天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

細胞がRNAを長さに応じて分類

2012年03月30日 | 科学
 京都大学は、細胞がRNAを長さに応じて分類するメカニズムについて、hnRNP Cの四量体が「分子のものさし」となってRNAの長さを測り、RNAを長さに応じて仕分けすることを確認したと発表した。同成果は、同大ウイルス研究所の大野睦人 教授、マクロースキー亜紗子 同教務補佐員らの研究グループによるもので、3月29日付けの科学誌「Science」に公開された。

 遺伝子が発現する過程で、DNAの情報はまずRNAにその情報が写し取られる(転写)。この転写を行うRNA合成酵素がRNAポリメラーゼであり、そのRNAの情報に基づいてタンパク質が合成される(翻訳)。このタンパク質の情報を担うRNAがメッセンジャーRNA(mRNA)と呼ばれる。
 バクテリアでは転写と翻訳の場所は同じだが、ヒトのような真核生物、つまり核を持っている生物では、転写と翻訳が違う区画で行われるため、転写の場所である核から翻訳の場所である細胞質へとmRNAを輸送する必要がある。

 これまで研究グループでは、複数の共通点を持つ似たもの同士であるmRNAとU snRNAという短いRNAの間がどのように区別されているのかを調査しており、その結果、RNAの長さが重要であることを発見していた。人工的に長くしたU snRNAはmRNAの因子群で、逆に短くしたmRNAはU snRNAの因子群で核外へ輸送されるようになった。また、その切り替わりの長さの境目は約200~300塩基長であったことを確認したが、この結果から細胞にはRNAの長さを測り、輸送経路を決定するメカニズムが存在することを導き出したが、のメカニズムについては謎のままであった。

 今回、研究グループでは、様々な実験を行い、細胞がRNAを長さに応じて分類するメカニズムの解明に挑んだ。その結果、RNAポリメラーゼ(II型)による転写開始直後、染色体DNAから新生RNAの末端が現れ始めると、そこにキャップ構造という特殊な構造が付加され、キャップ構造結合因子CBCが結合することを発見した。
 また、この時点では、このRNAが将来mRNAになるのかU snRNAになるのか細胞にはわからないが、転写がさらに進み、新生RNAの長さが200~300塩基長より長くなると、hnRNP CというRNA結合タンパク質の四量体が安定に結合できるようになり、そのような転写物はmRNA前駆体であると分類され、同時にU snRNA輸送因子であるPHAXのその転写物への結合が阻害される。逆に、RNAの長さが200~300塩基長より短いまま転写が終了した場合、 hnRNP Cの四量体が安定に結合できず、そのような転写物はU snRNA前駆体であると分類され、PHAXをはじめU snRNA輸送因子群がRNA上に集合するといったhnRNP Cの四量体が「分子のものさし」となってRNAの長さを測り、RNAを長さに応じて仕分けすることを確認したという。~マイナビニュース

どのようにして細胞状態を感知?

2012年03月28日 | 科学
 産総研は3月27日、ヒト細胞核中の「U7核内低分子RNA(U7 RNA)」が、細胞内の状態に応じて、2つの相反する遺伝子発現制御を行うことを発見したと発表した。研究の詳細な内容は、「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載の予定。

 ヒトゲノム解析によって、ヒトのタンパク質遺伝子の数が、マウスのものとほとんど変わらないことが判明した。そして「ポストゲノム研究」によって、ヒトゲノムやマウスゲノムの大部分から、機能のわからないRNA(リボ核酸)が多数生産されていることも明らかになった。
 ゲノム配列の決定を受けて、ゲノム機能解明を指向した一連の分子生物学/医学研究が行われるようになったのだが、それらを総称してポストゲノム研究と呼ぶ。ゲノムから合成されたRNAを網羅的に解析する「トランスクリプトーム解析」などは、ポストゲノム研究の1つである。トランスクリプトーム解析に関しては、ヒトとマウスにおいて実施され、7割以上というゲノム中の大部分が転写されRNAが産生されていることが明らかになっている。その後高速シーケンサーの出現により、その解析精度が飛躍的に向上した。
 ポストゲノム研究が進む中、機能不明のRNAについても徐々にわかってきたことがある。それらはタンパク質のアミノ酸配列をコードしない(翻訳する情報を含まない)ことから、「ノンコーディングRNA」と呼ばれている。タンパク質へと翻訳されずにRNA自身で働く機能性RNAであり、働く場は主に細胞核内においてと目されている。ちなみにポストゲノム解析によって数1000種類に上るノンコーディングRNAが見出されたが、ほとんどの場合その機能は不明だった。
 しかし、最近になってそうしたノンコーディングRNAの一部が、遺伝子発現の制御や細胞内構造形成、さらには疾患の発症にかかわることが明らかにされ、RNAの制御機能に注目が集まってきている。
 DNAに結合して染色体を構成するタンパク質「ヒストン」(酸性のDNAとは高い親和性)は塩基性が強く、結合するDNAがなくて単独となった過剰なヒストンは、細胞にとって有害である。そのためヒストンの遺伝子は、細胞内のDNA複製時期(S期)にだけ発現するように厳密に制御され、細胞核内で新しい染色体が形成されるS期にのみヒストンが合成される仕組みだ。

 このように、U7 RNAは、S期にはヒストン合成を促進し、S期以外にはヒストン合成を抑制するという2つの重要な役割を担っていることが判明。研究グループは、こうしたRNA機能を利用することにより、発現強度を段階的に調節できる人工遺伝子スイッチの開発などの応用が期待されるとした。
 U7 RNAの2つの機能のメカニズムの詳細を解明する。さらに、どのようにして細胞状態を感知して機能を転換できるのかを明らかにする予定だ。また、ヒストン遺伝子以外のU7 RNAの標的を探索/同定することも目指すとしている。~マイナビニュースより

橋下市長のツイッターより

2012年03月23日 | 橋下徹
   橋下市長は2012年3月22日のツイッターで、週刊現代(3月31日号)の飯島氏の記事「橋下徹ははたして小泉純一郎になれるのか」について触れた。
   「週刊現代で飯島さんからご意見頂きました。考える点がたくさんありました。ただ僕が小泉元首相に並べられるのは恥ずかしい限りです。こちらは一ローカルでやっているだけですから。飯島さんへの反論は、地方交付税廃止の主張と府知事時代に臨財債を発行したことを言行不一致と指摘された点です」
   飯島氏は週刊現代の記事で、橋下市長を「支持する人間の一人」として「希代の政治家」「発信力も非常に高い」とほめている。その上で、橋下市長が「次の小泉元総理」となるのかとよく質問を受けるとして「橋下市長と小泉元総理は似て非なるもの、まったく異質の存在です」と断言した。橋下市長が「主張していることと実際の行動が一致していない点」が、小泉元首相との大きな違いだと指摘している。その例として、橋下市長が府知事時代、地方交付税の不要論を言いながら「臨時財政対策債」(臨財債)を「大量発行」したことを挙げている。
   橋下市長は3月22日のツイッターでは、飯島氏に対し「知事は現実の行政を預かる立場で行政のトップです。自治体は国の制度を前提として運営せざるを得ません。日本の統治機構では、地方の税源が不十分な分、地方交付税として国からカネを受け取ります。そして国にお金がない分、臨財債というまやかしの借金で財政運営をしております。」などと反論している。

   橋下市長は謙虚ですね。制度、法律、その根底にある理念をよく理解しています。常に帰るところをもっています。それを決して変えようとはしません。これぞ「保守」です。その上で「臨機応変」今に活かしています。これぞ「正義」です。
   人は「正義」に導かれます。小泉氏の時もそうでした。

   22日のツイッターでは、こうも呟いています。「民間事故調や国会事故調の報告書が徐々に公開されてきていますが、今の政府に原発事故に耐えられる体制があると言えるでしょうか?もちろん、橋下は完璧にできるのかと言われるとそれはできないでしょう。しかし、日本政府のパニック状態は厳然たる事実です。」
   事実認識ができ、課題が明確です。言葉遣いが批判を浴びがちですが、それも魅力のうち。完璧な人間はおらず、小泉氏のワンフレーズなど、何か惹きつける個性がないとリーダーにはなれません。
   原発事故、日の丸君が代、光市母子殺害事件のこともとことん考えています。

相聞歌~出逢い

2012年03月06日 | 俳句・短歌
初めての訪問、良寛不在で貞心尼自作の手鞠と歌を託す。(良寛70才、貞心尼30才)

これぞこの ほとけの道に 遊びつつ
つくやつきせぬ みのりなるらむ

良寛さんは手鞠をついて遊んでおられると聞きますが、そこに尽きせぬ仏への精進の道が、私には窺われます。私も一緒に遊び、仏道を学びたいと存じます。未来永劫尽きることのない仏道の心髄を体得して、悠々自適の生活を楽しんでおられるのでしょうが、私もお導き下さいませんでしょうか。

つきて見よ ひふみよいむな やここのとを
とをとおさめて またはじまるを (つきて見よ 一二三四五六七八九十を 十とおさめて また始まるを)

この手鞠をついて無心になる気持を求めるならば、理屈や言葉ではなくて、あなたもどうぞ一緒に手鞠をついてごらんなさい。一二三と十までついたら、また繰り返して、ひたすらついていく。夢中になっている時に、実は本当の仏の世界が開けてくるんですよ。扉は叩いてごらんなさい。思ったことは先ず試みてみなさい。実行してみてから、その次はまた、その時考えて実行に移して行くことです。あなたがもし私に逢いたいならば遠慮なくどうぞ。

初対面

君にかく あい見ることの うれしさも
まださめやらぬ 夢かとぞおもふ

ゆめの世に かつもどろみて 夢をまた
かたるも夢よ それがまにまに

そなたは今、夢のようだと言われたが、そう思う心、人生そのものもまた夢のようなものです。だから、その時々の気持に素直であればよいでしょう。

話がはずんで、月の美しい夜となる。

白たへの ころもでさむし 秋の夜の
月なかぞらに すみわたるかも

秋の夜の月とは仏の真理、こんなに夜も更けて肌寒い夜の中で、澄みきった気持ちに今こそなれますねと呼びかける。

向ひいて 千代も八千代も 見てしがな
空ゆく月の こと問わずとも

空ゆく月すなわち仏法の真理、悟りのことなどの話はどうでもいい。ただこうして永遠に向かい合っていたい。

心さへ 変らざりせば はふ蔦の
たえず向かはむ 千代も八千代も

大切なのは心です。心さえぴったり合っていれば、どこにいても、いつでも一緒にいるのと同じようなものです。

一夜を語り明かし、貞心尼が帰るとき

立ちかへり 又もとひこむ 玉鉾の
道のしば草 たどりたどりに

またお伺いしてもよろしいでしょうか。

又もこよ しばの庵を いとはずば
すすき尾花の 露をわけわけ

こんな、むさくるしいところでも、かまわなければ是非また来て下さい。

相聞歌~成就

2012年03月05日 | 俳句・短歌
翌年初夏に、良寛が福島村の閻魔堂に住む貞心尼を訪ねる。その後、音沙汰がないので催促の歌を贈る。

君や忘る 道やかくるる このごろは
待てどくらせど 音づれのなき

思いを寄せる貞心尼、受け身の良寛という図式が、少しずつ逆転していく。逢いたいと激しく迫るのは、もはや良寛のほうである。待てど暮らせどやってこないのは、もう道を忘れてしまったのかと、なじっている。貞心尼はこの時期、柏崎で修行していて行くことができなかったので歌を返す。

事しげき むぐらのいほに とぢられて
身をば心に まかせざりけり

浮き世の雑草に追われて、未熟の私どもはなかなか思うようにはまいりません。

山のはの 月はさやかに てらせども
まだはれやらぬ 蜂のうす雲

仏の教えは、あの月のようにさやかな光を投げかけていますが、私たち凡人には煩悩即菩提などというわけにはなかなか参らず相変わらず心が迷ってしまいます。

身をすてて 世を救ふ人も ますものを
草のいほりに ひまもとむとは

世の中には自分の身を犠牲にしてでも、他人のためにつくす人がおります。70才の老人がもう一度お話したいと思っているのに、あなたはお寺でのんびりとしていなさる。案外薄情な方のようですね。

久方の 月の光の 清ければ
照らしぬきけり からもやまとも

仏の教えは時空を超越します。古今東西はおろか人の心の中まで遍く照らしぬきます。あなたは煩悩だとか言って迷っているようですが、それもこれも、みんな仏様はお見透しです。一切を投げ出して、ただ仏様にお任せしなさい。

はれやらぬ みねのうす雲 たちさめて
のちの光と おもはずや君

仏教は尊い、仏陀の光明は広大無辺だと言っても、肝心の自分の心が濁っていたのでは、仏教の心髄にふれることはできません。先ず自分自身が煩悩の雲をうち払ってこそはじめて真の仏の教えも分かるというものです。この辺のところをよく考えてごらんなさい。

貞心尼は柏崎での修行を終えて、福島村に戻り音信を送る。

おのづから 冬の日かずの 暮れゆけば
まつともなきに 春は来にけり

「四時行われ万物育す」とか「天行は健なり」とか申します。冬が過ぎて春になるということはそれがそのまま自然法爾の姿でしょうか。

我れも人も うそも誠も へだてなく
照らしぬきける 月のさやけさ

まこと良寛さまのお示しのとおり、善人も悪人もみな一様に救って下さる仏様の慈悲は無限です。

さめぬれば 闇も光も なかりけり
夢路をてらす ありあけの月

闇に対しての光であり、光に対して闇というか、所詮は一つのものの裏表で、さらに突っ込んで考えればすべてのものは「空」に帰します。もし何ものかを認めるとすれば、それは人の世を照らす真如の月と言えましょうか、無始から無窮に続くただ一道の光明があるとでも申してはいかがなものでしょうか。

天が下に みつる玉より 黄金より
春のはじめの 君がおとづれ

今日の便り、私にとっては何ものにも換えがたい贈りものです。毎日毎日待ち焦がれていたのです。

手にさはる ものこそなけれ 法の道
それがさながら それにありせば

仏法というものは、具体的に、これがこれ、あれがあれというふうに理屈で説明できるものではありません。そなたが一道の光明があると言われたが、そのあると信じる心、それが即ち仏法です。

春風に み山の雪は とれぬれど
岩まによどむ 谷川の水

み山べの 深雪とけなば 谷川に
よどめる水は あらじとぞ思ふ

もう一歩のところだから、折角精進して悟道の域に達せられるように。大綱をしっかり会得すれば細葉は自然に理解されることと思います。

いづこより 春は来しぞと たづぬれば
答へぬ花に 鶯のなく

無心の花の上で、うぐいすが無心に鳴いている。それが春であり、天地自然の姿です。春はどこから来たか、何時来たかなどと問うことはありません。

君なくば ちたびももたび 数ふとも
十づつとをを ももとしらじな

あなたにお目にかからなかったら、経文をたとえ百万遍読誦したとしても、その意味を理解することが出来なかったと思われます。

いざさらば われもやみなむ ここのまり
十づつとをを ももとしりなば

それでは、わしの説法もこれ位にしておきましょう。大体の意味がお判りのようですから。

この春、貞心尼はとうとう良寛を訪ね、弟子入りの契りをする。

りょうぜんの 釈迦のみ前に 契りてし
ことな忘れそ 世はへだつとも

霊山というのは霊鷲山、釈迦がよく説法した王舎城の近くの山である。すなわちお釈迦様の前で契ったことを、たとへ世を隔てても忘れるな。私は先に死ぬかも知れないが、後に残ったあなたは忘れるなということ。

霊山の しやかの御前に ちぎりてし
ことは忘れず  世はへだつとも

いざさらば さきくてませよ 時鳥
しばなく頃は またも来て見む

それではお元気で・・・ほととぎすの啼く夏の頃、またお伺いします。

うき雲の 身にしありせば 時鳥
しばなく頃は いづこに待たむ

秋萩の 花さくころは 来て見ませ
命またくば 共にかざらむ

夏は暑いから塩入峠が大変でしょう。秋少し涼しくなったら来なされ、それまで生きていたら一緒に萩の花でも見ましょう。