今日は😨
大阪府茨木市へ行って参りました。
認知症の義母が股関節骨折のため入院します。
手術もするので同意書に署名押印を妻がするために。
今日はあいにく、JR京都線が接触事故のため15分遅延していました。
病院に着いたのが約束の10時30分
ギリギリ😨😨
施設責任者も同席のうえ
整形外科の主治医と精神科医、ソーシャルワーカーからの説明を受けてから病棟へ、
病室に入ると。
もう。寝たきりの老人ばかり。
それも全て認知症を患った方達でした。
点滴をされてる方
天井を見上げながら、ボーーッとしている方。
顔の表情に生気はありません。
病室の空気は重く、そして暗いのです。
義母はリハビリも含めて最大150日入院が出来ますが。
退院後、医療が必要と判断された場合、今の施設に戻る事は出来ません。
ソーシャルワーカーに、その時に相談し別の施設へ転院となります。
83歳の義母。
少しでも。
長く生きて欲しいと思う心と
もう。こんな思いをさせたくない。と思う気持ちと交錯します。
人は
いつか死にます。
生きる。活力と書いて『生活』と書きますが。
その活力がなくなってまで生きる意味?は?
これも義母の魂の修行なのか?
それとも医学の進歩による延命なのか?
今日、義母に会ってベッド🛌に寝ている義母に声をかけると
義母は何度も『ありがとう。』と。
そして
『息子が■✖️▲◉••』何か私に言いたい事があったのは分かるのですが、
息子が、のあとはことばに成らず聞き取れ難くて分かりません。
おそらく義兄の事で私に何かを言いたかったのでしょう。
そして
妻には
『来てくれて、ありがとう。とても寂しかった。』と。
今日、入院手術の手続きのためでしたか。
義母と会えて良かった。
義母は私の手を、ギュッと握ってくれた時、私の目に涙が。
来週、手術の日
再び、妻と病院へ訪れる予定です。
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