「世直し太郎」の政局斜め読み

偏向マスメディア報道の本質を直観力で読み解き、内外の話題を大胆に斬っていきます。とりわけ大中華帝国主義許すまじ!です。

欧州の反イスラムというpatriotism(愛国心)こそ問題の本質ではないのか?

2015年01月19日 | 外交・安全保障問題
 先に解説しては失礼だとは思いますが、一般的には下記の山久瀬 洋二氏の考察が現代人の教養人の見解ではかなり筋の良いほうだと思います。
特に、patriotism(愛国心)とfundamentalism(原理主義)の解説で、「イスラム原理主義者をfundamentalism(原理主義)と呼ぶ」ような
典型的な解釈がに対して、「fundamentalismは、イスラム社会のみにある現象ではないのです。」と言っている点は重要です。

なぜなら、fundamentalism(原理主義)は英語ですから当然、英語文化圏で創られた概念で、
山久瀬氏の言う「アメリカでキリスト教への厳格な回帰によって、グローバルな協調を拒絶して社会造りをしようとする人々。」
すなわち「聖書原理主義者」のことを指しますよね。
イスラム教はそもそも「コーラン」のみに法帰依していますから、そもそも原理主義者であるわけです。

と言う訳で、山久瀬氏の言う「多様性を許容するもの」とは何かという点が今年のポイントですが、
ホッブスの言うビヒモスの登場で「EU崩壊」は現実味を帯びるかもしれません。

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Yoji Yamakuse
山久瀬 洋二
1955年大分県生れ
大手出版社のニューヨーク駐在員を経て現地で起業。同地と東京を中心に100社近くに及ぶグローバル企業にて、国際環境での人事管理、人材開発などのコンサルティング活動を展開し、4000人以上のエグゼクティブへのコーチングを実施。著書は「日本人が誤解される100の言動 <http://www.ibcpub.co.jp/taiyaku_korean/9784794602121.html> 」「言い返さない日本人 <http://www.ibcpub.co.jp/taiyaku/4794600275.html> 」など多数。

Huge crowds and some 40 world leaders have gathered in Paris for a unity march after 17 people were killed during three days of deadly attacks.(3日間の血なまぐさい戦闘で17名の死者をだしたことをうけ、大規模な群衆と40カ国前後の世界のリーダーがパリに集まり行進をした。)

年始早々にパリを襲った惨劇は、言論の自由を象徴するジャーナリズムをターゲットとした殺傷事件だけに、世界中にショックを与えました。

この事件、単にイスラム原理主義者の過激な行動による犯行だと片付けるには、余りに多くの背景があることを、ここで整理してみたく思います。
英語を学ぶ皆さんは、少なくとも世界に興味がある方々だと思います。
実は、今日本を含む世界が未来への不安に揺れているのです。それを冷静に把握するポイントとして、patriotism(愛国心)とfundamentalism(原理主義)という二つの単語をここに並べてみます。

事件のおきたフランスは、最近EUやユーロ圏からの離脱を求める運動が拡大し、政治的に揺れていました。
お隣のイギリスでは、昨年スコットランドをイギリスから分離独立させ、逆に民族の自立を保ちながら、EUの経済圏の中で新しい国づくりをしようという動きが、スコットランドでの住民投票にまで発展しました。
そして、東をみれば、ロシアでは、クリミア半島のウクライナからの分離とロシアへの併合の折に、プーチン大統領が、クリミア半島の歴史とロシア民族との関係を強調し、ロシア人の世論を大きく揺り動かしました。

これらの動きに共通していることは、歴史を振り返りながら、自らの立ち位置を考え直してゆこうというナショナリズムの潮流です。このナショナリズムを弁護する言葉がpatriotismです。それはアメリカでも日本でも、中国でも世界中の国家で前向きな概念として捉えられている言葉です。

一方、イスラム社会では、西欧社会との確執が長引く中で、自らの文化や伝統への急進的な執着が、他者を暴力的に排除していこうというfundamentalism を産み出しました。今回の犯行はその潮流の中でおきた悲劇といえます。
しかし、fundamentalismは、イスラム社会のみにある現象ではないのです。例えば、ウクライナへの侵攻を続けるロシアの一部の民兵。アメリカでキリスト教への厳格な回帰によって、グローバルな協調を拒絶して社会造りをしようとする人々。ドイツやフランスでの移民排斥運動の背景にある、国家やキリスト教、あるいは自らの民族に関する至上主義など、fundamentalismの事例は世界に拡散します。もちろん、日本国内にもそうした人々が多くいることも理解しておく必要があります。

今、世界を混沌とさせているのは、このpatriotismとfundamentalismとが歩み寄り、時には微妙に融合しながら、世論が変化しつつあることです。

元来、patriotismは、自らのルーツを大切にしようという考え方でもあり、それ自体が危険なものかというと、そうではありません。むしろ、patriotismを抱きながら、他の伝統や文化をも同時に重んじ、共存することの重要性が、20世紀後半の社会の潮流を造ってきたことは知っておきたい事実です。そのお陰で、西ヨーロッパには戦後70年、極東では朝鮮戦争以来60年以上にわたって、武器による紛争のない奇跡がおきているのです。
それは、個々の伝統や文化をdiversity(多様性)として捉え、diversityを重んずることで、人々が共存する社会を造ろうという、patriotismを前向きに捉えていった意識によって保持された平和といえましょう。EUはその象徴的な実験の場であったのです。

その考え方を脅かしているのがpatriotismとfundamentalismとの融合です。それは、diversityによって産み出されようとする社会への反動力となって、世界の様々な地域を混沌に導いているのです。
このことが、今回のパリで起こった惨劇に、世界が強く反応した理由に他なりません。言論の自由はdiversityへの尊重がなければ成り立たないからです。

そして、今回の惨劇が、イスラム社会への偏見を助長したり、移民の流入を促進させる結果となっているEUの理念への警鐘と捉えられたりすることへ不安を抱く人も多かったはずです。

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