俺は前バンドOUT ATTACKでもそうだったが地元メンバーでバンド、ましてギグするなんて考えられなかった。
ここには俺の思うパンクなんてあるかいや!!
・・・と思っていたし何より音楽におけるツレがいなかった。
その時の地元への心境、今の心境は以前ここに記したのだけれども。
それが3年前に書いたコレ
↓↓
http://blog.ap.teacup.com/friarsniffer/36.html
いや、正確には友人がいるにはいたし幼馴染みは90年代~2000年初頭、メロディックシーンでドラマーとして福山の音楽界隈では第一線で活動していたし。
小学校低学年から知る彼が羨ましくみえて少し悔しくて。
その幼馴染みから誘われて(トータル10回もなかったけど)ライブに行くと・・・・
ジャンルが違うとかそうじゃなくて相容れないというか・・・
なんというか・・・
高慢な気持ちで冷めた目でみてしまっていた。
そんなだから友達なんて出来るはずもなく。
なんで俺が一方的に厳しい目で地元のライブを観ていたのかというとリンク先のブログでも記したようにその頃すでに岡山、広島のハコに出入りしていたからだ。
俺の求めていた「男がみてカッコいいパンク」こんなバンドをやりたい!
そんな気持ちにさせられていた。
いつも1人でライブに向かって帰りの車中ではバンドが出来ない現実に悲しくなってうんざりしつつ、それでもバンドをやろう!と幾らかはバンドをやったりした。
紹介されたり無理やり入れてもらったりとしてみても、まぁ見事な空振りの連続で。
それでも何とか分かり合えそうな友人も広島でできてそれがOUT ATTACK。
後から加入の形だったけど当時は広島⇔福山でバンドやってるやつなんていなかったはず。
それがいまや福岡/山口/広島の混成バンドだからつくづく俺には地元がないな・・・と思う。
3年前に大好きなハコ、岡山ペパーランドでファーストギグがあったのは俺の誇りだ。
広島ボーダーでのギグは前バンドが空中分解した因縁の場所だけどばっちりオトシマエはつけれた。
メンバーの地元、山口/宇部でのギグも彼らをリスペクトしてる俺からすりゃ特別な街だから感慨もひとしおだった。
現在のメンバーの住まいのある福岡は世代的に憧れのあるワード、博多/めんたいパンクにこのメンバーで乗りこめたのが嬉しくてたまらなかった。
俺の家系のルーツ、佐賀でのギグは本家の墓参りしてから向かってこんな俺でも孝行できた。
オセロの要領で少しずつ白にひっくり返してきた。
かつては黒が先行した俺の頼りないバンドライフだったけど、確実にちょっとずつひっくり返して俺の思った色に染めつつある。
でも・・・なにか足らないとこがあるとすればあとは今の俺の地元・福山でギグすること。
オセロなんて下手な例えだけどあんだけ悪態ついて減らずグチを叩いた俺だけど。
俺のテーマのひとつ
「俺はまだ間に合うのか?」
これを確かめたいんだよ、マジで。
このバンドでのファーストギグがあった夜、全て・・とは言わんが俺のモヤモヤが吹っ飛んだ快心のギグができた。
福山で現在バンドやってる知人もこの日のギグを観に来てくれた。
「こんな雰囲気、福山じゃないよなー!」
そう言ってくれたのは今回の主催者のThe lostnumbersのシンガーだ。
対バンで元バンドメイトもいた。
それはThe lostnumbersのベーシスト。
この日以降、俺は福山でイベントに足を運ぶようになった。
なんと転がっていた、楽しい事もカッコイイ事も。
相変わらず俺はパンクに偏屈なとこあるけどそんな事もThe lostnumbersベーシストは笑って話をきいてくれる。
このイベントには出演しないが同じ備後地区ではLEGION EAGLEのシンガーだって同じ地元の笑いあえる友人だ。
最近じゃバンドはやってないけどロックフリークな友人ができたり、名物女性PAと話したりと今さらこの福山も捨てたもんじゃないと相変わらず生意気に浸ったりしてるんだわ。
取り戻せるか/
俺はまだ間に合うのか/
本当はこの福山でツレが欲しかった
わかってるって!
それは俺次第なんだろ?
20年ぶりの福山でのギグ。
でもなーんも変わってないな、14歳でパンク聴いた時から。
トータル28年分のパンクをブチカマすよ、そうでもせんとあの頃の俺に申し訳ないだろ?

ここには俺の思うパンクなんてあるかいや!!
・・・と思っていたし何より音楽におけるツレがいなかった。
その時の地元への心境、今の心境は以前ここに記したのだけれども。
それが3年前に書いたコレ
↓↓
http://blog.ap.teacup.com/friarsniffer/36.html
いや、正確には友人がいるにはいたし幼馴染みは90年代~2000年初頭、メロディックシーンでドラマーとして福山の音楽界隈では第一線で活動していたし。
小学校低学年から知る彼が羨ましくみえて少し悔しくて。
その幼馴染みから誘われて(トータル10回もなかったけど)ライブに行くと・・・・
ジャンルが違うとかそうじゃなくて相容れないというか・・・
なんというか・・・
高慢な気持ちで冷めた目でみてしまっていた。
そんなだから友達なんて出来るはずもなく。
なんで俺が一方的に厳しい目で地元のライブを観ていたのかというとリンク先のブログでも記したようにその頃すでに岡山、広島のハコに出入りしていたからだ。
俺の求めていた「男がみてカッコいいパンク」こんなバンドをやりたい!
そんな気持ちにさせられていた。
いつも1人でライブに向かって帰りの車中ではバンドが出来ない現実に悲しくなってうんざりしつつ、それでもバンドをやろう!と幾らかはバンドをやったりした。
紹介されたり無理やり入れてもらったりとしてみても、まぁ見事な空振りの連続で。
それでも何とか分かり合えそうな友人も広島でできてそれがOUT ATTACK。
後から加入の形だったけど当時は広島⇔福山でバンドやってるやつなんていなかったはず。
それがいまや福岡/山口/広島の混成バンドだからつくづく俺には地元がないな・・・と思う。
3年前に大好きなハコ、岡山ペパーランドでファーストギグがあったのは俺の誇りだ。
広島ボーダーでのギグは前バンドが空中分解した因縁の場所だけどばっちりオトシマエはつけれた。
メンバーの地元、山口/宇部でのギグも彼らをリスペクトしてる俺からすりゃ特別な街だから感慨もひとしおだった。
現在のメンバーの住まいのある福岡は世代的に憧れのあるワード、博多/めんたいパンクにこのメンバーで乗りこめたのが嬉しくてたまらなかった。
俺の家系のルーツ、佐賀でのギグは本家の墓参りしてから向かってこんな俺でも孝行できた。
オセロの要領で少しずつ白にひっくり返してきた。
かつては黒が先行した俺の頼りないバンドライフだったけど、確実にちょっとずつひっくり返して俺の思った色に染めつつある。
でも・・・なにか足らないとこがあるとすればあとは今の俺の地元・福山でギグすること。
オセロなんて下手な例えだけどあんだけ悪態ついて減らずグチを叩いた俺だけど。
俺のテーマのひとつ
「俺はまだ間に合うのか?」
これを確かめたいんだよ、マジで。
このバンドでのファーストギグがあった夜、全て・・とは言わんが俺のモヤモヤが吹っ飛んだ快心のギグができた。
福山で現在バンドやってる知人もこの日のギグを観に来てくれた。
「こんな雰囲気、福山じゃないよなー!」
そう言ってくれたのは今回の主催者のThe lostnumbersのシンガーだ。
対バンで元バンドメイトもいた。
それはThe lostnumbersのベーシスト。
この日以降、俺は福山でイベントに足を運ぶようになった。
なんと転がっていた、楽しい事もカッコイイ事も。
相変わらず俺はパンクに偏屈なとこあるけどそんな事もThe lostnumbersベーシストは笑って話をきいてくれる。
このイベントには出演しないが同じ備後地区ではLEGION EAGLEのシンガーだって同じ地元の笑いあえる友人だ。
最近じゃバンドはやってないけどロックフリークな友人ができたり、名物女性PAと話したりと今さらこの福山も捨てたもんじゃないと相変わらず生意気に浸ったりしてるんだわ。
取り戻せるか/
俺はまだ間に合うのか/
本当はこの福山でツレが欲しかった
わかってるって!
それは俺次第なんだろ?
20年ぶりの福山でのギグ。
でもなーんも変わってないな、14歳でパンク聴いた時から。
トータル28年分のパンクをブチカマすよ、そうでもせんとあの頃の俺に申し訳ないだろ?
