「訛(なまり)」とは話し言葉が化ける、変化する意味のようだ。
化ける前の、言葉とは、標準語(言葉)ということになるのだろう。
石川啄木に「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」
の短歌がある。しかし、啄木は自分の声は聞いていないだろう。
この停車場は上野駅だそうだ。東北線が東京駅まで延びると、
啄木がうたった状況は、次第にわかりにくくなってしまうだろう。
私は、“つぶやきシロー”の声(しゃべり方)があまり好きではない。
その理由が最近わかった。彼は栃木(野木町…隣町)出身らしい。
先日、県協会の理事会の議事録を点検するにあたり、ICレコーダーを聞いた。
私の声も録音されていた。私の声は、これまでにも何度も聞いているが、
改めて聞いて、“つぶやきシロー”の声に似ていることに気がついた。
「つぶやきシロー」の声が嫌いだなと思った直後だったので、
この“いばらき訛”が嫌いなのだと了解した。
つまりは、自分の声(いばらき訛)が嫌いなのだということになる。
自分の声が嫌いというのは寂しい限りである。