天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

世を思ふゆゑに

2013年12月28日 | 不易
658年12月9日蘇我赤兄、中大兄皇子に捕えられ翌々日に藤白坂で絞首刑になった有間皇子

磐代の 浜松が枝を 引き結び
ま幸くあらば また還り見む



765年10月、藤原仲麻呂、孝謙上皇から淡路国に流され逃亡を図るが捕まり、翌日に院中で淳仁天皇

天地を 照らす日月の 極みなく
あるべきものを 何をか思はむ



保元の乱・1156年で讃岐に流された崇徳天皇は仏教に深く傾倒して極楽往生を願い、五部大乗経(法華経・華厳経・涅槃経・大集経・大品般若経)の写本作りに専念。後世の安寧を得るため、和歌を添えて都の寺に奉納することを願ったが叶わず、8年後46歳で崩御。

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ




1221年承久の乱で隠岐に配流され後鳥羽院

人もをし 人もうらめし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は

2013年

2013年12月27日 | Weblog
みよし野は 見しにもあらず 荒れにけり
あだなる花は なほ残れども


 今年は行政、立法に続き、司法も崩れ去りました。正そうとする人も潰され、それまでとは違う世になってしまいました。

 みゆき嬢も「まいるぜ」と…

 諦めの中で突然の中で意味のある日になる 昨日までと違う意味で逢いたくて わかる人にしかわからない それでいい愛詞
 昨日までならば言えた戯れ言もためらう風の中 願いごと増えました 独りなら願わない あなたが微笑んでいてくれるように泣かずにいるように 昨日までと違う意味で伝えたくて 昨日までと違う意味でせつなくて こごえてるあなたへこごえてる命へ 心の扉の鍵になれ ひと粒愛詞 ~「愛詞(あいことば)」中島美嘉

 他人の悲しみを聞かない 自分でも泣かない カラカラに乾いた笑い ヤワな奴 後悔も願いごとも無縁と あれ以来決めて来たのに まいるぜ
 やけっぱちだった夏と 諦めて堕ちて行った秋と 憧れ過ぎて舞い上がった春との間で 冬は冬だ何もない 飾る嘘も守る嘘もない あまりに何もなさ過ぎて油断をさせられる ここでなら涙も凍って消える ここでなら寂しさ叫んでもきえるだろう 冬は何か始まる 底の底まで冷えた心 はずみのように熱をもつ 失うものなどない それゆえ愛でも始めたくなる まいるぜ~「Winter Song」織田哲郎

 ちひろ嬢は…

 私に見えるのは 遠い過去の渕 ひどく凍えた眼 そっと覚醒た羊の夢 雑音の狭間 揺りかご 沈黙の最中よ
 私が生きるとき それは乱れ舞い 放つの如く 灯りと正義よ
 哀しみを捨てて 心を失って 想いを犯して それでいい 先にいければ 身体が囁く 囁く 囁く your symphony is never-ending ~「This Silence Is Mine」

 社会の約束事は失われ、突如として必然から偶然へ。

風さそふ 花よりもなほ 我はまた
春の名残を いかにとやせん



時しらぬ なげきのもとに いかにして
かはらぬ色に 花の咲くらむ




いくとせの 春に心を つくしきぬ
あはれと思へ みよしのゝ花


ひとつぶあいことば…交響曲は終わりません。




やなせたかし

2013年12月23日 | 不易
最後のインタビューは「平和への思い」 やなせたかしさん
2013.12.23 11:40 産経
 「アンパンマン」などで知られ、10月13日に94歳で死去した漫画家、やなせたかしさんが軍隊の体験について初めて本格的に語った本『ぼくは戦争は大きらい-やなせたかしの平和への思い』が今月、刊行された。好戦的風潮に危機感を抱き、平和への思いを最後に残したロングインタビューになっている。

 インタビューは今年4~6月、事務所で行われた。「(戦争を)思い出すのも、話すのも嫌」としていたやなせさんは、軍隊経験について積極的には語ってこなかった。だが本書では「日本が戦争をしたという記憶が、だんだん忘れ去られようとしています」と“解禁”した理由を明かし、戦争のむごさ、愚かさを説き起こしている。
 日本が太平洋戦争に突入した昭和16年12月8日、やなせさんは福岡県にあった陸軍の部隊にいた。暗号班などを経験し、終戦までの間に中国・福建省の福州などを転戦した過去を振り返った。
 本書のあとがきで「世の中全体が嫌なものはみんなやっつけてしまおう、というおかしな風潮になっている」と警鐘を鳴らし、「『アンパンマン』の中で描こうとしたのは(中略)嫌な相手とでも一緒に暮らすことはできるということ」とし、「日頃からがんばって、みんなが戦争なんてしなくてすむ世の中にしよう」と訴えている。取材・構成を担当した漫画評論家の中野晴行さんは「ユーモアの中に戦争批判を込めている。やなせさんらしい伝え方と思う」と故人をしのんだ。

 「嫌な相手とでも一緒に暮らすこと」が「正義」ということですね。顔を食べてもらうという「献身」。「愛」は身を削りますね。

 

This Silence Is Mine

2013年12月18日 | 中島みゆき


私に見えるのは 遠い 遠い 過去の渕
私に見えるのは ひどく ひどく 凍えた眼
私に見えるのは そっと 覚醒た羊の夢
私に私に見えるのは 雑音の狭間 揺りかご
誰にもこの肌は届かない 緋の痕 揺りかご 雑音の狭間
THIS TATTOO THIS THIS PREVIEW THIS HEARTBEAT 沈黙の最中よ
WHERE IS MY GEAR? WHERE WHERE ARE MY STAIRS?
WHERE IS HEARTBEAT? THIS SILENCE IS MINE THIS THIS SILENCE

私が祈るとき それは熱を帯びる
私が叫ぶとき 声を奪う
それは それは 私が生きるとき それは 乱れ舞い 放つの如く
THIS TATTOO THIS THIS SCREW THIS HEARTBEAT 灯りと正義よ
WHERE IS MY GEAR? WHERE WHERE ARE MY CHOIR?
WHERE IS MY HEARTBEAT? THIS SILENCE THIS SILENCE
哀しみを捨てて 心を失って 想いを犯して それでいい
ああ 先にいければ 身体が囁く 囁く 囁く(your symphony is never-ending)
THIS TATTOO THIS THIS PREVIEW THIS HEARTBEAT 沈黙の最中よ
WHERE IS MY GEAR? WHERE WHERE ARE MY STAIRS?
WHERE IS HEARTBEAT? THIS SILENCE IS MINE THIS THIS SILENCE

THIS SILENCE IS MINE


鬼束ちひろ 

マンデラ語録

2013年12月05日 | Weblog
[5日 ロイター] 南アフリカのマンデラ元大統領が5日、ヨハネスブルクの自宅で死去した。95歳だった。マンデラ氏は反アパルトヘイト(人種隔離)闘争を率い、南ア初の黒人の大統領となり、1993年にはノーベル平和賞を受賞した。

記憶に残るマンデラ元大統領の言葉。

「私個人としては決断した。南アフリカを去ることも、あきらめることもしないと。苦難と犠牲、そして武力行動を通じてしか、自由は勝ち取れない。闘いはわが人生だ。最後の日まで、自由のために闘い続ける」~1961年6月26日、アフリカ民族会議の記者声明で

「全ての人々が調和と平等な機会の下に暮らせる民主的で自由な社会という理想を抱いてきた」「その理想こそ、私が命を懸けて実現させたいものだ。しかし、もし必要とされるなら、その理想の実現のために死ぬ覚悟がある」~1964年4月20日、反逆罪裁判で

「私は預言者としてではなく、人民に仕える奉仕者としてここに立っている。あなた方の根気強く英雄的な犠牲行為のおかげでここに立つことができた。そうであればこそ、残された人生を皆さんに委ねようと思う」~1990年2月11日、釈放当日のケープタウン演説で

「肌の色や育ち、信仰の違いを理由に他人を憎むよう生まれつく人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎むことを学べるなら、愛することも学べる。愛は憎しみより自然に人間の心に届くはずだ」~1994年の自叙伝「自由への長い道」で

 愛は遺伝子に記憶された普遍的なもの。憎しみは人間の一個体が生まれてから学ぶもの。

 「私には敵はいない」「愛で、憎しみを溶かす人間でありたい」2010年ノーベル平和賞劉暁波氏

 「憎しみは誰をも救わない」「地上に憎しみが尽きる日は無くてもそれに優る笑顔がひとつ多くあればいい」1993「アマテラス」中島みゆき

 自由の名の下にある国で、その憲法を押しつけられたなどと学ぶ人の何と愚かなことでしょう。