天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

塩分を分解する微生物

2011年10月29日 | 科学
 東日本大震災の津波による塩害で台無しになった農地を「最短1カ月間で再生できる」という土壌改良材を京都市のベンチャー企業「マイファーム」が開発した。農地の再生を大幅に短くできるとして、NTTドコモとNECが復興支援の一環で、量産化の無償援助を決めた。
 農林水産省によると、東日本大震災で津波による被害を受けた農地は青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県で計約2万4千ヘクタール。政府は、十分な量の真水で塩分を流し出す除塩作業などで「おおむね3年間での復旧を目指す」としている。
 これに対し、マイファームが開発した改良材は、数種類の微生物と有機堆肥(たいひ)を混ぜたもので、微生物が土に残った塩分を分解する。「約1カ月で作付けができる土壌になり、3カ月でほぼ元通りの土壌になる」という。6月から宮城県岩沼市の被災農地で使ってみたところ、2.9%だった塩分濃度が2カ月間で0.8%まで下がり、8月末にはトマトを収穫できた。~朝日新聞

10.25児玉教授講演より

2011年10月27日 | まつりごと
 福島の放射能被害を考える有志議員による「放射能除染についての緊急勉強会」。9月14日に続いて第2弾が行われました。この間、進んだのは、住民の行動。何もしない行政、国会に、児玉教授の涙は止みません。何も進まないから、同じことの繰り返しですが、何度でも。国会議員は、何のために…以下、その勉強会から抜粋。東京プレスクラブより

 放射線災害から国民を守るということが、やっぱり、原発事故から、もう7カ月過ぎましたけれども、本当のことが語られない、本当の事実が伝えられないということがますますひどくなっている。その流れを、変えていただきたいということをお願いしたいと思います。
 原発周辺の地域というのは、津波の被害を最も激しく受けております。南相馬でも、浪江でも。その地域は、亡くなった方を探しにに行くこともできないままずっときています。もう一つ複雑なのは、線量が低くて、本当にこの地域の復興の基盤になるところというのは、津波で一番やられている海岸側であります。そこの復興、山林の復興、現実の福島を見ないと、今東京で行われている議論というのは、ほとんど意味がないんじゃないかと。時間とともに復興は難しくなります。被害に一番あわれている自治体は、自治体の役目自体が次々場所を変わらざるを得ない。そのために、一緒に動く住民も減っていく。このことを、国会もマスコミも科学者も問題にしていない。それが、今の日本が抱えている問題を象徴しているのではないのでしょうか。私たちはこの福島の現実に正面から向かい合うことを抜きに、日本の未来の礎をつくることはできないのではないかと思います。
 浪江町ですがまだ、道路の真ん中に船が転がったまんまであります。でも、浪江の町ではここが一番放射線量が低く、将来復興の基盤になるかもしれない。若い人たちが子どもを育てられる土地になるかもしれない。けれども、そこに入ろうとするジャーナルストはほとんどいませんし、見に行く政治家もほとんどいない。科学者が入ろうとしても、オフサイドセンターで緊急性がないと言って断られる。一方で住民は自分の車で入っていいと言われて、自分の車では行って見ていく。こんなチグナグなことを、いったい国会のどなたが決めていらっしゃるのですか。私にはまったく理解ができません。
 住民本位の地域再建には放射線量だけではない地域の実情がきめ細かく伝えられなければなりません。けれども、研究者もジャーナリストも立ち入りを制限させられているために、情報が極めて少ないです。一体誰がそれを決めているのかすら不明です。報道管制、情報統制をいったいだれが続けているんでしょうか。「死の町」という発言を否定されている方がいましたが、言葉のはじを捉えるだけの方法で、誰も20キロ圏の中身を本当に考えていないということに、この国の問題が集中されているように思います。これから、5万人の選択が始まらなければならない。

 今日は、除染のお話しということですが、除染でできることとできないことというのをはっきりと言わなければならない。住民の一時帰宅も緩和されて、自動車での立ち入りも始まっています。住民のための復興計画が求められ、住民の健康被害への予防というものが今ほど求められる時はないし、また地区によっては、いったいどこに新しい生活の基礎を持つかということを本当に決めなくてはならない決断の時が日々きています。
 まず、大熊町。一番線量が高く、年400ミリシーベルトにもなるところまでいってしまうのですが、大熊町は1万1063人の人口がいるということになっていますが、逃げ出したダチョウが走り寄ってきます。
 朝倉町。人口6448人です。それで、町の中央部で少し低いところがありますが、それでも5μシーベルト。原発に行くのではない道路は補修されず、電線は放置されています。住民に電気を通すつもりも何もない。もし通電したら火事が起こるかもしれない。通っている住民が感電するかもしれない。この地域で立派に綺麗になっているのは、原発に行く道路だけであり、我が物顔で通っているのは原発関係の車だけです。
 富岡町。富岡町も、かなりの高い線量があり、常磐自動車道。現在我々が再開発を目指しているところですが、富岡インターは、やはり通すためには全面的に表面のアスファルトとか、舗装を削らないと無理です。
 浪江町。ここが一番複雑な様子を呈しています。人口1万9504人。浪江は町の中で常磐線を挟んで、わずか100mちょっとで、たとえば、浪江の町役場というのは、福島や柏ぐらいの線量しかないですから、例えば浪江で復興作業をするとしたら、すぐに今日にでも、20キロ圏解除して浪江は市役所に戻ってやらないと無理です。だけど、常磐線を挟んで反対側にきたら、線量がむちゃくちゃ高くなります。それで、NHKの番組で9月に出されていましたが、浪江の若い人は、町全体の移転を求めるという考えを出されています。そういうことを本当に検討する議論がどこかで行われているのか。浪江で、幸いにも線量が低い市役所からこちら側のところを、どうやって復興の拠点にしていくとか、そういうことが議論されていることがあるんでしょうか。そのことを原子力災害が起こってから3ヶ月目に、最初に国会で「何をやっているのか」ということを申し上げましたが、7カ月目にしてまた同じことを申し上げなければならないことに、この国の将来をすごく危惧します。
 今日申し上げたいのは、それを乗り越えていくために、この被災の住民の方と一緒にどういうことができるかということを考えていくために、是非皆さんが、力を合わせていただきたいというのが最も申し上げたいことです。
 浪江町では、漁港というものを大きくするために工事を進めていました。しかし、この堤防も破壊されました。果たして堤防を戻せば、すぐ漁業が復興できるのか。そのこともまったく調べられていません。この辺の海底で泥の中にどういう汚染があるのかというのを、なぜ日本の海洋学者が総力を挙げてやらないのでしょうか。住民1人に限りなく防衛判断を直面させる。そうではなしに、それを温かく支援して、住民主体の決断を促すところからでしか、日本の未来はないと思います。

 ICRPの議論パブリケーションがよく言われますが、日本の議論はICRPの議論すら踏まえていません。2009年のPub111は「当事者の議論への主導的参加と、透明性が鍵」というふうに、従来専門家がこの基準を作るというものだったのを、ICRP自体が変化してきました。要するに、すべての過程において、住民が参加する、地域の人が一緒に考えるということが、様々な政策決定の根幹になるべきだということをICRP自体が言っているのに、今の日本の20キロ圏で、線引き議論などと言われながら、住民が自家用車で入っている地域に、社名で立ち入りを禁止するマスコミや科学者が入ろうとするのを妨害するオフサイトセンターというのは、いったいどういうことなんでしょうか。本当の情報と科学的理論と住民の議論がかみ合って初めて復興への道が開かれます。政府の審議会などで、住民を巻き込んで基準を決めていくという環境省の方もいらっしゃるようですが、専門家審議会でそういうことを考えられたことがまったくない。環境省の、従来から重金属をまじめにやってきた人たちに、突然、原子力機構や、原子力学会の人たちを加えて、何で良い結論が生まれるんでしょう。失敗するのは元からわかっています。それを証明するために3ヶ月間も時間を浪費してきた。この責任の根幹は、あの法律で、56条。一番責任を持たされた、またしても原子力安全委員会であります。原子力安全委員会は、原子力事故の勃発前に原子炉の危険性の評価するのに失敗し、津波の評価、地震の評価に失敗し、初動調査に失敗し、SPEEDIを開示するのに失敗したのに、なぜその同じ当事者が、また除染の責任者になるというのでしょう。この事態がなぜ今までまったく問題にされていないんでしょうか。このまんまで、また同じ失敗をやり続けたならば、汚染のためにいくら補正予算を組もうと何をやろうと、日本の将来のためになることは決してできないと思います。また、その同じ基本問題に対して同じ過ちを繰り返しているマスコミの対応というのにも、もういっぺん問題を考えて、家族、地域、社会の崩壊という未曽有の事態に対して、3か月、4カ月、5カ月、6カ月、7カ月と、なぜ住民を主体にした議論が出来ないのかということを、国民を挙げて考える時が今きていると思います。

 次にもう一つの問題である外部被曝と内部被曝の問題について述べたいと思います。私は、癌の薬で放射性物質を身体の中に打ち込むということをやっております。薬だけを入れても上手くいきませんが、薬にβ線を入れると、かなりがん細胞がやっつけられます。次に、α線を入れるとかなりがん細胞がやっつけられます。こうして放射線の効果を見ているわけですが、α線を入れた場合の有効披見というのは0・04ミリ。β線を入れた場合の有効披見というのは2.3ミリです。放射線障害というのは、内部被曝が根本になります。内部被曝でDNAがズタズタになると癌細胞が死んでしまいます。ですが、先程のα線で20年30年で癌になると言ったのは、一部のDNAが壊れていますと、どういうことが起こるかというと、DNAが切られた後に、一部にいわゆる回分的構造、ハリンドローム配列という、たくさん切れると死んでしまいますが、ちょっと切れた時には修復されます。その修復される時に臓器とか組織ごとに放射線への感受性が違います。内部被曝を予防するということが一番大事になります。
 増殖の盛んな細胞を持っている子どもと胎児を内部被曝から守ることが一番大事になります。そのためには米などの食べ物を全品検査するということが大切になってきます。DBO検知器というのが放射線を検知するのに一番いい。厳しいスクリーニング、感度の良いものができないと駄目ということで開発を進めています。今、楢原町議会議長の松本さんに何が一番必要かと聞いたら、1も2もなく30キログラムの米袋を検査できる機械ということで、それを開発しています。この機械が10台あれば二本松の1万トンの米を10日で検査できるような規模になっています。是非、国を挙げてこれを応援していただけるようにお願いします。これは今は米袋用に作っていますが、検知器は温度が低いほど感度が良くなりますから、これを冷凍庫に入れて、たとえばお魚を流せるようにするとか、そういうふうにしていくことをどんどんやって欲しいと思っております。
 チェルノブイリでいろいろと新しい町が造られたとか、チェックが非常に徹底したというのは、あの町の2重構造がありまして、原子力の関係者ともともと地元に住んでいる農民です。新しい町にどんどん避難していったのは原子力の関係者のみです。被害者が一番出ているのは地元の農民であります。私が何を言いたいかというと、消費者の側でチェックということにすれば弱い人ほど被害を被る。生産者の側で安心なものしか出さないという以外の解決策はあり得ないと私は思っています。

 神戸大学の調査などでは、ウエブで見ますと、放射性物質の除染に効果が限定的だというのが出ております。放射線量が局地的に高い福島市のあたりの住民の要請を受けて、神戸大学の山内教授という方が、調べたところ線量がかえって進んでいるとか、高圧水で除染した地域では道路やアスファルトに固着した放射性セシウムの除染が十分できていない。これは我々から見れば当たり前であります。土壌をはく離するとか屋根を替えるとか、放射性物質を取り除いて隔離すれば線量は低下するはずです。けれども、お金をかけないでやっていけば、ちっともそれは下がるわけがないのです。
 除染工事自体は、60坪で、きちんと足場を組んで壁や屋根をやって土を変えてやると、普通で230万円かかります。屋根の材質が金属であったら高圧洗浄で良いけれど、金属でなければ屋根材を変えなければ駄目です。そういう計画をきちんとやらないと、ただ水をかければ除染と言っても効果はまったくないことになってしまいます。
 廃棄物処理をどうするのか。さっき言ったようなコンテナに入れて捨てるのかどうするのか、作業する人がきちんと粉塵などを吸わないようにする。隣家に被害をかけないように防護シートをかけるとか、そういうのも考えるのが普通です。だいたい放射線工事は倍かかります。二本松も230万に対して500万ということで、当たり前のような気がします。除染などのコストを考えたうえでどこまで住民と相談してやっているのかという問題があります。
 20キロから30キロの問題になりますと、事態はもっと深刻で、除染って言ったって、一体住民が戻ったり、除染する作業をどこからやるのか。東日本コースみたいなものが、一つは常磐自動車道の延伸で、富岡までは現在できていますが、ここは割と簡単に除染できます。表面の舗装を削るのも道路工事の方は技術を持っていますので、かなり簡単にできます。これはすぐにやってください。浪江にインターが出来る予定で、大熊の開口部、高速道路として造るというよりも復興除染。この地域に入るためにまず安全に入れる道路を造らなければいけません。問題はここに原発がありまして、まだ3キロとか5キロは、余震とかの非常時に備えなければならない。一番心配だった4号炉の補強工事というものがかなり進んできています。今まで一番心配だったのは、余震で4号炉が倒れて使用済み燃料がまた爆発を起こすということだったんですが、それは一応クリアされていると考えていまして、残るところはこの常磐自動車道なのですが、現在調査をしていて、あり得ないと思っています。常磐自動車道の調査は、1カ月はいってやっていますが、例えば車を出入りする時に、測定器と洗車機とレビューさせる。入ってくる車は必ず測定して除染する。今、Jビレッジとかいろんなところでやっていますが、除染の済んだ地域というのを道路からはっきり分けて、稼働式の洗車機とか測定器を設けて、それを徐々に広げていけば、どこまで除染できたかというのが一つの目安になります。これはぜひ早急にやっていただきたいと思います。20キロ、30キロの住民と一緒に考えるというよりも、まず住民が安全に戻れる道路、そして帰ってきた場合、汚染された車などが洗浄されて、入ってくる前のところで止める仕組みをまず作ってほしいと思います。ほとんどの延伸工事は終わっています。工事現場の橋などもすべて地震に対して耐えておりまして、問題は表面の土を、もう一度汚れた物を取り除いて、舗装するだけの問題ですから、これだったら数カ月もあればできることだと思っております。その作業のための積算の見積もりとかその他は、すでに熱心なネクスト、東日本の佐藤社長というところに、国土交通省がOKすればすぐにやるというふうに考えられております。
 高速道路の対策などを考えている段階で、やっぱり国の方が何もやっていないというのが私にはとても理解できません。そのための様々な手段というのがすでに、計算済みであります。実際の計測も行って、この割れているところは最初の地震ではなくてその後の台風やなんかで、盛り土のところが崩れているんですが、線量が低い。だから表面5マイクロにとどまっているというのが、高速道路の予定地でも保たれていますから、汚染した分を削って、それが粘土などいろんなものにくっついていますから、それを取ってコンテナとかそういうのに入れて、この常磐自動車道は盛り土部分がいっぱいありますから、大体遮蔽も十分ですから、これが一番早く出来る。処分場の問題がまったくなくできて、20キロ、30キロ圏内の住民に希望をもってもらうための第一歩を今日にでも始めてもらいたいと思います。
 私が今日申し上げたいことは、住民の生活のための復興のためには、まず、1にも2にも信頼だと思います。そのためには原子力安全委員会を直ちに差し替えて、復興と除染に責任を持ち、住民のために働く専門委員会を直ちに作ってほしいと思います。復興へのすべての鍵は、住民が希望をもって住民主導で行われる。これから、かなりの町の住民は、復帰しないという、復帰できないという決断をしなくてはならないと思います。その時に、家庭と地域と社会をすべての日本の皆さんで支えるということが新しい日本の出発に絶対に必要だと思います。

児玉民主党参議 私は総理と大臣に班目委員長以下5名の罷免を求めました。細野大臣は「法制上委員の罷免はできないので、来年4月までは現行の委員に努めてもらう」ということでした。

児玉教授 今のお話しを聞いて無責任さにあきれました。あなたは、原子力安全委員が辞表を出すまで今のままで良いとおっしゃっているのですか。56条を変えればいいじゃないですか。法律を変えればいいじゃないですか。国会議員が何で法制上できないなんてことを言うんですか。国会は誰のためにあるんですか。なんで同じことを何回も言わなくちゃいけないんですか。

児玉民主党参議 56条、改正に向けて、さっそく努力させていただきます。

柿沢議員 チェルノブイリでは30キロ圏、立ち入り禁止区域にしたまま捨ててしまっているわけです。本当に、現実を直視しながら、児玉先生のような希望をもてるのかどうかということについて、改めてお伺いしたいと思います。

児玉教授 除染の問題はですね、基本的にはどういうふうにくっついてどこにあるのかということをまずきちんと評価することと、もう一つは、除染をやるというところの現実の素材やなんかをよく知っていて実行力がないとできません。住宅の場合は、基本的には住宅を建てた人が関わらないと無理です。多くの住宅密集地では屋根に一番多く線量が残っています。そうすると屋根材を変えないと無理な場合がある。屋根材を変えるとなるとすごく高いと勘違いされてしまう方がいるんですが、たとえば、ハウスメーカ等に相談すると、屋根材の値段というのは1万円位。材料自体がですね。だから60平米だったら屋根材自体が60万位でできるというようなものなんですね。
 今一番大事なのは、民間の活力をきちっと使う。すごく間違いがありまして、公共セクターというのはコーデネイターであってプレーヤーじゃないんです。そこを間違えて公共セクターがプレーヤーみたいな顔をしてやると、必ずろくでもない結果しか生まれない。例えば屋根材一つをとってみても、ミサワの屋根材と積水ハウスの屋根材とは全然違うんですよ。ハウスメーカーにもいろいろありまして、安さと宣伝で売っているようなハウスメーカーもありますから、自分のところがどのような材料を使っているのかを知らないメーカーがある。作った人の責任感や材質への理解とかがないと住宅のはきちんと落ちない。日本でよく言われていたもの作りとかそういうものの真価が問われていると思います。家を建てるという時に、除染に熱心じゃないメーカーで家を建てるというのは、白アリにも弱いかもしれない、長い時間が経ったら壊れていくかもしれない。そういう意味で、逆に建築業者やハウスメーカーにとってもこの除染というのは、試金石になる。私、国の責任とか科学者の責任とかマスメディアの責任って今言っているけれども、家を建てる人もやっぱり責任があって、オーナーの人たちが困っている時に、本当に自分たちの仕事としてそれを綺麗にするような熱意を持っているかどうかが、すごく大きいと思います。福島の住宅地の問題というのには、そういうところが入っていない。だから、原子力機構がやるとかそういうのでは基本的に無理だという。繰り返し申し上げているのはそこにポイントがあると思います。

 是非、力を合わせてやっていただきたいと思います。原子力安全委員会に替わっていただくというのも、そこにいる一人ひとりを非難するのではなく、新しい、住民とか社会の再建のために、もっと良い道に変えていくというものですし、あれだけの災害が起こって大事な時ですから、やっぱりいろんな方が力を合わせてやっていくことができるかどうかというのをすごく重視していただきたいと思っています。

変えたのは、お母さん

2011年10月27日 | まつりごと
 児玉教授も感動。変えたのは、お母さんたち。児玉先生の熱意と横浜のお母さんたちとの響き合い。行政を法に順わせ、横浜の海を守りました。感謝。25日児玉教授の講演より抜粋。

 除染というのは、環境中にあるセシウムやその他を隔離して、減衰を待つということであります。水で流したりとかというようなことでは、実際には環境中の放射性物質は減りません。水を流してというのは幼稚園などの緊急の除染。幼稚園の子どもが行くのに1ミリ以下になるようなものができないかということで始めたのであります。最初に除染した鹿島幼稚園というところの線量。例えば園庭でも0.8ミリになっておりまして、子どもが戻れるようになっています。

 私はこの間の経験でかつて見ないことを経験しています。それは、社会を変えているのは、国会でも、マスコミでも、科学者でもなく、お母さんたちであるということです。南相馬の経験を6月朝日の茨城版が測定と除染ということで伝えてくれました。そうしたら、知人から、「森谷のお母さんが先生の記事を読んでホームページを作っているよ」と言われて見ると、正確的確。そしてお母さんたちが市役所のお父さんたちを説得し始めます。その頃文科省は20ミリで良いと言って、小佐古さんが涙の抗議で辞任しましたが、何も変わらないように見えました。だけどお母さんたちは自分たちで測って、先生を変え、先生は教育委員会を変え、教育委員会は市議会を変え、この市は除染を開始して東電に費用を請求しています。そうしたら、最初20ミリで良いと言っていた文科省がいつの間にか1ミリと言っているではありませんか。私はこういう変化を見たのは初めてであります。

 次にお母さんが環境省を変えた事例をみます。環境省は除染後に56条を加えて原子力安全委員会が基準を決定するという文言がある。とんでもない間違った法律を作りました。環境省の委員会に放医研、原子力機構がなだれ込んで、除染は5ミリで良いとか、8000ベクレル以下は捨てていいとか、耕していいなどと、8000ベクレル、なんで8000ベクレル捨てていいんですか。一体何を考えているんですか。僕らはずっと100ベクレル以上出してはいけないということで30年やってきてます。9月13日横浜市は環境省の基準をもって、環境省のいうとおり、原子力学会長のいうとおり、本牧の基地に放射線廃棄物の投棄を15日から開始すると言いました。そしたら9月14日、市役所はお母さんと子どもで埋って、1時間後に市長は凍結を宣言しました。環境省は専門家委員会に見切りをつけて除染目標を1ミリに戻しました。この間の時間の無駄というのは一体何だったんですか。

仮置き場と林業

2011年10月27日 | まつりごと
 政府が仮置き場に国有林の無償貸与を決めたことによって、児玉教授が即座に提言されています。政治家がやるべきことですが、これもお母さんたちのような力が必要と思われます。25日の講演より抜粋。

 林野庁は国有林への仮置き場を提案しました。私どもが前から申し上げているような人口バリア型の保管の概念でして、放射性物質を隔離して保管してやっていく。この方法というのは、一つは隔離保管する容器がすごく問題になります。コンテナのようなものを早く開発して、やっていただきたい。ステンレスのコンテナが今一番いいと思うのですが、12フィートにするか20フィートにするか、基準となるものを定めて、いろんな所に置かれている物をいれて、地下水に接しないように浅い所に置くということが基本になっております。浅い所に置いて、上と下の水の管理をする。もう一つは、すごく大事なのは、この施設は見学可能、出てくる水質などはチェックできるというようにする。世界でもバリア型の処分はごく当り前になっております。
 森林地帯に造る時には、是非考えていただきたいことがあります。それは、福島の復興というものを考える上で、日本の林業と合わせていくということで、かつてなく、一方で良い条件も生まれています。21世紀に入ってバイオマスでは、20世紀はバイオエタノールを作るということはやったんですが、2002年のイラク戦争の後などでは、木材をそのまま燃やすペレット市場というのができてきて、それがヨーロッパで大変革が起こって、例えばフィンランドでは一時エネルギー源は森林資源が34%になっています。
 チェルノブイリなど、放射性物質が降った所では焼却灰のモニタリングというのも普通に行われております。日本の焼却炉のかなりのものは、重金属対策がかなり進んでいる。700度以上で燃やしますが、セシウムは気化します。気化して上がった廃棄物を急激に冷やして200度以下にする。そうしますとセシウムなどは大体火灰として析出します。それを今度はバームフィルターで対策します。もう1サイクル回しますと、大気汚染などでやっているエコ町作り。最近の実験では99.99%セシウムが除けますから、一つの焼却処理というのが非常に大事になります。
 ところが環境省などで今の基準で間違っているのは、セシウムをなるべく濃いので回収したいんだけど、8000ベクレルとか1万5000ベクレルなど、いろんな濃度の問題で、総量として回収するという議論がまったくできていない。バイオマスとかの焼却所とかを汚泥の燃焼炉などを森林地帯に造る時に上手く造って、そこでセシウムを回収する。そしてたまったものを先程の人工バリア型の処分場などに置くという形でやっていくことが鍵になります。
 日本の林業というのは1979年以降衰退してきています。今回の福島の除染から、これをバイオマス発電で転換を計れないか。
・山林の汚染地域、一定の地域につき1カ所、バイオマス発電所を造る。
・そこにセシウム除去、それから、排気放射線流量のチェックができる瓦礫汚染燃焼炉を造る。
・林道を整備しペレット市場を助け、我が国の林業の再生の拠点とする。
・復興には森林発電の電力をかぎとする産業を津波被災地に創る。
・海寄りの低線量で、かつ、丘状で、丘状というのは津波安心地、津波にやられない所で、幼稚園や学校付きの新規若者向け住宅を造る。
こういうことをやらないと、やっぱり本当の若い人たちが帰ってくる、安心な地域作りというものが出来ないんじゃないかと思います。

テレビ、新聞のネットワーク

2011年10月27日 | まつりごと
 3月11日午後。地震の瞬間を、木村真三(44)は川崎市にある労働安全衛生総合研究所で迎えた。研究所員の木村は、放射線衛生学の専門家。医師や看護師の被曝(ひばく)調査や、チェルノブイリ事故の現地調査に取り組んでいた。大きな揺れの後、木村はテレビに駆け寄って「原発どうなった!」と叫んだ。大丈夫、とテレビは報じていた。千葉県市川市に住む家族とは翌日の午前2時まで連絡が取れなかった。翌12日は土曜日だった。家族と会うことができ、午後は3歳の長男と買い物に出かけた。家に戻ると、妻がいった。「原発が爆発した」。瞬間、木村は反応していた。スーツに着替え、長男に「お父さん、しばらく帰ってこないから」と告げた。研究所に戻って現地入りの準備をした。住民を放射線から守るにはまず測定しなくてはならない。それには速さが求められる。時間がたてばたつほど測定不能となる放射性物質が増える。急ぐ必要があった。準備を急ぎながら、木村は最も信頼する4人の研究者にメールを出した。京大の今中哲二、小出裕章、長崎大の高辻俊宏、広島大の遠藤暁。
 「檄文(げきぶん)を出したんです」と木村は振り返る。「いま調査をやらなくていつやるんだ。僕がまずサンプリングに行く。皆でそれを分析してくれ、と書きました」えりすぐりの人たち、と木村はいう。「全員、よし分かったといってくれました。一番返事が早かったのは小出さんです。私は現地に行けないけれども最大限の協力をします、と。あとの人たちからも次々と返事がきました」木村はその檄文を七沢潔(54)ら旧知のNHKディレクター3人にも回した。測定したデータを公表する手段が要る、と考えていた。じきに携帯電話が鳴った。七沢だった。七沢は七沢で知り合いの研究者と連絡を取りまくっていた。七沢はいった。「特別番組を考えている。協力してくれないか」
 13日に市川で七沢と会った。打ち合わせを終えて七沢と別れたとき、携帯に研究所からの一斉メールが入った。研究所は厚生労働省所管の独立行政法人。文面にはこうあった。〈放射線等の測定などできることもいくつかあるでしょうが、本省並びに研究所の指示に従ってください。くれぐれも勝手な行動はしないようお願いします〉研究所に放射線の専門家は自分しかいない。これは自分に向けて出されたメールだ。木村はそう思った。自分の現地入りをとめるつもりだ、と理解した。
 木村真三(44)は、1999年に起きた茨城県東海村の臨界事故を思い出した。当時、木村は千葉市にある放射線医学総合研究所に勤めていた。同僚とすぐ調査に行こうとしたが、許可が出ない。休日に有志で周辺を調査し、本格的な調査に向けて根回しを始めた。と、上司から「余計なことをするな」と大目玉を食らう。

 「3月13日のメールを見て放医研のときと同じだなと思いました。同じことを繰り返したら死ぬまで、いや、棺おけに入っても後悔する」
 出した結論は、労働安全衛生総合研究所を辞めることだった。

 「家人には一切いわず、すぐ研究所に行って総務課長の机の上に辞表を置いてきました」 軽い決断ではなかった。任期5年の満期で放医研を辞めた後、木村は専業主夫を経て塗装工になった。雨の日以外は土日もなく働いた。ただ、ときどき休みをもらった。「明日はつくばで論文書かないかんのよとか、京大で実験に入るからとか。研究者公募情報はずっとチェックしていました」1年半後、公募情報で労働安全衛生総合研究所がアスベストの研究者を募集していると知る。「アスベストの中皮腫はプルトニウムによる症状とよく似てるんです。で、アスベストは知らんけど放射線は知ってると書いたら採用されました」そのとき40歳。正職員になったのは生まれて初めてだった。悪い職場ではなかった。「労働衛生と関係ないからチェルノブイリ調査事業は廃止を」と求められた際も泣く泣くのんだ。「事業は廃止になるが、自腹でも調査を続ける」と仲間にメールしたのは原発事故直前。研究者が職を得る苦労は身にしみていた。それだけに、職を手放したことは妻に言えなかった。思い切って打ち明けたのは3月の終わり。妻の言葉は「あなたらしいわね」だった。

 NHK教育テレビのETV特集ディレクター、大森淳郎(53)は、原発事故の直後から関連番組づくりを考えていた。行き着いたのは、原発に詳しい七沢潔(54)を呼ぶこと。七沢は現場を離れ、放送文化研究所の研究員を務めていた。3月14日、プロデューサーの増田秀樹(48)に相談すると、「すぐ呼ぼう」。その日の夕方、七沢と木村が東京・渋谷のNHK6階に現れた。木村は測定器や防護用品をたくさん抱えてきて、「明日から行くんです」と主張した。
 3月15日。木村真三(44)とNHKの七沢潔(54)、大森淳郎(53)は、ロケ用のワゴン車で福島に入った。途中、ゴム引きの雨がっぱとゴム長靴を買い求めた。人がいる地域に防護服で乗り込むのは違和感がある、と考えた。長靴をはき、その上からポリ袋をかぶせて雨がっぱとの間を粘着テープでしっかりとめた。木村の指導だった。マスクも活性炭入り、5層構造の品を木村が用意した。放射線量を測り、検査用の土を採取しながら福島第一原発の方向を目指した。汚染はまだら模様だった。毎時300マイクロシーベルトまで測定できる機器の表示が振り切れる場所もあった。原発に近い割には線量が低い場所もあった。開いていた三春町の旅館に泊まりながら、とりあえず原発周辺を3日間走り回った。その後、ETV特集プロデューサーの増田秀樹(48)も加わって29日まで断続的に現地調査を続けた。目的は放射能汚染地図を作り、番組にして流すことだった。4月3日の放映を目指した。
 番組放映までの歩みは平坦(へいたん)ではなかった。22日、局内の会議で企画そのものがボツになった。増田はあせった。4月3日のETV特集に穴が開く。かといって震災と関係ない番組はやりたくない。七沢らと話し合い、三春町に住む作家、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)とノンフィクション作家、吉岡忍の対談を番組にして放映することを決める。それが24日だった。だが、放射能汚染地図を柱とした番組づくりもあきらめてはいなかった。25日、増田が大森に連絡した。「30キロ圏内も入れるぞ」NHKは30キロ圏内入りを自主規制していた。入れるというのは勘違いで、のちに増田は始末書を取られることになる。大森は郡山で借りたレンタカーを運転して浪江町や葛尾村、南相馬市を駆けまわった。
 大森は昨年夏、「敗戦とラジオ」という番組を作っていた。その中で感じたのは大本営発表の危険性だった。戦時中、なぜ報道機関は大本営発表しかできなかったのか。大森は戦時中の「勝った」「勝った」という大本営発表が、今の政府の「大丈夫」「大丈夫」と重なってしようがなかった。大本営的発表があったとき、それを疑わないと意味はない。あとで振り返っても何にもならない。たとえ厳しい放射線値が出ても、本当の数値を報じることが重要ではないか。そんな思いに突き動かされていた。

 現在、放射線量を測るモニタリングの定点は文部科学省が決め、日本原子力研究開発機構の研究者らが計測に当たっている。「研究者が単なる作業員になってるんですよね」。日本原子力研究開発機構労組(原研労組)の委員長、岩井孝(54)がいう。「定点で測るのもそれはそれで意味はありますが、それ以外に、線量の高い場所などを探して歩くことが絶対に必要なんです。そういう意味では研究者は歯がゆい思いをしていると思います」
 その歯がゆさを、辞職という手段で飛び越えたのが木村真三(44)だった。勤めていた労働安全衛生総合研究所に辞表を出し、縦横に動いて放射線を測定した。時には住民にデータを示して危険を説明した。やっと得た職を辞してまで現場に行く。木村が思い切った行動を取った背景には、おそらく木村の反骨心と独特の経歴が影響している。

 木村は愛媛県西南部、四万十川の支流に広がる広見町(現鬼北町)で生まれた。父は傷痍(しょうい)軍人の町職員で、厳格だった。母は保育園長。小学校から高校まで地元で過ごす。実は相当な不良だった。「小学3、4年のとき、いじめられている女の子をかばったら今度は僕が徹底的にいじめられたんです。中学に入ったときに思いました。こいつらよりもっとワルになったらこいつらをたたきつぶせる」授業に出ず、体育館の屋根裏でたばこを吸った。けんかもした。北宇和高校に進んでも同じだった。けんかに勝つため体を鍛えに鍛えた。177センチの身長にがっしり筋肉がついた。一時はプロレス入りも考えた。卒業間際には暴力団にスカウトされた。「お前やったら頭も切れるけん、うちに来い。舎弟分の事務所が松山にあるから、そこで1カ月修業して、それからうちに来い、と。就職の誘いは暴力団だけでした」
 父親は「お国のために死んでこい」といった。自衛隊に入れ、という命令だった。そのとき、木村は人生でし忘れていることはないかと考えた。そういえば勉強をやったことがなかった。大学に行きたいな。もともと天文学者になる夢を持っていて、ぐれてからも天体観測を続けていた。物理学を学びたい、と思っていた。父親は「お前みたいなやつに勉強する資格はない」と怒ったが、母親が「私がお金を出します」といってくれた。
 大学行きは決めたが、学力はない。愛媛の山あいから出た先は高知市だった。市郊外にある予備校の寮に入り、自転車で予備校に通った。「一念発起して勉強しました。英語の偏差値は29から60まで上がりました。長文解釈が得意でした」友人が「山口県に東京理科大の短大ができる。そこなら理科大に進める」と教えてくれた。助言に従ったものの、当初は素行不良だった。「1年の夏休み明けに面接があって、進学したいって言うと、行けるところはないと言われたんです。そこでまた一念発起して。助教授に『生活改め表』を書 けと言われて書いて、必死に勉強した。自分より成績の低い仲間が東京理科大への編入を決めていくのに反発し、国立に行く、九州工大を受ける、と」推薦をくれた教授が「お前は二部(夜間)で働く人の大変さを味わってこい」といった。
 合格し、九州工大の二部に3年から編入する。働きながら熱心に学ぶ人たちの姿は目からうろこの驚きだった。「これはほんとに勉強せんといけんなあと思いました」専攻は金属材料で、物理と化学の両方を学んだ。学内で技術補佐員の仕事を見つけ、昼は分子構造の解析プログラムをつくったりした。卒業が迫り、工業高校の教師を目指すか大学院への進学を考えていた。と、推薦状をくれた山口の教授から電話が入る。「お前、来週からうちの大学の助手だから。もう教授会で決まった」いや応なく山口に戻り、助手を務めた。1年後、大学院への思いが募り、石川県の北陸先端科学技術大学院大に。体内の薬物伝達を研究し、2年で修士課程を修了。博士課程は北海道大に進み、パーキンソン病のメカニズム研究で博士号を取る。
 妻の実家が会津の出ということもあり、木村は3月から福島に半ば入りっぱなしで内部被曝(ひばく)調査や汚染地図づくりに取り組んでいる。木村の信念は「研究成果は住民のもの」だ。仮に深刻な値であっても住民に知らせ、意味を説明することが人々を救う道だと信じている。だが、木村の考え方は多数派ではない。たとえば3月18日、日本気象学会は会員に研究成果の公表自粛を呼びかけた。「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報に基づいて行動すること」が自粛の理由だった。*2011.10.17~27朝日新聞朝刊 プロテウスの罠 第2シリーズ 研究者の辞表(1)測定 まず僕が行く(2)家人には一切いわず(3)雨がっぱとゴム長(9)暴力団からスカウト(10)伝える、それが救う道(依光隆明)より抜粋。