遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

さあ、滑る準備はできた

2021年12月16日 | スキー旅

納戸からスキーギアを引き出して

 

板のクリーンアップ、ワックス塗りを終えた。

あとは、積み込めばいい。

なんでスコップが?

自分が・・あ違った クルマが雪で埋もれたら掘り出すのさ。

 

 

山は、上部のみオープンしている (長野・八方尾根スキー場)

前シーズンは、とうとう下部ゲレンデは雪不足でオープンしなかった。

明日からは降雪が始まる。期待しよう。

 

問題はクルマ

12月1日から、トヨタへ車検・修理に出しているが陸運局で落ちた。部品を新めて再修理。今日か明日に再度陸運局へ持ち込む。20万キロを超えているからなあ。がんばってくれトヨタさん。

 

 


ところざわサクラタウンへ

2021年12月14日 | 一般旅

埼玉県南西部の所沢市が、角川書店グループとの共同プロジェクトとして立ち上げた「ところざわサクラタウン」を見に行ってきた。

 

この奇怪な多面体の建物が、サクラタウンのランドマークになっている。

あの隈研吾の設計によるもの。多面的、多様的な物事の捉え方が重要になっていく時代の流れを表そうとしたようだ。

 

 

さあ、その建物「角川武蔵野ミュージアム」に入っていこう。

アニメミュージアム、動く浮世絵等のイベントもあるのだが、今回は4F,5Fでの「本棚劇場」他の展示物だけを見て来よう。スタンダードチケット1200円が必要だ。

 

 

本棚劇場へ向かう。

エディットタウン

本の街をイメージ。世界を読み解く「9つの文脈」にそって約2.5万冊の本が並ぶ。館内であればどこでも閲覧できる。

 

 

「男と女のあいだ」という文脈でも、関連本が並んでいた。

 

 

「話を聞かない男、地図が読めない女」・・往年のベストセラーだな。読めなくったってもうナビがある。

「父という余分なもの」・・おお、深いなあ。

「なぜペニスはそんな形なのか」・・そこまでいくか。(笑)

 

 

そして本棚劇場へ。

高さ約8mの巨大本棚にかこまれた空間。

 

 

 

約5万冊の書籍を所蔵。

みなさん、この空間に入ると

ワーっと歓声を上げて、見上げる。

 

「本と遊び、本と交わる」をコンセプトとしたプロジェクションマッピングを時間ごとに上映する。

これは緑の樹を表したプロジェクション。

昨年のNHK紅白では、この本棚劇場でYOASOBIが「夜に駆ける」をライブ歌唱した。

 

 ~

 

特別展示が二つあった。

「武蔵野3万年のレシピ」という展示があった。

 

「太古の昔から人が住み現在1000万人が暮らす『武蔵野』を改めてみつめ再定義していくための場所です。武蔵野の土地、文化、自然、そして未来を探っていきます」との趣旨。

角川の雑誌『武蔵野樹林』と連動した展示。

 

武蔵野は、JR中央線を中心沿いに、東京23区西部から埼玉西部までを含む(元は)広大な原野。

国木田独歩は『武蔵野』で、都市からそう遠くない、人間の生活圏と自然が入り交じる田園地帯として、新時代の”武蔵野”を描き出そうとして、そのイメージが明治以降定着したとか。

 

 

どこかで見たような、雑木林だな (笑)。

 

 ~

 

俵万智展も。

 

SNSで「いいね」の数を競い合うのではなくて、たったひとつの「いいね」のために歌をつくることを、問いかけたのだとか。

俵万智の35年にわたる歌業の中から時代を代表する約300首を厳選、展示し彼女の言葉の世界をめぐる展覧会。

 

「手紙には愛あふれたり その愛は消印の日のそのときの愛」

はい、解釈は自由です。

同郷の俵万智さん、がんばってね。

 

 

お腹空いたな。

隣りの「EJアニメホテル」へ移動。

6Fまで上がって

ここで、ランチとしよう。

 

ビーフシチューセット 2200en で。

 

現地、所沢の野菜

 

 

ビーフシチュー

デミグラスソースがいい味。

 

デザートは別注で

ブックケーキ

チョコレートの表紙でミルククレープをくるんだ「本」ケーキ。

 

 

チョコレート表紙を開けると

ミルククレープの層が。

これ実際に1枚、1枚めくれた。2枚ほどめくりながら食べてみたが、あとは面倒になって切り取って食べた。(笑)

 

 

はい、おいしゅうございました。

 

休憩室にはツリーの飾りつけ。

 

ということで

メリークリスマス to you all !

 

 

 


晩秋の雑木林で

2021年12月09日 | 日々の思い

二日続いた雨の日が明けた。

また関東特有の晴天が続くようだ。(^^)

 

近くの雑木林に出かけてみた。

 

 

晩秋の紅葉のトンネル

この辺りの平地の雑木林では、12月もだいぶ過ぎた今が

紅・黄葉のピークのようだ。

 

 

落ち葉がびっしりだ。

歩くと、カシャ、カシャ と心地よい音を立てる。

 

 

朝10時ごろで

陽当りの良い所では樹々が輝く。

 

 

モミジも真っ赤、赤。

 

 

晩秋といっても

暦も、心も、もう初冬へ。

冬支度を進めなくては。

 

......................

 

 

落葉のコンチェルト」(原題 For The Peace of All Mankind)は、アルバート・ハモンドが1973年に発表した楽曲。歌内容は落ち葉とは何の関係もない失恋の歌。CBSソニーは日本での販売促進の一環として、北海道から落ち葉を取り寄せ関係者に配った。その際、一部のラジオ局から「ゴミの配布にあたる」として担当者が出入り禁止処分となったとか (笑)。


なぜオミクロンなのか~新型コロナの命名方法

2021年12月07日 | コロナのこと

クルマが修理中で暇なので、掲題について調べてみた。

Q1 なぜコロナなのか?

A. コロナウイルスは、顕微鏡で見ると表面に王冠(コロナ)状の突起があるため、こう呼ばれている。

コロナビールやらコロナ給湯器を始め、製品名・会社名に「コロナ」を冠した事例は多い。「コロナ」を含む会社名は全国に290社ほどあるようだ。命名理由は「王冠」を意味したのだろうが、とんだとばっちりを受けているかもしれない。

 

次に、新型コロナの変異株にはアルファやらデルタといったギリシャ文字名を充てられているのはご存じのとおり。

Q2. しかしなぜギリシャ文字名で呼ばれるのか?

 

A. 変異株は、当初確認された国や地域の名前を用いて呼ばれていたが、WHOは差別や偏見を避けようと2021年5月末以降はギリシャ語のアルファベット(24文字)を1番目の「アルファ」から順に注意指定した変異株の名前にした。

アルファ株 英国、ベータ株 南アフリカ、ガンマ株 ブラジル、デルタ株 インド

デルタ株は直近まで猛威を振るったが、イプシロンからラムダなど8種類の変異株はほとんどが徐々に消滅した。

そして今回南アフリカで発見された新たな変異株「B.1.1.529」については、WHOが順番に従って「Nu(ニュー)」と命名するかと思われたが、「Nuは『new』と混同されやすく、次のクサイは一般的な姓でもあることから使用しなかった」と説明された。クサイはXiであり、中国寄りのWHOは習近平国家主席の姓と似ていることから避けたと憶測されている。やはり臭い。

 

 

で、次のギリシャ文字・オミクロンと命名された。尾身(政府分科会長)クローン(複製)ではないかとの誤解を避けるWHOの配慮は・・勿論されなかった。(笑)

 

 

ではそもそもなぜコロナ名にギリシャ文字なのか。「数学や物理学の基礎と根幹は古代ギリシャの哲学者によって編み出され、ほぼそのまま踏襲・展開されてきた。円周率π、総和Σ etc」。変異株に使われることには「ギリシャ文字は現代の価値から切り離された中立的な記号として定着した。日本でイロハニホヘトがナンバリングに使われるのと同様、特別な理由はない」と推察する。(尚絅学院大学・今井誠二教授)

 

しかし、ここからは私のトンデモ見解だが、未曾有のパンデミックを引き起こしている疫病新型コロナ、次から次と現れるその変異株の命名に順にギリシヤ文字24個を与えることの意味を啓示的に考える人もいるだろうと思う。

聖書に親しんだ教養のある西洋人なら、次の有名な箇所を想起するに違いない。

今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、

「私はアルファであり、オメガである」。 ヨハネの黙示録1-1

とか

そして、私に仰せられた。

「事は成就した。

私はアルファであり、オメガである。初めであり終わりである」。 ヨハネの黙示録21ー6

 

意味するところは、全能者の神がこの世の始めを造り(創世記)、神がこの世に終わりをもたらす(最後の審判)、ということだ。それだけなら教義・ドグマというだけで面白くもなんともないが、世界の時系列をギリシャ文字の順列に例えたことが目を惹く(少なくとも私の)。人類は新型コロナを克服できないという超悲観主義に立てば、変異株は最後のオメガωになるまで出現し続け、その度に強力になり最後には人類を滅亡させる・・と、想像をたくましくする人もいるだろう。

(オミクロンから最後のオメガまで、まだ9株残っている!)

 

 

おー、こわ。(笑)

ただ、そういう終末論は有史以降何度も喧伝されてきた。

一番直近は、20世紀末のノストラダムスの大予言だろう。そして幸い何事も起きずに忘れられていく。

今回も人類は、新型コロナパンデミックもなんとか克服するであろうと信じたい、容易な道ではないが。そしていつか完全「復活の日」を迎えると。

 

 

 


あだし野の露は・・

2021年12月03日 | 日々の思い

 

近親者の通夜、告別式に参列した。

通夜は午後4時から8時まで。

 

 

翌日は、午前10時から1時まで初七日の法要も含んだ告別式に参列。

そのあとは火葬場へ移動。

 

会食もあって、火葬場を出たのが午後4時。精神的にも体力的にも疲労した。

 

駐車場から、火葬場の煙突を見上げて、思い出したのは

 

あだし野の露消ゆる時なく、

鳥部山(とりべやま)の煙立去らでのみ、

住み果つるならひならば、

いかにもののあはれもなからん。

 

※あだし野~京都嵐山の墓地

※鳥部山~京都東山の火葬場

 

というご存じ徒然草の一節だ。

鳥部山の火葬場では常に火葬の煙が立っていたのだろうが、この火葬場は住宅街にあるから煙など立たない装置が付いているのだろうか。筋煙は見えなかった。

 

故人は享年76歳。ちなみに故父は77歳だった。

私は70歳、もう少しで追いつく。

で、自分の死も「もののあはれ」の一環として受け止める覚悟はできたのかい?

 

当の兼好法師も「40歳くらいで死ぬのが見苦しくない」と説きながら、法師自身は70歳近くまで生きたようだが (笑)。