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岡山市内めぐり(岡山神社→岡山城)

2019年10月25日 | おでかけ


今日は雨のち晴れ。今朝、目が覚めて窓の外を見ると、外は暗くて本降りの雨が降っていた。朝の気温は16℃で強い北よりの風が吹いていて、湿った空気がヒンヤリと冷たく感じられる。だんだん空が明るくなってくると、次第に雨足も弱まってきた。
雨は午前9時頃には止んだ。その後、西の空に浮かんでいた雲の切れ間から青空が顔を出すと、急速に青空が広がってきて、日が燦々と降り注いできた。昼間の最高気温は23℃まで上昇したが、北よりの風が吹いていて、比較的涼しく感じられる陽気となった。ただ、雨上がりで湿度が高く、外を歩いていると、汗だくとなってしまった。

今日は午前中は施設見学で、お昼に解散となった。このまま東京に帰っても定時を回るので、今日は直帰することになっている。それなら、帰りの新幹線を少し遅い時間に乗ることにして、市内を少し見て回ることにした。
まずは、視察した施設の近くにある岡山神社に向かった。岡山神社は860年に創建され、元は現在の岡山城本丸の地にあったが、天正元年(1573年)に戦国大名宇喜多直家の岡山城整備に伴ってこの地に移されたとのことで、酒折宮とも称したとのことである。昭和20年の岡山大空襲で岡山神社の主な建物は焼けてしまい、戦後、本殿を造営したとのことである。


鳥居をくぐって、階段を上がると、随神門という門がある。三間一戸の八脚門の切妻造、本瓦葺のこの門は江戸時代に備前岡山藩の第3代藩主池田継政によって造立された建築物で、岡山大空襲でも焼け残った数少ない岡山浄化の近世建造物とのこと。


随神門をくぐり、境内に進んだ。右手にある手水舎で手と口を清めると、拝殿に進む。拝殿で参拝を済ませると、向かって左手にある社務所で持参した朱印帳に御朱印を頂いた。


拝殿の奥の本殿を囲むように清光稲荷 日吉神社、稲荷神社、天満宮、荒神社、十七末社といった摂社・末社が配されている。それらを参拝すると、岡山神社を後にした。

( 今日のランチ(ドミグラスソースカツ丼@味司 野村) に続く )

お昼を食べた後は、一旦、岡山駅に戻り、駅構内の土産物店で帰りの駅弁を予約したり、イオンモール岡山に行って、土産物の取り置きをしたりした後、あらためて、岡山電気軌道岡山駅前駅から東山線に乗って県庁通り駅に向かった。岡山駅前駅から県庁通り駅までは7分ほどで到着した。


県庁通り駅で下車すると、県庁通りを歩いて県庁に向かう。岡山県庁東京都美術館を設計した建築家前川國男の初期の作品で、前川國男氏が手がけた初の庁舎建築である。建物内もじっくりと見てみたかったが、何せ、今日は荷物が多いこともあって、それは断念した。建物の周囲を少し廻って見た後、岡山県庁を後にする。


岡山県庁の正面にある県立図書館を取り囲むようにして設けられた道を歩いて行くと、右手に岡山城のある烏城公園に着く。せっかくなので、岡山城にも登ってみることにした。内堀にかかる内下馬橋を渡り、公園に入る。


公園の周囲を歩くようにしていくと、やがて天守閣が見えてきた。


まずは廊下門をくぐる。この廊下門は昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された建物で、江戸時代は本段(城主住居)と中の段表書院(藩庁)を結ぶ城主の通路として使われていたため、こう呼ばれたとのことである。


廊下門をくぐって階段を登ると、目の前には表書院跡が広がっている。この中央部には築城時の石垣が展示されている。宇喜多秀家の頃の石垣とのことである。


表書院跡の北西隅には戦火を免れた唯一の建物の国指定重要文化財「岡山城月見櫓」がある。一部地下付の本瓦葺き二階建てで、城外から眺めると二層の望楼型、城内から眺めると三層の層塔型を呈している。


表書院跡から不明門(あかずのもん)をくぐって天守閣に登る。この不明門は表書院(藩庁)の南端から本段(城主住居)へ上がる石段の入口に設けられた渡櫓門で、天守閣のある本段全体の入口を固めた大形の城門である。普段はこの門は閉ざされていたことから「不明門」と呼ばれたとのこと。この門も昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された。


不明門をくぐって階段を登ると、目の前に天守閣が見えてきた。この建物も昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された。地下1階地上6階建ての建物で、地下1階が入口となっている。かつて宇喜多秀家が築いた天守閣は外壁の下見板に黒漆が塗られていて、太陽光に当たるとあたかもカラスの濡れ羽色によく似ていたため、「烏城(うじょう)」の別名があるとのことである。


入口脇で入場料を払うと、エレベーターで4階に上った。最上階の6階までは階段で上るようになっており、6階の窓からは眼下に岡山後楽園の他、岡山市街地を望むことができる。先ほど外観を眺めた岡山県庁の建物もよく見えた。


1階から5階まではゆかりの品々を展示している他、1階には売店や喫茶室も設けられていた。
岡山城を後にすると、岡山電気軌道城下駅から東山線に乗って岡山駅前駅に戻った。取り置きをしておいた土産物や駅弁を買い込み、更に飲物などを追加で購入すると、新幹線乗り場の改札を抜けてコンコースに入った。帰りの電車までは少し時間があったので、コンコース内にある喫茶店でお茶をして少し休んだ後、帰りの新幹線に乗り込んだ。



外は既に日が沈んで暗くなっている。さっそく、夕食代わりに先ほど購入した駅弁を食べることにした。

( 駅弁(ままかりの押し寿司) に続く )

新幹線の車内で駅弁を食べた後、缶チューハイを飲みながらぼうっとしていると、瞼が重くなって、京都を過ぎたあたりで眠ってしまった。
車内アナウンスで目を覚ますと、新幹線は新横浜駅に到着するところだった。新横浜駅からは横浜線と中央線を乗り継いで自宅に帰る。
日野駅に着くと、路面はしっとりと濡れていたが、雨は止んでいた。駅から足を引きずるようにして自宅に到着する。家に着くとホッとした気分になった。


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