国内屈指の自動車工業の一つ“スズキ”相談役、鈴木修さんが先日、悪性リンパ腫のため他界されました。享年94。岐阜県下呂市出身です。
今朝の中日新聞でも、あの故・須田寛さん並みの大きな扱いで記事に取り上げていますね。
鈴木修さんは中央大学法学部を卒業され、当初は中央相互銀行、つまりこれからの、あいち銀行に勤められていたとか。その重要取引先の一つがスズキ自動車にほかならない。
その後、当時のスズキ自動車の社長に見込まれたのか、そちらへ転職され、浜松を拠点に自動車産業の振興にも努められました。
浜松市では近年“やらまいか精神”がクローズアップ。古来からの養鰻産業や繊維産業等に留まらず、音楽機器産業のヤマハや河合楽器に対抗してか、自動車の普及や新型の開発に尽力。新たな地場産業が確立しましたね。まずは軽自動車部門に力を入れています。
特に海外においては、インドへの技術輸出に注力され、高い評価を得られましたね。
私自身も中古ながら、若かりし平成初期には軽自動車の“アルト”を安く購入し連日、運転していた思い出もあります。私自身のマイカーにとっては初のAT車に。
トヨタ自動車の豊田章男会長も鈴木修さんを厚く尊敬。いろいろ経営的アドバイスを、きっと受けられたことでしょうね。うん。
あの川勝平太・前静岡県知事との関わりについては、よく分かりませんが。
また大村秀章・愛知県知事もリニア中央新幹線推進派ながら、鈴木修さんとの親交は古いとの由。
まあ、このリニア建設において一時、最悪の展開になったのは、もしかしたらJR東海における故・葛西敬之氏の当時の些か傲慢な経営姿勢のせいかもしれない。私自身も正直、彼だけは評価出来ない。
ここでは敢えて詳しいことは書かないことにしますが、旧国鉄への入社動機も極めて不純だったようだし。うん。ウィキペディアによれば、悪いスキャンダルも多かったような。
さて、浜松市が豊田市や豊橋市、岐阜市、静岡市等をも遥かに凌ぐ近代的な大都会になれたのも、鈴木修さんの功績が大きいだろうね。きっと。
ここに慎んでご冥福をお祈りしつつ、合掌致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/07/a4344e3b046e937bafefe8d635140022.jpg?1735343734)
…………スズキに直接関連する画像が手元にないため、浜松市街交通の王者、遠鉄バスのものでも貼っておきますね。浜松市が今のようなオムニバス都市宣言出来たのも、今のスズキのおかげかもしれません。
…………鈴木修さんは中日ドラゴンズの熱心な応援者の一人でもあり、井上一樹監督や立浪和義前監督等との親交も深かったらしいね。
・追伸…………奇しくもほぼ同年代で、且つ相次いで旅立たれた須田寛さんと鈴木修さん。
共通点はアイデアマンでもあり、現場把握も素晴らしかったことや、社員やユーザーからの生の声を謙虚に聴く姿勢も著しかったことですね。
鈴木修さんは小型国民車“アルト”の生みの親とも言えます。
あの須田寛さんも静岡鉄道管理局管内に在勤中、旧国鉄の制服を着て、凛々しい姿で駅員そして列車の車掌も経験されたとか。折しも東海道本線の静岡県内区間が電化された直後のことで、さぞや誇らしげだったろう。
お二人様とも今後のテレビドラマのモデルの有力な候補になるのは間違いなかろう。うん。