(CO2)の発生はありますが、植物は成長過程で光合成によりCO2を吸収しているため、ライフサイクル全体でみると大気中のCO2を増加させず、収支はゼロであるという考えが
「カーボンニュートラル」です。
あくまで考え方ですよ。実際にはCO2は発生していますから。
あくまで考え方です。本当はCO2発生しちゃってるんですよ。
または企業が自分たちが排出したCO2を植林などで相殺する事業活動もカーボンニュートラルと呼ばれます。
以上カーボンニュートラルでした。
日曜日の朝に『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメ版がテレビ放映されているのをご存知ですか。
お堅い番組が終わった後、何と無しにチャンネルをそのままにしていたのですが、これがいい話で日曜の朝から泣きそうになりました。
目玉の親父が自らの命を賭けて鬼太郎を救おうとした瞬間の一言。
『子の命が危ういときに、自らの命など惜しいはずがない』
親が子の命を奪い、子が親の命を奪う昨今。ワイドショーやニュース番組からは連日、凄惨でショッキングな事件事故が流されています。
前にブログでも触れましたが、「メディアの在り方」にも間接的に責任があると思っています。同じニュースでもどれだけ凄惨さをだせるかみたいに競い合っているメディアにはホントに辟易としています。
狭山ヶ丘高校の小川校長先生が仰った言葉に「人間を矮小化してはならぬ」というものがあります。子のために死ぬのは親として当たり前であるし、その行為を他人や国というレベルで広げていった人たちが英雄なのだと。そういうことの出来る人間たちを矮小化するようなことがあってはならぬということです。
市街地への墜落を避け、自らの命を捨ててまで被害の少ない河川敷に墜落した自衛隊パイロットのお二方。脱出装置を早く作動させれば自らの命は間違いなく助かったはずなのに、自らの命と引き換えに被害を最小限に留めたお二方のような英雄たちが人間にはいるんです。http://www.nomusan.com/~essay/essay_06_tsuiraku.html
テレビや雑誌を鵜呑みにしてはいけませんよ。彼らは自らの主観を入れていますから事実と異なることもあるんです。
そんな感じです。
今日のお昼ご飯は『カツカレー』でした。 カレーを食べながら、「カレーって環境負荷どうなんだろう?」と素朴な疑問が沸いてきました。
豚肉は養豚でかなりのエネルギーが投入されていますし、調理時にもカツを揚げたりカレーを煮込むことを考えるとやはりエネルギー消費は高いといえます。そして、カツカレーは環境負荷の高いおデブちゃんを生産しますから二次的な影響から考えても環境負荷の高い食べ物ということになります。
ところで何故デブは環境負荷が高いのか。
1.よく食べるから。(多くのエネルギーを必要とする。)
2.一般的にデブは車に乗りたがるから。(車から二酸化炭素が発生する。)
3.多量の汗をかくから。(水蒸気は温室効果ガスである。)
かなりこじつけの部分はありますが、あくまで私のモノサシです。(83㎏あります。)広い世の中、汗をかかないおデブさんもいるでしょうし、アクティブなおデブさんもいることでしょう。
環境負荷の低い食生活を考えてみました。
1.家は海の近く。
2.魚は自分で釣る。
3.野菜と米は自分で作る。(化学肥料は使わない。)
4.火の使用は最小限にする。
痩せるなぁこの生活。