
石垣原主戦場、実相寺山には山桜が咲き、高崎山、別府湾が望めます。

旗の台の清正像、後ろの鶴見岳の向こうに石垣原

清正の手型
1600年関ヶ原の戦いの時、清正は黒田軍援護のため旗の台に陣を構えていました。黒田勝利を見届け、肥後へ戻り、1588年初めて肥後国に入国した際に通った道などの整備に取り掛かります。
1611年清正が没すると、肥後街道は後を受けた細川氏が1635年制度化された参勤交代路としても…。
八幡大菩薩、法華経を愛した清正は、早吸日女神社の再建、法心寺の建立なども行なっています。万人平等という妙なる法の道を求めてのことだったのではないでしょうか。肥後、鶴崎、野津原などでは、今でもせいしょこさんと親しまれています。