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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

難癖のクレーマー_:(´ཀ`」 ∠):

2018年07月25日 09時44分13秒 | 差別と偏見
小学校一年生から四年生の一学期まで今の平野区内の団地に住んでいました(O_O)
市営住宅です。

父は誰かの口添えで入居したと母に言ってました。

今、思うと変わった人が多かった。
また生まれつきの障害を持つ子供や片足のない
おばさんも。
子供心に、なんか変だなぁと。

当時は団地タイプの建物が多かったですが。
中には木造平屋の連棟家屋もありました。
子供は大変、多くいましたねー。

最近、気になりネットで調べると。
どうやら、そこらへんの団地は
地区のようです。

私達家族は外からの人間でしたが。
母は差別意識は全くない人なので近所の奥さんとは直ぐに仲良しになっていきました。
ホント、素のままに接していたし。ところどころ東京の言葉を出してましたから
近所の奥さんも外から来た一般人でありながら
友好的に母には接してくれていたように思います

約3年ほど市営住宅で暮らしましたが。
至って普通でした。

母は暫く年賀状のやりとりもしていましたし。
母には地区など知る由もなく。
人間、みな平等(^。^)

そして四年生の一学期が終わった夏休みに
寝屋川市へと引っ越したのです。

あれから50年近い年月が過ぎ。
大人になると、色々と分かってくるもんです。

私は最初に結婚して門真市に住み、その直ぐに八尾市へと転居したのです。
長い間、京阪電車を利用していたのが近鉄電車。
大阪ではガラの悪い河内の真ん中。

でも住めば都(^。^)
山本高校近くの住宅地内にある小さなマンション
八尾市内でも比較的、治安は良い場所でしたが。
『八尾には西郡と安中ってとこあるけど、あんたは知らんやろ?』最初の妻の母が言ったことがありました。
西郡は八尾市北部で旧西郡村。今は桂町、高砂町などで市営住宅も多く建っています。
私が昔、家電量販店に勤務していた時のこと。
その家電量販店は近鉄八尾駅前にありました。
今は無くなってるようですけど。
ある日のこと。
『おい、Y!お前、どんな風に掃除機を売ったんや?えらいクレーム来てるぞ。』上司から言われ『は?普通に接客してますけど?』
『こんな吸いすぎの掃除機は不良品や!言うて電話があったわ!ちょっと家まで来てくれ!ちゅうてるから、とにかく行ってこい!』
行き先の住所を見ると
八尾市◯◯町。そこは八尾市北部の地区。

まだ若かった私は何も知らずに向かいました。
なんの偏見も差別意識もありません。
そういう地区という認識だけでした。
自転車に乗り言われた住所は団地ばかりの場所。

伝票に示された部屋の号室の呼鈴を鳴らすと中から奥さんが出てきました。
『お電話頂いたM電化です。』
『あ、あんたや!あんた!私の事、覚えてるやろ?』
よく見ると少しずつ思い出し、もう一度、伝票を見ると、その掃除機は日立製で高性能掃除機。
価格も高い品物でした。
『ちょっと待っててや。』奥さんは部屋の奥へと行き、暫くして戻ってくると。
『このブラシがあかん!ほんで吸いすぎて掃除しづらいわ。そやから、これ返品するから、お金返して!』一方的に言われ『あの。奥さん、このブラシが髪の毛とかを吸い取ってブラシに絡みつかせるのが普通なんです。また吸引力が強いのは高性能ですから。他のお客様から、この製品で苦情を受けたことはありませんが。吸いすぎで使いづらいってどういう具合ですか?』
すると奥さん。
『床に張り付いて、しゃーないねん。力が要るし!』
はぁ?と心の中で呟きながらも説明をしましたが
『こんな商品は要らん!お金返して!』と言うばかり。
『一先ず預からせてください。店に帰って上司と相談してからご連絡致します。』
ブラシは髪の毛まみれ。
本体は置いていきブラシだけを店に持ち帰って上司に報告しました。
どうみても商品の欠陥はありません。
店に陳列している同じ型の掃除機で試してみても普通に使えます。
『わかった。ま、返品を受けてあげなさい。ここらの人、怒らせたら、後々、何があるかわかったもんやないしな。』
え?どういうこと?と思いながら返品を受けることに。再び、訪問してお金を返金すると
『ま、M電化さんが悪いんちゃうもんね。日立やもんね。またM電化さんのこと贔屓にするから。ごめんやで。』お金を返すとクレームの時の形相とは打って変わって笑顔。
『はい。ありがとうございます。』とお礼を言って店に戻ると
『あんな返品の仕方は普通はあらへん。前にもビデオで苦情受けてな。S社製ビデオを1日で10台以上、返品されたんや。ちょっと怒らせてな。ま、笑顔でお金受け取ったんやったら大丈夫やろ。』店長は苦笑いしながら言いましたが。

なんとく後味の悪い出来事でした。
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自分のルーツは?( ̄^ ̄)

2018年07月24日 13時27分07秒 | 差別と偏見
私の父は滋賀県の出身。
大阪へ調理師の板前になるためやってきたらしいのですが。
父の事は未だあまりよく分かりません。

ただ。
パズルを作るように一つ一つ。あてはめていくと
もしかしたら?と最近、思っていたり。

母は東京出身の東京育ち。
出自も明確なのですが。
東京の人は地区すら知らない人が多いですが特に当時は地区より在日への偏見が強く。
父が母を嫁にください。と母の両親に申し出たとき、祖母は『日本人なのかい?』
第一声がそれだったことを亡くなった母から聞いたことがあります。
母は未子なので結婚相手に特に、祖母も祖父も煩く無かったらしく。
根っからの江戸っ子の祖父は父が握った寿司を食べて『いいじゃねぇか。』と一言で母と父の結婚を認めたそうです。
父の出自など無関係みたい。
祖母も『日本人かい?日本人ならいいよ。』と。

明治生まれの祖父母の時代は特に在日朝鮮人に対する差別意識が強かったようです。

それは関西も同じですが関西には地区への差別と偏見が強く残っています。

私が小学校一年生の時。
大阪市城東区のアパートから団地へ引っ越しましたが。今から思うと、どうも変な団地でした。

両親は四畳半一間で風呂もトイレも部屋にはなかった場所からトイレ🚽があり2DKの広さに満足気でした。
まだ少年のわたしには分からない世界だったのかも知れません。

『ここに越してきたけど。レベルが低いところやから、またいつか引っ越しするからな。』
父は、どんな意味を含めて言ったのか?それは謎です。既に他界してますし。

その団地は当時は東住吉区内でしたが、やがて平野区と区が変更されています。

いわゆる市営住宅_:(´ཀ`」 ∠):

大人になり。
やっと分かったこと。
もしかしたら?
そんな事を心に持ちながら一度、父にそれとなく
『今、学校で差別について道徳の時間にな話し合いしてんねん。』と言うと
父は『そうか。』とだけ。
腑に落ちない日が続き
ある日、父の友人が遊びに来たときに同じ事を言うと、父の友人が私の言った何が気に入らなかったのか激怒したのです。
父が『まぁまぁ。子供が失礼な事言うてすまんな。許したってくれや。』とその場は治ったものの。未だに何故?父の友人が激怒したのか分かりません。

そんなこんな。振り返って振り返ってみると。
もしかしたら。

私は脳出血で入院中から色々とネットで調べていたのです。
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知らぬが仏d( ̄  ̄)中河内の地区

2018年07月23日 14時07分28秒 | 差別と偏見
関西には地区が、そこそこ点在しています。
社会人となるとまでは直接的に関わる事が無かったのですが消費者金融会社に勤めてから。
ちょくちょく見聞きすることがd( ̄  ̄)

昭和50年代後半でした。
私が管理部門へ配属され、督促をしている傍ら隣のデスクの担当者が。
『なんで、ここの地域の、この属性で貸すんや!コケるに決まってるやろ!』とそこそこ大きな声でボヤいていたのです。
『コケる』→焦げ付くと解釈してください(^^;)

顧客台帳を見せてもらうと。
『大阪府◯◯市◯◯町って、コケる地域なんでさか?』何も知らない私が尋ねると。その担当者は
『ここは、や。』と一言。
『え?って??小学校の時••••』更に尋ねる私の声を遮りながら。
『全部とちゃうで。もちろん。この人の属性見てみ?』

住まいは団地。仕事は土木作業員、独身で両親と同居。
『たしかに高額は貸せませんけど、当時は他からの借り入れも少なかったし10万円くらいなら貸してしまうんちゃいますか?』と答える私。
すると担当者は
『ここは、結構、キツイとかなんや。本人さん見てないから、どうとも言えへんけど、まぁ、体良く断った方がいいとかやな。』

こんな会話は時々、出てました。
そんななか。
私の担当債権で大阪の中河内に位置する◯◯市に住んでいる債務者の女性が半年も延滞していながら全く入金がありませんでした。
『え?1円も?入ってないやん?』
まだ23歳の私。世間知らずもいいとこです。

督促記録を読んでみると?
『はぁ?自宅に行ったら、いつでも在宅してるやん?なんで入金ならんの?』
素朴な疑問d( ̄  ̄)

訪問決裁を取り中河内の延滞債権数件をピックアップ。もちろん、この女性の債権がメイン。
会社のリースカーを使い現地へ。

そこはJRの駅から近い場所でした。
周辺は少し昔ながらの家もあったり。
とある施設の近くに車を止めて女性宅へ。

辺りをみると。なんとなく雰囲気が(^^;)
その施設を見てみると
◯◯隣保館と書いてあり。
『?隣保館?ってなんなん?』と思いながらスルーしました。

女性の自宅は団地でした。
鉄の扉が🚪重く感じつつ呼鈴を押しましたが。
どうも音はしなく故障??
ノックを何度かすると?
『もう!うるさいなぁ。ちょっと待って!』
しゃがれた声が扉の向こうから聞こえて来ます。
ギー♩
扉🚪が開くなり『どちらさん?』
社名を名乗ると『あー。て?』
『で?じゃあらへんやろ?お金返してくれへんかなぁ。』まだ昭和50年後半。回収に丁寧語は使いませんでした。だって?一年も払わん人です。
『ない!ない!帰って!』
人を追っ払うような手振りをしながら扉🚪を閉めようとするので
間に靴の先を入れ扉が閉まらないようにしたのです。こういう時のために頑丈なリーガルの靴を履いてました(^。^)
『足、引っ込めや!思いっきり閉めるで!ええな!』声を荒げた中年女性は、ほんま、なんとも言えない。化粧もせず髪もバサバサで白髪混じりな姿は、まるて砂かけ婆d( ̄  ̄)

『おー、閉めてみぃや!骨折したら慰謝料請求するしな。』相手は女性ですから。凄むわけにもいきません。
『慰謝料??あんた何を眠たいく事を言うてんの?ここ、どこやと思って、その口、叩いてるんんや?後で、ゴタついたら困るんわ、あんたやでー!』偉く強気のおばさん。
『は?どこやろ?わからんなぁ。』と惚けて私が言うと『ホンマにわからんのか?ここはムラナカやで!今から、あんたの会社の店長さんに電話したるさかい待っとき!』
しばらくして。おばさん、本当に支店の店長へ連絡したんです。
電話を変わると。
『あ、Y君か。すまんな。変な債権をセンターに移管して。そこはな、いわゆる地区や。もう、そこから帰りや。そこの人ら怒らしたらあかん。支店に怒鳴り込んでくるかも分からんし。帰ってくれるか。』
私は支店長の言う意味を漸く知ることとなり『◯◯さん。理由はわかったけど。まぁ帰りますワ。』
そのおばさん、私が階段を降りていく後姿に大きな声で何やら罵声を浴びせてましたが聞く耳を持たず後にしたのです。
その債権はセンターから損金扱いとなり管理部へと移管されたのです。

その経験から少しずつですが。
持ってはいけまさんが。
私の心の中で、どこか、偏見が生まれてきたのが事実です。
小学校の頃
被差別の方は差別と偏見を受け
結婚や就職すら出来ない人も多くいて可哀想だと。人はみな平等なのに。
そう思っていましたが。
だんだんと。
心の変化に気づいていったのです。
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知らぬが仏(OvO) 靴屋への偏見。

2018年07月22日 17時24分18秒 | 差別と偏見
小学校の頃(OvO)
道徳の時間『にんげん』という本を通じて人権教育が関西ではありました。

差別をされている人達を子供心ながら同情もしましたし道徳の時間や時々、ホームルームでもクラスで話し合いをした事を記憶しています。

被差別出身者は結婚や就職などで差別されていたと。
人権教育を受けましたが年齢を重ねるに従って意識はなくなり高校入学の頃には、そのような事さえも忘れていました。

10代で社会に出てない間はいいもんです(^。^)
偏見を持っていませんから。
誰とでも仲良くなろうと思えばなれました。
彼女が出来ても出自など全く考えたこともありませんでした(^。^)
そのままに生きて行けたら?
幸せだと思うのです。が。
人間、社会人となり年齢を重ねると。
自然と見聞きするようになるんですね。

私が大手靴のチェーン店に就職しようとした時。
父親が大反対!!しました。
『なんでや?』質問したものの父は『とにかく反対や。やめとけ!』
なんの事か?わたしにはサッパリ分かりません。
私としてはラジカセの訪問販売から早く解放されたかったのもあり転職したくて仕方がない時でしたから(T-T)

『なんで?よりよって靴やなんかで働くんや?お前、相談もなしに!』
母は東京出身のため母も『お父さん?なんで?いいやんか。』と(OvO)

私としてはほかに就職するためのエネルギーはなく折角、採用と言われたので
『とにかく働くから。』と父親の反対を押し切り就職しましたが。
父親が何を言いたかったのか?それは消費者金融会社へ転職してから分かったことなのです。
そして
父親が何故?
反対する理由を言わなかったのか。
それも何年もしてから分かったことなのです。

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差別はいけない。プロローグ

2018年05月02日 10時25分13秒 | 差別と偏見
関西は関東と違い歴史のある土地柄です(^^;;
古くは奈良や京都に都があり文化の中心でもありました。
古墳も大阪南部や奈良には数多くございます。
寺社仏閣に至っては世界遺産も少なくありません。
そういった歴史的な背景から複雑な事柄も。
関東は江戸幕府となってから文化や経済の発展が顕著となった土地といえます。
身分制度の士農工商は江戸時代。
関西には、それ以前から厳しい身分制度があったわけです。
公家や貴族がたくさん京の都に。武士は、まだまだ下の階級であった時代からの土地柄。
それが現代においても一言では片付けられないことなのは言うまでもありません。

大阪や京都、奈良、兵庫には被差別は少なくありません。未指定地区も含めると。

道路一本、川1つ渡れば、そこは違いが出ているのも確かです。
町名も変更したり。
同じ町名でも、そうであったり、そうでないとかろと混在していたり。

私は消費者金融や不動産会社に勤務していた頃、そのデリケートな問題と向き合わざる得ないことも経験してきました。

差別はいけない。
それは皆が理解していること。
頭では。

しかし。
そんな簡単に解決が出来ないのが
人々の心の中に住んでいるのではないか。と思うのです。
少なく事例ですが
ブログにつづっていきたいと思います。
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