本日よりブログ始めました(^^ゞ54歳の『オッサン』です。昨年、脳出血で倒れ人生観の変化と人の温かさが身にしみ、いかに私自身が傲慢で我儘な性格であったかを深く反省しブログでキロクしていこうと思い始めた次第です。
昨年6月16日に仕事で取引先と電話で話してる途中、頭から血の気が引くような空を歩いているような???なんとも表現しがたい気分でした頭の中が、ふ~っと気持ちいいような悪いような・・そんな気分でしたが電話の途中であったことを思い出し何かを話そうとしましたが呂律が回りません・・(れれ??変だぞ?何コレ??やっとの思いで相手様に気分が悪いので一旦、切ります。と受話器を置きましたが多分、言葉にならない言葉で相手様には失礼だったと思います。受話器を置いてから身体全体から力が抜けてしまい、机の上に顔をのせて椅子から崩れるように地面に、しゃがみ込んでしまい近くに座っていた同僚と部下が身体を支えてくれましたが、私自身も立ち上がろうとしても力が入らず手を動かすことすらできないのです。この時、心の中で(俺・・死ぬのかな?まだ死にたくないな)と思いつつ片方の自分の心は死を覚悟しました。周囲で『救急車!!早く電話ッ!!』とか『ベルト緩めてッ動かしたらアカンッ』との周囲の声・・私は『大丈夫です』と言うつもりが声を出すこともできず、そのまま救急搬送され最寄の病院へ・・救急車内では救護隊のから名前や年齢など幾つか質問されながら『大丈夫ですか!?』の問いに小さな声で何とか『らい・・らいひょうふれす。』と答えた瞬間、『え?らいひょうふ?』『だ』の音が出ないのです。その時の心の動揺は半端ではありませんでした((+_+))救護隊の方から『病院に着きましたよ!!しっかり、してください』の後の記憶はありません。妻の話だと会社から連絡を受けて病院に着いたら管だらけで寝ている私を見て一体どうなったのか理解できなかったようです。会社の同僚・部下と総務課長がいて事情を聞き漸く事の次第が理解できたようです。
幸い翌日には眼が覚め意識を回復しましたが・・それからが大変でした。左手・足が鉛のように重く自分の手足という感覚が全くありません。寝返りをうつこともできず、眼を開ければ見えるのですが妻が3人?4人?に見え、まりで分身の術にかけられたようでした。私は背が高いので集中治療室のベッドが小さく、それもストレス・・寝返りできずストレス・・鼻に酸素チューブに下半身にも尿管チューブ・・点滴が3本、心電図のコードの血圧管理・・もうストレス200%・・『あ”---ッ』と叫ぶんですが看護師も慣れてるのか『あ、眼が覚めました?暫くは辛抱してくださいね♡』と言われただけであとは放置(-_-;)
とにかく私にとって驚愕の日でした・・今は自宅で療養していますが、病気の、おかげで学んだこと、人生観の変化など、このブログを通じ記録しながら同じような病気で苦しんでいる人、また健康な人も何かを感じとっていただければと思ってブログを始めました。
ツラツラと記述していきますが私の経験が皆様の励みになれば嬉しい限りです。では本日はこのへんにて失礼します。
昨年6月16日に仕事で取引先と電話で話してる途中、頭から血の気が引くような空を歩いているような???なんとも表現しがたい気分でした頭の中が、ふ~っと気持ちいいような悪いような・・そんな気分でしたが電話の途中であったことを思い出し何かを話そうとしましたが呂律が回りません・・(れれ??変だぞ?何コレ??やっとの思いで相手様に気分が悪いので一旦、切ります。と受話器を置きましたが多分、言葉にならない言葉で相手様には失礼だったと思います。受話器を置いてから身体全体から力が抜けてしまい、机の上に顔をのせて椅子から崩れるように地面に、しゃがみ込んでしまい近くに座っていた同僚と部下が身体を支えてくれましたが、私自身も立ち上がろうとしても力が入らず手を動かすことすらできないのです。この時、心の中で(俺・・死ぬのかな?まだ死にたくないな)と思いつつ片方の自分の心は死を覚悟しました。周囲で『救急車!!早く電話ッ!!』とか『ベルト緩めてッ動かしたらアカンッ』との周囲の声・・私は『大丈夫です』と言うつもりが声を出すこともできず、そのまま救急搬送され最寄の病院へ・・救急車内では救護隊のから名前や年齢など幾つか質問されながら『大丈夫ですか!?』の問いに小さな声で何とか『らい・・らいひょうふれす。』と答えた瞬間、『え?らいひょうふ?』『だ』の音が出ないのです。その時の心の動揺は半端ではありませんでした((+_+))救護隊の方から『病院に着きましたよ!!しっかり、してください』の後の記憶はありません。妻の話だと会社から連絡を受けて病院に着いたら管だらけで寝ている私を見て一体どうなったのか理解できなかったようです。会社の同僚・部下と総務課長がいて事情を聞き漸く事の次第が理解できたようです。
幸い翌日には眼が覚め意識を回復しましたが・・それからが大変でした。左手・足が鉛のように重く自分の手足という感覚が全くありません。寝返りをうつこともできず、眼を開ければ見えるのですが妻が3人?4人?に見え、まりで分身の術にかけられたようでした。私は背が高いので集中治療室のベッドが小さく、それもストレス・・寝返りできずストレス・・鼻に酸素チューブに下半身にも尿管チューブ・・点滴が3本、心電図のコードの血圧管理・・もうストレス200%・・『あ”---ッ』と叫ぶんですが看護師も慣れてるのか『あ、眼が覚めました?暫くは辛抱してくださいね♡』と言われただけであとは放置(-_-;)
とにかく私にとって驚愕の日でした・・今は自宅で療養していますが、病気の、おかげで学んだこと、人生観の変化など、このブログを通じ記録しながら同じような病気で苦しんでいる人、また健康な人も何かを感じとっていただければと思ってブログを始めました。
ツラツラと記述していきますが私の経験が皆様の励みになれば嬉しい限りです。では本日はこのへんにて失礼します。