東京・台東区で発生した「母親殺害事件」・・・
娘(15)が逮捕された時点で「母親・・・」となり、マスコミが何度も報道する事になりました。
その娘が黙秘していると言うのも、ほぼ同時に流れた。
娘が密室(自宅)で親を殺害・・・そして黙秘。。。
調べる警察にしても、娘に疑いを持った時から、未成年者でもあり、かなり慎重に捜査を進めたと想像できます。
しかし、心の何処かに「子供相手」と言う気持ちが捜査員の中にあったら・・・
この娘が今後どんな態度をとるかは解らない、黙秘や否定していても、ある時には自供するかもしれない。
たとえ自供しても、その後に否定するかもしれない。
もちろん捜査当局は考えられる事はすべて考えたと思います。
その対象者は娘だけじゃなく、亭主・被害者と交際のある人達・近所の人達だけに留まらず、まったく他人の殺人。
調べるうちに、それぞれの理由(事実)から、対象から除外して行き娘に絞られたと考えられます。
いわゆる消去法です。
現時点で報道されている内容だと、それを聴いた多くの人が娘が犯人と思っているでしょう。
ところが、、、、
「私はやっていない」と長年言い続け・・・
五年先、十年先にこのニュースを聞くと・・・「もしかしたら・・」と思う気持ちが出てきます。
凶器となったタオルに娘のDNAが付着していたらしいが、、、家のタオルに娘のDNAが付いていても不思議じゃない。
殺害時に付着したとは証明できないでしょう。
犯行可能な時間にはマンションに娘以外に誰も入っていない(防犯カメラ)。
これも確実とは言いにくい、何処かに穴があるかも知れない。マンション内からの移動はどうだったのか・・・。
こんな素人が考えるような事は当然調べているとは思いますが、、、
容疑が娘に向いたときに、それらの調べをやめたり、浅い調べで終了させてはいないだろうか・・。
捜査のプロ達にとって「間違いない」と確信が有るから逮捕したのでしょうが、
素人でも「間違いない」と確信がもてる理由(証拠)を意識しているだろうかが問題で・・・
それを怠ると将来に「冤罪事件」となります。
無実の人を犯人として扱い、その人の一生を台無しにしてしまう事は絶対に有ってはならない。
それと同時に
真犯人を冤罪事件の被害者にしてしまうような事も絶対に有ってはならないと思います。
娘(15)が逮捕された時点で「母親・・・」となり、マスコミが何度も報道する事になりました。
その娘が黙秘していると言うのも、ほぼ同時に流れた。
娘が密室(自宅)で親を殺害・・・そして黙秘。。。
調べる警察にしても、娘に疑いを持った時から、未成年者でもあり、かなり慎重に捜査を進めたと想像できます。
しかし、心の何処かに「子供相手」と言う気持ちが捜査員の中にあったら・・・
この娘が今後どんな態度をとるかは解らない、黙秘や否定していても、ある時には自供するかもしれない。
たとえ自供しても、その後に否定するかもしれない。
もちろん捜査当局は考えられる事はすべて考えたと思います。
その対象者は娘だけじゃなく、亭主・被害者と交際のある人達・近所の人達だけに留まらず、まったく他人の殺人。
調べるうちに、それぞれの理由(事実)から、対象から除外して行き娘に絞られたと考えられます。
いわゆる消去法です。
現時点で報道されている内容だと、それを聴いた多くの人が娘が犯人と思っているでしょう。
ところが、、、、
「私はやっていない」と長年言い続け・・・
五年先、十年先にこのニュースを聞くと・・・「もしかしたら・・」と思う気持ちが出てきます。
凶器となったタオルに娘のDNAが付着していたらしいが、、、家のタオルに娘のDNAが付いていても不思議じゃない。
殺害時に付着したとは証明できないでしょう。
犯行可能な時間にはマンションに娘以外に誰も入っていない(防犯カメラ)。
これも確実とは言いにくい、何処かに穴があるかも知れない。マンション内からの移動はどうだったのか・・・。
こんな素人が考えるような事は当然調べているとは思いますが、、、
容疑が娘に向いたときに、それらの調べをやめたり、浅い調べで終了させてはいないだろうか・・。
捜査のプロ達にとって「間違いない」と確信が有るから逮捕したのでしょうが、
素人でも「間違いない」と確信がもてる理由(証拠)を意識しているだろうかが問題で・・・
それを怠ると将来に「冤罪事件」となります。
無実の人を犯人として扱い、その人の一生を台無しにしてしまう事は絶対に有ってはならない。
それと同時に
真犯人を冤罪事件の被害者にしてしまうような事も絶対に有ってはならないと思います。