国鉄中央西線、篠ノ井線を1960年代によく利用された鉄道ファンには涙が出そうなモノクロ写真がブログアップされていますね。
その当時、私自身は小3頃か。名古屋市北区の志賀団地に住んでいました。
中央西線・名古屋〜瑞浪の電化正式開業が迫り、稲沢第二機関区に配属されたぶどう色のEF60初期型が鈍行客車列車を牽いて練習運転も。
非冷房だった夜行気動車急行“あずみ”、オロハネ10や郵便荷物車を従えたD51が牽いた夜行客車急行“きそ”などなど。DD51もそろそろ現れていたようだ。
あの頃はまだまだ古い愛岐トンネル群は健在。電車や電気機関車の場合は新愛岐トンネルを経由していたような。
今や、この路線の主役は315系やEH200に。数年後には385系も。昭和は遠くなりにけり。
あるいは煙害防止で黒煙が出ない様に石炭を完全燃焼させるか、千種や大曽根に停車中に缶圧を最大にして発車、最初の跨線橋を潜るまでに絶気して惰行で走ってたとかでしょうか。
私、幼児の頃は金山橋駅近くに住んでたので、件のブログの金山手前の波寄カーブ(勝手に命名)は懐かしい光景です。
世代的には電化後ですが、幼稚園バスの車内から名古屋から熊本行きの特急「つばめ」になる581系の回送列車を見てたのを覚えています。
もちろん当時は特急「つばめ」とか581系なんて知らないので、「あおとしろいろの、おっきなでんしゃ」って認識ですけど。