春 夏 秋 冬

めぐり来る 春夏秋 麗しき 大和し護れ 民草いとえ 
          

ブログ休止のお知らせ

このブログの表題に入れた短歌の、春夏秋冬の中の冬の字が、誰かによって削られて、修正不能になって久しいのですが、昨日から編集画面までが、誰かにいじられたようで、出す事が出来なくなっています。 この記事作成画面も、何時使用不能になるかもしれない状況にありますので、 春夏秋冬はこの記事をもって、しばらく休ませていただく事にしました。(2010年3月) * * * * * * *  Fc2ブログに不祥事が起き、広告主が引き上げたそうです。 Fc2は何時終了になるか予断を許さない状況かと思い、 気になる過去記事を少しずつ、こちらのブログに写す事にしました。(2015・4・24)

天災 人災

2009年01月17日 17時30分25秒 | 思想信条
今日1月17日は14年前、阪神淡路大震災の起きた日である。
1月12日に14歳あまりで死んでしまった、我が家の犬ポチはまだ生後3ヶ月位の時であった。
子犬の時ほかの動物のような鳴き方をする犬があるということは、一般に知られていることらしいけれど、ポチを飼うまでそんな事想像もしたことがなかったのだけれど、
子犬の時ポチは「ぴよぴよ」と鳴いていたのである。
地震の時ポチは怖がって、いつもにもまして「ぴよぴよ」を連発させていた。

我が家は揺れに驚いただけで、実害は無かったのだけれど、主人の従姉弟の家は神戸の灘区で、家も倒壊してしまった。
息子夫婦は2階に寝ていて、怪我も無く屋外に出られたのだけれど、八十数歳だった主人の従姉弟は1階で寝ていて、1階はぐじゃぐじゃになって生き埋めになるところだったが、洋服ダンスで体がすっぽりと包み込まれて命拾いをされた。
しかしその時足を強く打っていたのが悪化して、2年後に亡くなってしまった。

2年後に亡くなった人は震災死者の数には入れられていないだろうけれど、
震災が元で死を早めた人も多いのかもしれない。

2年後にその従姉弟のお葬式に神戸に行ったとき、表面上はもうほとんど震災を感じさせないようにまで復興していることに驚いたことが思い出される。

神戸は戦時中も米軍に焼夷弾を落とされて、焼け野原にされている。
私の主人は小学校を卒業し、但馬への疎開から帰ったばかりの時に、この震災に家を焼かれ逃げ惑った経験を持っている。

先日再放送ながら、広島、長崎の原爆投下に、製造段階から深くかかわっていたアメリカの元軍人を、原爆投下後50年の広島に招いた時のことが放送されていた。

広島で被災した老婦人が広島の被害状況を紹介した後、
その元軍人に「酷いことをして悪かった。」と言って貰おうと色々語りかけておられたけれど、
その元軍人の言い分は、絶対に変わらなかった。
曰く 
日本は真珠湾攻撃で多数のアメリカ軍人を殺した。
日本人の民間人を殺したと言っても、民間人にも責任が無いというわけではない。
民間人が同意したから日本政府は戦争を仕掛けてきたのだから、
「原爆を落として、(民間人が巻き込まれたとしても)悪かったとは思わない。」というような事を言っておられた。

民間人を殺すことは、国際法ではどうなっているのだろうか?
アメリカ人は皆こういう考え方なのだろうか?
「力及ばず政府の戦争に反対し得なかったら、どんな報復を受けても仕方ないという覚悟をせねばならない。」とアメリカ人は、皆肝に銘じているのだろうか?

49対51でも多数決の民主主義は、51の方を国民の総意と見る。
郵政選挙で自民党は3分の2の議席を得たけれど、得票数は民主党との差は僅差であったということである。

これが戦争をするかどうかの選挙であったとしたら・・・・
それでも広島、長崎の原爆被害者全員が、全国の都市の焼死したり、焼け出されたりした住人全員が、当然の罰を受けただけと言うことなのだろうか?

戦争は何としても阻止せねばならないことだと、肝に銘じたい