江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

河童の伝えた、家伝通風薬  「伊那の伝説」

2022-12-12 20:40:53 | カッパ

河童の伝えた、家伝通風薬

 

「伊那の伝説」(昭和8年、岩崎清美著、山村書院)には、河童の伝えた薬の話が、収載されている。


伊那郡高遠(いなぐんたかとお:長野県伊那市高遠町:高遠藩の城下町)の殿様の内藤様は三萬三千石であった。
その領分内の川を預かる川奉行の中村新六は、中沢村の大久保に宏大な屋敷を構えて居た。

近い所を天龍川が流れていて、その深い淵の中には河童(カワランベ)が住んでいた。
時々通行人を水の中へ引つ張り込んで、しんの子 を抜くと云ふうわさであった。
この河童は、全身が真っ青で、長い頭髪を生やかしていた、と云う話であった。

或る日、川奉行の新六殿の馬が、その淵のほとりを通りかかった所、水の中から河童が手を出して馬の尻尾をつかみ、力一ぱいに水の中へ引き込もうとした。
河童は水の中に居る時は非常に力の出るものだそうである。
馬はびっくりして、これも一生懸命に引っ込まれまいと足を踏ん張り、ここに河童と馬との力比べが始った。

ややしばらくもみ合った未、河童の方が負けて、河から外へ引きあげられてしまった。
急いで、手をはなそうとしても、馬のしっぽをあまり固く手にぐるぐると巻きつけていたために、早速離す事も出来ず、もがいている間に、馬はどんどんと駈けだした。
河童は、そのままするずるずると曳きずられて、とうとう新六殿の家敷の厩(うまや)の中まで連れ込まれた。
そこで河童もようやく手をはなした。
水はないかと捜して見ると、丁度 馬槽(うまぶね)の中に水が一ぱいあったので、早速その中へ入って隠れていた。

やがて下男が、馬に餌をやろうと厩へ来て見ると、馬槽(うまぶね)の中に河童がいた。
「不届な奴」とすぐに捕まえられて、主人新六殿の前へ引きだされた。

河童は両手を合わせて拝みながら
『命だけはお助け下さい、そうしたらそのお礼に、妙薬の作り方を御伝授致しましょう。』
と頼んだので、新六殿も、殺して見た所が無益の殺生だから、と助けてやった。

河童は、大いに喜び、新六殿に妙薬の製法を教えてやり、自分は再び河の中へ帰って行った。

それからして、その薬は家伝の妙薬として子々孫々まで伝わっている。
『家伝通風薬』と言う名前で、今でも盛んに売れている。

大変に良く利く薬だそうであるが、
河童に伝授されたその部屋で製作されたものでないと、利き目ががない、と言う話である。

編者注:
~~より伝えられた秘薬とか妙薬、と言うのが、あちこちにあります。このように、権威付けて、売ったのでしょう。
このような話を、ばかばかしいと言うのは簡単です。しかし、今も、このような話で満ちあふれています。

現在でも、マーケティングの世界では、「物を売るな」、「物語を売れ」などと言う者がいる。
何も大したことが無いものでも、物語をつければ、高く売れると言うことです。
具体的にあげると、苦情がきそうです。
何かは、想像してみて下さい。あまりにも、多すぎますね。
また、物だけではなく、世の中、そういう人たちものさばっていますね。

 

 


新説百物語巻三 9、親の夢を子の代に思ひあたりし事

2022-12-12 18:41:36 | 新説百物語

新説百物語巻三 9、親の夢を子の代に思ひあたりし事

 

9、親の夢を子の代に思ひあたりし事  

敦賀に日蓮宗の信者の老人がいた。
代々の日蓮宗の熱心な信者であった。

あるとき、我が子にこんな事を語った。
「夕べは、ふしぎなる夢を見た。
所はどこであるかはわからない。
ただ黙念(もくねん)として居たが、えも言われない不思議な香りがして、音楽など聞こえてきたので、不思議な事であるかな、と思っていた。
そこへ、六尺ばかりの阿弥陀如来が、まさしく目の前に現れてきた。
そして、『我は、これ戒光寺の仏である。汝(なんじ)は、おこたらずに御経を読むことは、立派なことである。
それによって、来世は極楽世界に行ける事は疑いない。』とのたまって、そのまま姿は見えなくなった。
扨々(さてさて)不思議な夢を見た。」と語った。


それから一二ヶ月過ぎて、この老人は、食べられなくなり、十日ばかり病に伏せっていた。
そして、「あれあれ、又々 戒光寺の阿弥陀如来が御出になった。」と、手をあわせて拝み、そのまま息たえて、亡くなった。

その後一二年もすぎて、その子は、用事があって、京へ上った。

ついでに、都の名所などたづねめぐり、泉涌寺にも参拝した。
ある寺の仏を拝んだが、以前に父親の話に詳しく聞いた仏様に少しも違わなかった。
これは不思議な事かなと思って、その寺の名を尋ねると、「戒光寺である」、との答えであった。
あまりの事のふしぎにも有難く、又親のことなど思い出して、涙を流し、敦賀に帰ってきた。

「世にはふしぎなる事もある。」井関氏と言う人が語った。