
25年前の今日、お母さんは、手術室にいた。。。
やっと、お母さんのおかなで、大きくなってくれた君を産むためにね~
「オンギャァ~、オンギャァ~

そばで手を握ってくれてた看護婦さんが


だって、やっと君に会えたんだもんね、お母さん、嬉しかったよ、とてもとてもね

お母さんが、結婚した当初は金沢に住んでいた。
初めて来た金沢には、慣れるまでは、だぁれも、知った人も居なくて寂しかったよ
しばらくして、妊娠しているかな、、、と思い、病院に行って、「赤ちゃんが出来てる・・・」って分った時は、嬉しかった!
病院の門を出て、ウキウキした気持ちで帰って行った足取りを今でも、ちゃんと覚えてるよ
でも、しばらくしたら、すぐに流産してしまった。。。
その時、お母さんの子宮が普通じゃないっていうのが分って、このままだと、また流産するかもしれないからって、子宮の手術をすることになったんよ
普通、子宮は、まぁるくなってるんだけど、お母さんの子宮は、ハート型になってたんだよね

まだ慣れない土地での入院や手術は、不安だったよ、手術受けるのも、怖かったしね
でもね、お父さんが仕事終わったら毎日来てくれたし、おばあちゃん達やおじいちゃんも、みんながお母さんのこと、何も言わずに支えてくれたわ~それは、ほんとに有り難かった。。。

子宮の手術も無事終わって、「さぁ、今度こそ大丈夫だね・・・」ってみんなに言われて、半年くらいして、またおかなに、赤ちゃんが出来て


でも、やっぱり、何かあって、大事をとって入院することになってしまったんよ
診察室に定期的に呼ばれて、おなかをエコーで赤ちゃんの育ってる様子や心音を調べるんだけど、いっこうに、お母さんのお腹から、赤ちゃんの成長は見えなかったし、心音も聞こえなかった

みんな、心音が聞こえた!って、嬉しそうに病室に帰ってくるのに、お母さんは、また聞こえなかった、、、って病室にしょんぼり帰る時のあの切ない気持ちは、今思っても、寂しくて、辛かったなぁ。。。
でもね、そんな時、同じような状況で頑張ってる仲間も、何人かいて、慰めあったり、話を聞いてもらったり、そんな友達がすごく力になってくれたんだよ~



お母さんが行ってた病院、産婦人科では結構、有名やったけど、あの頃、建物も古かったからか、トイレにブザーも付いてなかったんよ

明くる日、お父さんが病院に来てくれて


一度目の流産は訳も分らなかったけど、二度目の流産は、心にこたえたね、、、一人になると、お母さん、よく泣いてたわ~
バチ当りにも、「なんで、普通の子宮に産んでくれなかったんかな、、、」なんて、感謝するべき母親に、ヤツ当たりしたい気持ちになった時もあったな
妊娠して、普通におなかが大きくなって、元気な赤ちゃんを当たり前のように産んでいく人が羨ましいな、、、とも思ったりもした
二年後、君が、おなかに出来て、みんなが「今度こそ~」って祈る気持ちで見守ってくれて、少し早めにオバアチャンの所でお世話になって、やっとやっと、今度こそ!そう、君に出会えたんよ


お母さん、「なんで、自分だけ、こんなに辛い思いするんだろう~」って思ったり、子供を産むことについては、その後も、二度も流産したりして、人より、ちょっぴり涙も流してきたけれど、今になって、考えると、人より回り道したことが、今では案外無駄じゃなかったかな、、、って思えるようになってきたよ
人は、すんなり進むと気付かないことも、自分が回り道をしていると、同じように回り道してる人の気持ちも分かるような気がするわ~
やっぱり、神様も仏様も家族と一緒に守ってくれてたんだよね
お母さん、子供だけは、一生懸命育ててきたつもりだけど、ちょっぴり口うるさいし、そっとしておいてほしい時もあったやろうね、ごめんな~
あれから、もう25年か、、、君に出会えたあの瞬間は、お母さんにとって忘れられない素敵な瞬間だったよ


可愛い妹や弟まで、生まれて来てくれたしね。。。
今でも、優しい君だけど、人に優しく、また自分自身も大事にして、いい人生を送ってほしいなって、お母さん、願っているよ

君がお母さんにプレゼントしてくれた、このブログ、お蔭さまで、羽がはえて、はばたいて、素晴らしいお友達もたくさん、たくさん作ることが出来たわ

ありがとうね~
お母さんも、君の頑張りに負けないように、いつまでも輝いて頑張るわ








お母さんより





















