脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

我が家もいつ困窮になってもおかしく無かった(^。^)その1

2018年06月24日 10時28分27秒 | 困窮
我が家もいつ困窮家庭になってもおかしく無かったのです(^。^)

平成4年。32歳の時に年利4.5%で住宅ローンを組み家を買いました。年間ローン支払い額は200万円を超えてました。
当時の年収は750万円ほど(^。^)年齢の割に貰ってましたが随分と背伸び。
その後、平成13年に借り換えをして負担を減らしましたが、これが後々、助かっています。

でも妻はよく頑張って家計管理をしてくれました。年収750万円と言ったら手取り年収は600万円あるかないか。そのうち三分の一以上が住宅ローン支払いですからね。

でも。家を買った当時から5年後には年収900万円となり平成11年以降は1000万円を超えました。
でも?
妻は家を買った当時と同じ家計管理を継続(^。^)
私も文句一つ言わず妻の言いなり(^。^)
それが良かった(^。^)
順風満帆な我が家でした。
まさか?の事態が
それは平成19年
47歳の時に私はリストラ。この時が運命の第1打
強烈(>_<)
退職金で住宅ローンが完済できたのは、それまでの妻の家計管理。住宅ローンも繰り上げ返済してましたし借り換えしていたから完済できたのです。
47歳の転職は厳しいです。非正規は当たり前となっていた時代。中年男性にはハードル高い(>_<)

でも?
正社員で雇用されました。これは不幸中の幸い。
しかし年収は400万円あるかないかのスタート。
辛いですが妻も頑張ってくれました。

キャリアもあったせいか順調に昇進し年収も漸く500万を超えた頃、長女は公立高校の受験に失敗し私立へ(>_<)お金が!更に長女は接触障害となり、その治療費が嵩みまましたが
『大丈夫!あるから。』妻の一言が心強かった。

思えばリストラになる前の我が家の世帯年収は1400万円を超えてましたが
海外旅行も行かず
高級車も買わず
外食も殆どせず
高級ブランド品も買わず

でも
家族4人は幸せに暮らしてました(^。^)
私の贅沢は
たまのゴルフくらい。(^。^)でしたから。
家族旅行は安く安く
北海道にいた頃は住んでる場所自体が私達にとって観光地みたいなもん。
雪まつりも地下鉄で行きました。
そんな生活の中で妻は、しっかり蓄えてくれてました(^。^)
その蓄えを使う時が始まったのが平成19年以降の事です。
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