私の住むマンションはK駅とO駅のちょうど
中間ぐらいにあって、普段通勤にはK駅を使うが
今日はO駅にある銀行に用事があって
その道中を天気もいいし、写真を撮りながら歩いて
行く事にした。10数分の徒歩はただ歩けば面倒くさいが
写真を撮りながらだとあっという間である。
私の現時点に於ける写真でのトライというのは
先に書いた通りなので、普段の生活の中でカメラが
そばにあるのが普通の事。
外へ出ると、アスファルトが熱せられて
そろそろ夏の照り返しになって来ているし
つやつやと生える夏草の匂いとその地面の匂いが
合わさって漂っている。
国道のバイパスがクロスする土手には
小さなビワの実がなり始めていて
もう少しすれば、食べられるようになるだろう。
ここからでは写るか写らないかのビワを説明するために
もっと近くまで寄った位置での撮影も
考えられるが、この場合は土手全体の間延び感とか
はるか感でいい。
線路脇の家には洗濯物が干してあって
そこを、電車が通り過ぎて行く。
洗濯物って健全に家庭生活が行われている
証だと思うのだが、それを写真に撮るというのは
気をつけなければ行けない事なのだと
ずいぶん後になってから気がついた。
そうやって撮って行くものの中にピン!とくる物が
ある時はあるし、撮った本人でさえ
こりゃぁどうにもならんだろ、というのもあるが
それこそ、他人は本人がいいと思っているのも含めて
大抵の場合は、「何を考えているのかわからない」し
「何を言おうとしているのですか?」と思うのである。
こうして私たちは生きている。
こうやって口や文章で説明すれば
分かってくれる事もあるが
写真でそれを伝えようとするのが写真屋なので
写真だけで伝えられなければ、ボツである。