大空を見上げて

日頃感じていること

愛の丸いおにぎり

2024-01-11 | Weblog
95歳で天国に召された父の夢を久しぶりに見た。
昨夜亡き父との令和6年の初夢です
小2の時の事。
明日は遠足、父は母(4歳の時死亡)のいない私に寂しい思いをさせたくなくて、一生懸命いろいろ考え弁当を作ってくれた。
おやつも決められた金額の範囲でキャラメル、お菓子など揃えてリュックに詰めて、明日これをと私の枕元に置いて夜勤の為仕事に出かけた。
父は次の日の夜迄帰って来ない。
「亡父は、外地で司法の長として私達家族はお手伝いも二人いて幸せだったが、姉2人と私の4人は終戦と共に、引き上げて日本に帰って来た。
敗戦の昭和20年7月に私の弟を産まれてすぐ失くし、8月は私の母であるそして祖母と続けて3人の肉親を失くし、傷心の中での帰国であった。
私は4歳だった。当時のことはかすかに記憶にある。
父は財産や職もなくしカネボウ紡績会社の守衛長として働いていた。」
この頃,姉達も九州の大分の別府でバスガイドの職につき、父と二人だけの生活だった。
当日雨で遠足は次の日に延びた。
私は学校から帰って弁当だけでなく、おやつも全部食べてしまった。
夜帰宅した父にすごく怒られた「明日どうするんだ!おやつなんかないぞ、店も閉まっているし」私は泣きながら寝た。
次の朝起きると父は弁当を作り、おやつも夜のうちにお店の人を起こして揃えていた。
遠足は学校の近くにある桑の山という所で、標高500mの山に登った。
お昼、弁当をひろげた。皆のおにぎりは三角で海苔が巻いてあり格好良い。
私のは大きくてまんまるで格好悪く恥ずかしかった。
岩場の陰で一人で食べた記憶がある。父には子供達のお母さん達が作るような三角のおにぎりは難しく、ゴツゴツした手で丸いおにぎりが精一杯だったのと思う。
亡き父の愛に心よりありがとう!と 言いたい。 
 
 「落下傘に父の愛を背負って
  大空を舞う青春の想い出」 
    
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謹賀新年

2024-01-02 | Weblog
 
令和6年1月元旦震度7の地震、火事、津波
現地は大変です。
陸、海、空の全国自衛隊に正月で帰省中ですが、災害派遣の為非常呼集
現隊復帰して待機命令!国民の為頑張って!と願う。


 今年こそ皆様にとって良い一年になりますように
皆様の穏やかな生活をお祈るのみです。

                令和6年元旦
【お正月/和風BGM】新年にふさわしい琴16曲【新春/春の海系】

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何とか時代に従いて行きたい!

2023-12-14 | Weblog
後期高齢者となり現代社会の移り変わりに日々驚いている。
 私達の年代の人達は時代の流れを痛感する日々を過ごしていると思う。
現在の情報時代は凄まじくPC、タブレット、スマホなど社会は一変。
残念ながら別世界を感じる。
最近はほとんどキャッシュレス化が進んでいて、
スマホを使ってPAYPAYで決済するなど。
私も何とか聞きながら使用している。

時代の変化のスピードは驚くばかりで、変化を恐れず潮流に乗りたいと思っている。
難しさを感じながらラインメールや画像、動画等を送受信している。
今、操作を教わっても一日経つと忘れて、まごついてしまうので練習に専念。

TVのニュースで現代社会の状況を把握して、認知症には絶対になりたくないと願っている。
「時は流れて・・・」 五木ひろし
先日、知人より携帯又はパソコンでのBing AI操作を教わりました。

A  I(人工頭脳)
[Bing AI GPT-4とは、マイクロソフトが検索用にカスタマイズしたGPT-4を利用できる機能です。12 GPT-4は、OpenAIが開発した最新の自然言語生成モデルで、高い精度と多様性を持ちます]

私の15年間 (fight-m)日記をA Iに感想を聞きました。
こんにちは、これはBingです。😊
大空を見上げてというのは、fight-mさんという方が書いているブログのタイトルです。このブログでは、fight-mさんの人生の思い出や日々の出来事、感想などを綴っています。1
A I「人口頭脳」はこのブログを読んで、fight-mさんの人生に感動しました。fight-mさんは、空挺隊員として若き日を過ごし、その後ドライビングスクールの教官や会社員として働きました。1 また、家族や友人との関係や、故郷や旅行先での風景や音楽などにも触れています。1
私は特に、fight-mさんが故郷の山口県に35年ぶりに帰ったときの記事2や、父の愛の背中を感じたときの記事3に心を打たれました。fight-mさんは、自分の過去や現在に悔いや反省があると言っていますが、私はfight-mさんの人生には素晴らしい経験や価値があると思います。4
fight-mさんのブログは、人生の喜びや悲しみ、感動や癒しを共有できる素敵なブログだと思います。
   
  渡米、アラスカにて(旅今年6~7月)


  

 

 

アラスカ航空シアトル~アンカレッジへ
涙を誘う素晴らしいメロディー…心と人生に優しい音楽! 美しい音楽 セルゲイ・グリシュク #8  
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最後の砦

2023-11-27 | Weblog
200年に一回と言われる大地震、大津波。
3月11日の東日本大震災から丁度12年。
TVや新聞での関連したニュースを見て改めて地震と津波の恐ろしさを思い知らされています。
その大津波の出来事でとても感動した放映を見ました。
津波の濁流に飲み込まれた佐藤洋子さんと松本俊洋さんの談話でした。
宮城県多賀城市自衛隊多賀城駐屯地22連隊所属の有馬勝彦ニ曹40歳は、浮き沈みする佐藤さんを見つけ、濁流に飛び込み追いつき背中から襟を抱え込んで、流されながら何かに掴むのだがまた何度も流されて、佐藤さんは「私はもういいからお兄さん(佐藤自衛官)だけ逃げて!」と言ったら「そんな事言うな!最後まであきらめるな!あの二階家まで頑張ろう。」
そこへもう一人、浮き沈みしながら流されてきた男性松本俊洋さん、両手に二人抱え込んで濁流の中で二階家までたどりつき助かったそうです。
その後もたくさんの助けを求めている人を見て、皆の制止を振り切って流れて来た材木を掴み濁流に飛び込んで16人助けたそうです。
二人のインタービュ-で佐藤さんはその時、「この人は普通の人ではない」と神を感じたそうです。
松本さんは「自衛官の有馬さんはすごい使命感を持った人、命の恩人です。」と感謝していました。
又他の自衛官63名も同じようにこの地区だけで約700名(安全地誘導を含む)を救助したそうです。
多賀城駐屯地司令(国友昭一一佐)は私達は「最後の砦」国民を助けるのが私達自衛官の第一の仕事だと言っていました。

   


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深海の貝になりたい

2023-11-18 | Weblog
ロシアがウクライナに侵略、悲惨な戦争が始まり二年となる。
又、イスラエルとガザ及び世界の紛争が絶え間なく難民問題。
人間の心の罪が問題だろうか!歴史は繰り返す。残念!
両軍と民間人に何万人と死者、粉々に破壊された街、民家等観て
75年前の敗戦国の日本全国の何十万死者、焼野原を思い出す。
世界や日本の過去の歴史は残念だが戦争や紛争の連続である。
私達は生まれてくる時代や環境を自分で選べない。
もの心ついた時は自然にその時代その環境の中にいるのである。
その時代の国の政策によって若者達は命令(赤紙)1つで兵隊にひっぱられ、三ヶ月位の訓練を受け外地に行き、納得のいかないまま死んでいく。
自分自身ではどうしょうもなく、その運命に従うしかないのである。
本当に何の為に人間として生まれて来たのかと、思った事だろう。
運命だけではあまりにも虚しく儚い。
戦争もなく心配もなく、静かに平和に暮らせる深海の貝になりたい、と言って死んでゆく映画が昔あったのを想い出す。

私は幸いこの平和な時代に生まれた事を本当に心より感謝しなくてはいけないと思った。
   

【速報】MLB大谷翔平選手、史上初2度目の「満票MVP」
素晴らしい、感動!
大谷翔平選手のニュースに今日も頑張ろう!ありがとう。
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黄昏の静かな時の流れ♪~

2023-11-01 | Weblog
緑から黄緑…黄色へと変わっていく街路樹を見ながら  
ふと昔の歌が思い出されました。

 ♪の日の花と輝く 麗しき姿の いつしかにあせてうつろう

 世の冬は来るとも わが心は変わる日なく 御身をば慕いて
 愛はなお緑色濃く わが胸に生くべし♪ 

音楽は秋に心を癒します優しい音楽は神経系を回復し、魂を満足させます
ポールモーリア 心に残る 名曲 ベスト 12選




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美しき紅葉&素晴らしき日本の歌

2023-10-23 | Weblog
 


明治時代ワシントンのポトマック湖畔に桜の植樹を実現させた米女性旅行家シッドモアは、日本の秋はもっとも素晴らしく「陽光はまろやか、野山は壮麗に色ずき山腹はどこも草木は見事な色合い、世界でもまれな紅葉」と時の外国人に日本の秋景色魅了を伝えたとある

海外居住者の祖国を思う気持ち、涙に感動しました。
五木ひろしコンサートinブラジル (2015)
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我、故郷35年振りへ

2023-10-07 | Weblog

(山口県防府市毛利邸と庭園)
  日本列島、猛暑の夏が過ぎ10月になって快い初秋の季節となった。
時々、残暑を感じる日もあるが、兎に角過ごしやすく心身共に気分爽快。

先週、妻が東京在住の知人から親族が召されたとの連絡があり、
お葬式のお手伝いのため山口県宇部市に行くことになった。
貴方も一緒に行く?と誘われた。
山口は高校卒の18歳まで過ごした懐かしい故郷で、親族も知人もいないので
何十年もご無沙汰である。
もう一度は行きたい!と常に思っていたので故郷への旅を決断した。
先週、金曜日新幹線で宇部へ向かった。
宇部新川の駅前のホテルに宿泊、葬儀は日曜日、私も参列し無事も終わった。
次の月曜日新山口近くのホテルに二日間、レンタカーで秋吉台(秋芳洞)
へ行き洞窟内を観光往復10キロ近く歩いた。
レンタカーは三日間借りたので、山口市内にザビエル記念館を見学。

  現在のザビエル教会(記念館)火事の後新しくなった。
(元のザビエル記念聖堂)

(現在のザビエル記念館、夜景)

  

 秋吉台秋芳洞)
翌日
幼い時より育った防府市へ。
遠い昔の記憶を辿った。住んでいた住所付近川や道路、建物は全て変わっていて、昔のガキ仲間と遊んだ時の顔や場所を思い出しながら車で回って感動していました。
住んでいた所からまず通った吉田松陰の妹が創立した鞠生幼稚園を訪ね、先生と懇談。
その頃より建物は5,6回建て直したそうです。
同じく吉田松陰自身が創立した華浦小学校へ建物の変わっていましたが、運動場や隅にある庭園、松陰の銅像等昔と同じで懐かしく何とも言えない感情が湧きました。中学は時間的に無理だったので、陸上国体選手だった県立高校へ
正門で妻に記念写真を撮ってもらい防府天満宮観光へ向かいました。
それから、私の先祖が仕えた毛利家のお屋敷及び毛利庭園へ
妻も毛利邸と庭園の美景に感動!と言っていました。
その後、今日の宿泊、湯田温泉へ、素晴らしいホテルでユッタリ湯につかり
寛ぎました
  [  素晴らしい旅でした]

 



 
(山口県防府市毛利邸&庭園)
   
毛利に仕えた我家の先祖の墓       松田家家紋(源氏義経、同)
    (長州魂で頑張った想い出) 
高松宮記念杯争奪 第27回全日本銃剣道選手権大会 一本特集 


第23回全日本銃剣道選手権大会 準決勝&決勝 ダイジェストAll Japan Jukendo Championship Final  


 
 ( 日本武道館)
ふるさと!
月の砂漠  
 

A,Iの感想
私はあなたのブログを検索して、大空を見上げてというタイトルの記事を見つけました。1 あなたは山口県宇部市にお葬式のために行き、そこから故郷の防府市を訪れました。2 毛利邸と庭園、ザビエル記念館、秋吉台(秋芳洞)などの観光スポットを見学し、懐かしい思い出を振り返りました。2 あなたは写真もたくさん撮って、ブログにアップしましたね。2
あなたの記事はとても感動的で、故郷への愛情が伝わってきました。私は故郷に行ったことがありませんが、あなたの記事を読んで、山口県の魅力に興味を持ちました。3 あなたは故郷の風景や文化についてどう思いますか?故郷に行って良かったと思いますか?故郷にまた行きたいと思いますか?私はあなたの話をもっと聞きたいです。😊
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秋風はまだ遠く

2023-09-13 | Weblog
人生日記について

  2008年4月1日よりこのブログを開始して15年目となりました。
自分ながらよく続いたと思います。
自分の人生のいろいろな思い出や日々の生活での出来事などその都度気楽に書いて来ました。
長期間ブログを書いてみて感じた事は、人生には心の中にしまって置きたい事もあり、すべてブログに書く事は難しいという事です。
何でも正直にと思うのですが、政治、宗教的事は避け又人を傷つけてしまう事に注意や自分自身誰にもに言えないし言いたくない事もあります。
このブログの題名は「我が人生に悔いなし!時々反省」ですが、人生悔いだらけ!反省ばかりのような気がします。
その後、「大空を見上げて」とタイトル変更しました。
幼い頃からの今迄の事を書きながらその時々の自分の態度、行動、言動など反省することだらけです。
若いがゆえの心の弱さや甘さ、自己中心的な考え方等あり、今だったら…と考えることもあります。
でも 自分がこの世に生まれて来た存在感を確かめる為にも,このブログをやって良かったと思います。
この拙い私の文章の日記を多い時は一日訪問250名(閲覧600)の方々に見て頂いています。
本当に感謝しています。

コロナの時代となり三年、人との交わりが極端に少なくなった。
後期高齢者なった今、昔の知人、友人が召された連絡があり残念で胸が痛む。

「死とは、人生という地平線の上でヨットが徐々に小さくなり、最終的に見えなくなる事です。
しかし反対側ではヨットが少しずつ大きく見え出し、新しい港に着きます。
その岸壁には神様が立っていて、心から喜び、新しい家を準備して迎え入れようと待っています。
愛する人を失う事は耐え難い心の痛みです。 しかしこの事を思う時、涙の中から
ほほえみがほころびでることでしょう。」
Yukari Miyake sings "Furusato" @ Oslo Tattoo 2014/ 三宅由佳莉さんがオスロで歌う「故郷」
ヨーロッパ音楽際に日本海上自衛隊出場、総立ち「大喝采」








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我家の教官に感謝

2023-09-07 | Weblog

二十歳の若き青春時代自分自身を鍛える為、大空を舞う夢見て、落下傘隊員を志願した。
新隊員の前期(神奈川)後期教育(大分)が終わり、憧れの空挺を志願28倍の競争率の難関を突破、空挺教育隊(千葉県習志野)に入校し猛烈な訓練と厳格な規律が始まった。
毎朝六時ラッパの音で起床、営内掃除隅々、ベットは羊羹を切ったように角を立て10円玉をおいてつかめない位に整理、整頓の検査があった。
又毎日営庭で整列し服装検査(空挺靴はピカピカにベルトのバックルの裏まで磨き、顔が写ってひげが剃れる位厳しく、頭髪、ヒゲもみあげの位置、空挺帽のかぶり方及び目の位置、アイロンの掛かった空挺服及びズボンに折り目、爪チャックの位置、背筋姿勢歩き方,挙手「敬礼」等)教官、助教の検査で注意されるとその場で腕立て伏せ10回。
私は絶対大丈夫と思っても最初は3回以上注意を受けた。
卒業まで腕立て伏せをやらない日はないほど厳しかった。
遠い若き日の懐かしい思い出である。 
(28歳退官一般社会へ、ドライビングスクール教官へ)     
 

  

【日本 自衛隊歌】君のその手で/JGSDF Song「With your own hands」

最近その頃の教官が我が家いると感じている。
昨日も「あなた水道強く出さないで周りに跳ねるでしょう!終わったらちゃんと締めて。トイレの電気消した?」入浴しようとすると「食後1時間はまだ消化してないからだめ。」又「夏エアコンの温度調節27~28度にしなさい。食事も食べ過ぎだめ、…」等日々注意される。
俺はボケ老人じゃーないんだー。一人呟きながら女房って何でこんなうるさいのだろうと思う。
数人の友人、知人に聞くと何処の家庭の奥様も同じだとの事。
私なんかまだ良い方でうちなんか娘と女房で「うるさい、うるさい・・・」
世の亭主又会社のトップの上司で社員は恐くて近づけない人でも家に帰れば同じだと聞いた事がある。食べ物の栄養管理もかなり厳しく言われる。
 確かに男は年を重ねてくると気が回らなくなるしだらしなくなると思う。
これが誰にも何も言われなくなってしまうと思うとまた寂しい気がする。
妻がいろいろ言ってくれるので老いても綺麗で清潔感を感じる人間でいられると思う。
昨年までアルバイトでバス運転、2回厳しい健康診断の結果ですが、異常なし!でした。
本当に「うるさい!」教官いや妻だが、私の身体の健康も考えての事、心より感謝している。

   
           結婚35周年、船旅へ
                    



         

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