95歳で天国に召された父の夢を久しぶりに見た。
昨夜亡き父との令和6年の初夢です。
小2の時の事。
明日は遠足、父は母(4歳の時死亡)のいない私に寂しい思いをさせたくなくて、一生懸命いろいろ考え弁当を作ってくれた。
おやつも決められた金額の範囲でキャラメル、お菓子など揃えてリュックに詰めて、明日これをと私の枕元に置いて夜勤の為仕事に出かけた。
父は次の日の夜迄帰って来ない。
明日は遠足、父は母(4歳の時死亡)のいない私に寂しい思いをさせたくなくて、一生懸命いろいろ考え弁当を作ってくれた。
おやつも決められた金額の範囲でキャラメル、お菓子など揃えてリュックに詰めて、明日これをと私の枕元に置いて夜勤の為仕事に出かけた。
父は次の日の夜迄帰って来ない。
「亡父は、外地で司法の長として私達家族はお手伝いも二人いて幸せだったが、姉2人と私の4人は終戦と共に、引き上げて日本に帰って来た。
敗戦の昭和20年7月に私の弟を産まれてすぐ失くし、8月は私の母であるそして祖母と続けて3人の肉親を失くし、傷心の中での帰国であった。
私は4歳だった。当時のことはかすかに記憶にある。
父は財産や職もなくしカネボウ紡績会社の守衛長として働いていた。」
この頃,姉達も九州の大分の別府でバスガイドの職につき、父と二人だけの生活だった。
当日雨で遠足は次の日に延びた。
私は学校から帰って弁当だけでなく、おやつも全部食べてしまった。
夜帰宅した父にすごく怒られた「明日どうするんだ!おやつなんかないぞ、店も閉まっているし」私は泣きながら寝た。
次の朝起きると父は弁当を作り、おやつも夜のうちにお店の人を起こして揃えていた。
遠足は学校の近くにある桑の山という所で、標高500mの山に登った。
お昼、弁当をひろげた。皆のおにぎりは三角で海苔が巻いてあり格好良い。
私のは大きくてまんまるで格好悪く恥ずかしかった。
岩場の陰で一人で食べた記憶がある。父には子供達のお母さん達が作るような三角のおにぎりは難しく、ゴツゴツした手で丸いおにぎりが精一杯だったのと思う。
この頃,姉達も九州の大分の別府でバスガイドの職につき、父と二人だけの生活だった。
当日雨で遠足は次の日に延びた。
私は学校から帰って弁当だけでなく、おやつも全部食べてしまった。
夜帰宅した父にすごく怒られた「明日どうするんだ!おやつなんかないぞ、店も閉まっているし」私は泣きながら寝た。
次の朝起きると父は弁当を作り、おやつも夜のうちにお店の人を起こして揃えていた。
遠足は学校の近くにある桑の山という所で、標高500mの山に登った。
お昼、弁当をひろげた。皆のおにぎりは三角で海苔が巻いてあり格好良い。
私のは大きくてまんまるで格好悪く恥ずかしかった。
岩場の陰で一人で食べた記憶がある。父には子供達のお母さん達が作るような三角のおにぎりは難しく、ゴツゴツした手で丸いおにぎりが精一杯だったのと思う。
「落下傘に父の愛を背負って
大空を舞う青春の想い出」