桜和尚ブログ

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◆鎮魂の桜の森で一泊プチ修行「生と死の体験」

2015年10月10日 | マインドフルネス

    

 

東京のGCストーリー㈱の皆さん6名が、1泊で石巻観音寺(桜の森)にプチ修行(マインドフルネスリトリート)に来ていただきました。

社長の西坂さんとは臨床宗教師でご縁があり、社員の皆さんで「一度来てみませんか」と、私からお誘いしたのがきっかけで実現しました。

慌ただしい都会の喧騒から脱出し、自然の中でストレスフリーになって、普段見えない聞こえない何かに気付き、感じてほしいと思いました。

お寺の生活やマインドフルネスの体験は、きっと仕事や普段の生活にも役に立つのではないかと・・・。

また、この場所は「生と死」をコンセプトとして森づくりを進めていることもあって、死の体験旅行もワークに取り入れました。

以下は、参加者の方々の感想です。


gCストーリー株式会社 高沖さんの感想

今回の旅を受けて、マインドフルネスとは、意識を向ける・集中させることによって、普段認識できていない領域を知覚する・自覚することと理解しました。

何かを新たに生み出すのではなく、既にあるものがあることに気づくことで豊かになることがある、そんな風に感じました。 それは日常の、例えば都会での生活でも同じで、意識を高めることで普段聞こえていない“音”や“声”が聞こえたり、感じていなかったものが感じられたりするのかなと思っています。

東京に戻ってからも、ご飯の際には一口ひとくち、一品いっぴんを噛み締めていただくようにしています。 同時に、人によっては感覚を掴みにくいのではないかと感じました。 例えば、30秒間は味わい続ける、というようなガイドをしてあげると、回数や噛むことそのものに気を取られずに味わうことに集中できるのではないかと思いました。

また、マインドフルネスの実践以外のところでも大変良い経験ができました。 特に印象深かったのが、田園風景を眺めながらの瞑想でした。 日本の美しさを再認識しながら、その感動のうちに心を解放することができました。 (内観よりも、自然とひとつになっていくような、自分が空っぽになる感覚でした)

2日目の朝ご飯も、檀家さんに振る舞っていただいたことで体験の価値が上がりました。 当たり前にある人と人とのつながりを実感できることが重要だと思いますので、その点をもっと強調してもいいように感じました。 (進んでお宅を訪問させていただく、朝ごはんをご用意いただく、という助け合い・お互い様の精神が根底にある) お寺という場の力も大きいと思いますので、死の体験旅行など、より場所を活かした形にしてきけば、よりコンテンツとして魅力のあるものになると思います。 可能ならば、例えば仏様の前で円座したり、“死”を感じるタイミングで音を鳴らしたり、ストーリーを脚本のように固めておくなど、効果を高める方法があるように感じました。


マインドフルネス体験レポート gCストーリー株式会社 高齢者福祉事業部 木塚俊介さんの感想

【参加のきっかけ】 これまでマインドフルネスについての前知識はほとんどありませんでした。

かねてより、瞑想や座禅、滝行、写経などお寺で行うを周りの方にお誘いを受けてはいましたが、なかなか機会に恵まれなかったところ、社内メールで今回のお寺研修の案内があり、今回参加させていただきました。

ただこの度の正直な心持ちとしては、瞑想を通じて何かを得たいというよりも、そもそも瞑想とは何の為にするのだろう?と言う好奇心の方が先に立っていたかも知れません。

【マインドフルネスの感想】 座って目を閉じると、すぐ眠たくなったり、色々余計な事を考えてしまうのではないかと思っていましたが、杞憂でした。

目を閉じ、言われた通りに自分の呼吸に気を使い、手の指先に意識を集中していると、眠気どころか、自分の感覚が鋭敏になっていくのを感じました。 自然の中の、静かな環境でした。静かすぎて「シーーーン…」と音が聞こえ、音楽スタジオの中のようだなと感じました。

次に、その「シーーン」の音がカラスの「カア」で破られ、それからはさっきまで気付かなかった、周りの住民の立てる生活音や、風や虫など自然の音が遠くから聞こえて来るようになりました。 指先に意識を集中する事で、他の感覚が鋭くなる、初めての体験をしました。

マインドフルネスの実践は、座って行うだけでなく、食事や歩行中、色々な場面で行なえるとの事なので、是非生活に取り入れてみたいと思います。

聞こえていなかった音が聞こえ、見えていなかった存在に気付け、より深く生きられる感性が身につくのではないか?と今は感じています。

 

◆田頭和みさんの感想

初めてお目に掛かった時から、いつか訪問させて頂きたかった 後藤さんの桜葬、現場に伺えて光栄でした。

気持ち良い見晴らしで、あそこに入ることができたら どんなに気持ち良いかと思いました。

また、素敵なデザインの慰霊碑も 瓦の重みを感じました。 特別な場所であることを改めて感じました。

私にとっては、桜と檀家さんが振る舞って下さったお食事と あの雰囲気が印象的でご馳走でした。 地域の繋がりの要をお寺が担っている、素敵な形だと思いました。

死体験やマインドフルネスは微妙にかじっている事もあり もう少し集中したかったというのが感想です。 せっかく特別な場所ですので 東京では出来ないことをされると もっと魅力を感じたのではないかと思います。

石巻だからこそ お寺だからこそ 後藤さんだからこそ に価値があるのだと感じました。 素敵な時間をありがとうございました。

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参加の皆様、丁寧な感想を書いていただき、ありがとうございました。

経験不足もあり、指導力不足もありでしたが、幸い天気には恵まれました。

朝、森の中で皆さんと瞑想していると、ちょうど朝日が額に差し込んで来ました。

身体が光りに包まれるような、とても柔らかで温かな初めての感触でした。

前夜死の体験を経て、今朝朝日を浴びて生きていることを実感する。

これが「擬死再生」なのかと思いました。

 

宜しければまた来てください。私も修行させていただき感謝です。ありがとうございました。

 

 



◆奥州市ケアマネ研修会で臨床宗教とマインドフルネス体験

2015年10月09日 | 臨床宗教師

奥州市のケアマネ支援研修会で、「自分らしい生き方逝き方」という内容でお話させていただきました。

参加したのは、市内の介護支援に勤務する支援専門員の方々130人。

皆さんには、臨床宗教師としての立場から話を聞いていただいた後、 意見交換及びグループワーク、そして発表していただくという内容です。

死の不安を感じる患者や家族に寄り添い、仏教的看取りを考えていこうというものです。

また、スタッフ(介護従事者)のストレス低減と燃え尽き(バーンアウト)を防止するのに効果的な

マインドフルネスを体験していただきました。

まず、気持ち良い呼吸でリラックスしていただきながら、心の平安へと導きます。

あまり気持ちが良すぎて、イビキがどこからか聞こえてきたりしますが、それも良しです。

130人がシーンと静まり返ると、何かそれだけで充実した場の空気が生まれてきます。

 

今までは病院で死を迎えていましたが、これからは家族や地域が担う時代に変わっていきます。

死とどう接するか、心理的負担をどう軽減するかという問題と、正面切って対応しなければなりません。

仏教的な看取りを少しでも多くの皆さんに知っていただき、考えていきたいものです。

 


石巻で初の樹木葬説明会開催

2015年09月03日 | 鎮魂の桜の森

石巻で樹木葬の現地見学会と説明会を開催しました。

参加自由、申し込みも不要ですとの前触れで、「さて何人来て頂けるだろうか?」と心配していましたが、

当日は16組の方々にご参加頂きました。

樹木葬の説明の前に、最初に開園に至るまでの経過説明をさせていただきました。

きっかけは震災でした。

石巻の多くの犠牲者の鎮魂供養のため、平成23年の6月から、桜の植樹活動を始めました。

最初は、知り合いの寺院の境内などに植えることができたのですが、

復興が進むにつれ、市からの許可された植樹場所は堤防工事のため

3年は植えられないと伝えられました。(4年過ぎた今でもまだ工事中です)

それでは、自分の(生まれた)寺の山に植えるしかないと考え、檀家さんと鎮魂の桜森として

始めたのが、この場所(石巻の観音寺裏山)です。

この活動始めたら、全国から支援が届くようになり、植樹と合わせて慰霊碑を建立(計画)することができました。

この慰霊碑建立予定の新聞記事が掲載されたことにより、あるお年寄りからお電話を頂きました。

「自分は息子たちも津波で亡くなり、墓も流され、仮設で夫と暮らしている。慰霊碑にお墓として入ることができないか」

というお電話でした。

新聞をご覧になった一般の方にとって、寺山の慰霊碑に納骨できると思ったのかもしれません。

丁寧に事情をご説明し、今のところは納骨はできませんと、お話ししました。

しかし、この電話で多くの方が墓を失い、自分たちも高齢になり、後のことが心配だというお年寄りがいることを実感しました。

それなら、後々管理が簡単で、永代供養ができて、費用もあまりかからないお墓のカタチをいろいろ考えてみようと思いました。

そして、出た答えが「樹木葬」だったのです。

(続く)

 

(春に植えたヒガンバナが咲きました!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


◆河北新報に掲載「臨床宗教師の社会的使命」

2015年08月07日 | 臨床宗教師

臨床宗教師として生と死にどう向き合うか

河北新報の松田記者が、わざわざ仙台から一関に取材に来ていただき、記事にして下さったのが下記の文章です。

松田さんはマインドフルネスという心のエクササイズにとても詳しく、マインドフルネスを単なる「心のケア」

とは表現しないほうが良いとの考えを持っています。

これには私も同感です。

ただ、マインドフルネスがまだまだ知名度が低く、どのようなものか読者に伝える場合、

「心のケア」と表現したほうが一般にはわかりやすいので、メディアなどでは仕方がないこともあります。

記事は松田さんが、心のケア的表現を用いない絶妙な工夫がなされていて、とても好感を持ちました。

ところで、

私は昨年から、臨床宗教師がマインドフルネスによって終末の緩和ケアができるのではないかと考えていました。

ところが、この考えで既に以前から実践している方がいらっしゃったのです。

その方はジョアン・ハリファックスさん。(著作に死にゆく人と共にあること--マインドフルネスによる終末ケア)

藤田一照老師(曹洞宗国際センター所長)から、この本をご紹介頂きました。詳しくは、また後述します。

 

とりあえず河北新報の記事を以下引用掲載します。

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<祈りと震災>臨床宗教師、社会的使命を模索

死と生にどう向き合うか。僧侶と臨床宗教師として語り掛ける後藤さん=7月13日、一関市川崎町

 

◎介護施設で仏教セミナー/心の平穏へ瞑想導入

 東日本大震災をきっかけに東北で生まれた臨床宗教師が、社会的役割をより広げようと模索している。

一関市川崎町の常堅寺住職、後藤泰彦さん(55)は地元の介護施設で仏教セミナーを始めた。

忍び寄る死の気配や大切な人を失った悲嘆に伴う根源的な苦悩を受け止め、宗教者としてそばにいるという臨床宗教の考え方に、瞑想(めいそう)などを取り入れている。
 

川崎町の特別養護老人ホーム寿松苑で7月中旬、「みとりセミナー」があった。講師に招かれた後藤さんは参加したホームのスタッフら約20人に語り掛けた。
 「震災は不条理にたくさんの命を奪った。『なぜ人は突然死ぬのか』『どうして災いが自分にばかり降り掛かってくるのか』…」
 

震災が人々に突き付けた深い苦悩にいかに寄り添うかは、臨床宗教師の大きなテーマである。

 後藤さんは続いて、宗教色を抜いた瞑想の時を設けた。参加者の呼吸を整えながら穏やかにつぶやいて瞑想に導く。

マイナス的な感情の改善などに役立つ「マインドフルネス」と呼ばれる手法だ。
 

後藤さんは震災後に東北大が開設した臨床宗教師研修に参加。臨床宗教のアプローチから死と生を考えた。一方で、マインドフルネスを仏教的視座から深めることは安定的な心の平穏につながると考え、学びを重ねている。
 

臨床宗教師の存在はまだ一般に浸透しているとは言えず、関係者は認知度を向上させ実践の場を確立していこうと、手探りの日々だ。マインドフルネスと合わせることで、新たな可能性が広がるかもしれない。


 「みとりに関わることがある介護施設の若い職員らが、死に向き合う際の心の持ちようをそれぞれに考える場にもなる」と後藤さん。臨床宗教師がこれからの社会で担う使命を思う。

 

以上


◆グーグル社のマインドフルネス

2015年07月05日 | マインドフルネス

グーグール社員の10人に1人が実践していると言います。

それも会社からの命令でもなく、各自が自発的に行っているというのです。

確かに最初は、アメリカ式のなんでも目的をもって、会社の利益や自己の目標達成のための

メソッドなのかと思って読み始めました。

しかし、思いやり、自己観察、信頼などの気付きが向上し、結果的には

社員の連帯感、最終的に会社の繁栄、さらには人々の平和や幸福、環境保護などにも

発展していくのだと、読み取ることが出来ました。

そして宗教色を取り払ったことが、普及の最大の原因です。

仏教側からすれば、「マインドフルネスも元の始まりはお釈迦様なのですよ」

と、主張したいのですが、仏教も宗教も取り払うことによって、

広く人の垣根を超えて、イスラムにもキリスト教にも、世界中に広がる要因になっています。

なおかつ、無宗教のマインドフルネスから、興味があれば仏教へ入るのもやぶさかでない、

ともいいます。

そこは個人の問題で、仏教的マインドフルネスの指導者に教えを受ければ良いことと

本の中に書いています。

 

何も求めない、目的を求めない、ただひたすらに・・という、禅や仏教の教えは、

高尚で深遠な宗教の枠組みなので、次のステップで、個人的にどうぞ、ということなのかと思います。

なんでも利益追求の、アメリカ式メッソドとしてのマインドフルネスか?という先入観がありましたが、

慈悲、思いやりという言葉もあり、思い込みを少し方向修正しなくてはいけません。

 

それにしても、日本的な日本人向けのマインドフルネスがあっていいと思います。

試行錯誤が必要です。