2023年2月3日伏見城に登ってきました。
今までいろいろなお城で伏見櫓を見て参りました。
福山城、岸和田城ですかね、伏見から移築したそうです。
昔、伏見城キャッスルランドという遊園地もあった様に記憶していますが、確か閉園したはず。
でも早速ですので行ってみましょう。
今日は京阪電車の観月橋で下車。
観月橋の向こう側にも織田信長に反旗を翻した最後の足利将軍、足利義昭が籠城した槇島城があるのですが、見に行ったら堤防跡しかありません。
観月橋から宇治方面を見ました。
宇治駅から行った方が近いみたいですね、そっちは諦めました。
さて観月橋北側にライオンズ伏見桃山指月城というマンションがあります。UR観月橋団地の奥になります。
そうここが初期の伏見城、指月伏見城なのです。
マンションの下に石垣が一部積まれています。
この伏見城は慶長期の地震で倒壊してしまい、蟄居中の加藤清正が秀吉の元に駆けつけたとか、激怒した秀吉が方広寺の大仏の額に弓を放ったとかのエピソードがあります。
しかし日本は昔から大地震ばっかりだったのですね(´・ω・`)
指月伏見城はこれで終わり。歩いて木幡山伏見城に向かいましょう。
登り坂をふうふう。JR奈良線の踏切を越えて、丘陵を登って行きます。
桃山という地名ですが今は高級住宅街です、大豪邸ばっかりですよ。あ、標識です。
明治天皇陵、桓武天皇陵がありました、それらを越えて……入口です。
お城の入口はこちらの小さな方。
歩くと大手門です。
見取り図です。野球場と多目的グラウンドの方が大きいんですって!!
その辺の事情が書かれています。遊園地も閉園なんですね。
気を取り直して大手門を潜りましょう。
かすれた欄干の朱が悲しいなあ。
この石碑を見て気を落ち着けます。
中に入りますよ。お、模擬天守がありました。
黄色いテープが張ってあり、実は中に入れません。
建物が老朽化していて、上から瓦が落ちてきたりするのですって( ;∀;)
模擬天守にはここまでが限界です。
横に回ってみました。桜の季節は凄そうです。
模造の小天守とは言え、優美で美しいです。
石垣も後で積んだものっぽいです。
唐橋も渡れないのです。
一周どころか半周しかできませんでした。
地図。
観月橋駅から1時間で終わってしまいました。
天皇陵二つと御香宮神社でも覗きに行きましょうか。
門の外に出ましたら、瓢箪とお城のシンボル。これもちょっと物悲し。
では地図に従って天皇陵二つに参ります。
でわ。
あれだけの史実があったのに何も残ってないってことなんですかね?
②木幡伏見城は秀吉死後家康が入場、会津討伐中に西軍によって落城。燃え落ちたみたいです。
③藤堂高虎が奉行として規模が小さくなったみたいですが再建。
家康から家光まで征夷大将軍宣下を伏見城で行っています。
④二条城があるため一国一城令により、家光宣下の後、伏見城を破却。
⑤伏見には奉行が置かれる。伏見城の設備はいろいろなところで使用された。
大部分Wikiから引用ですがこんな形らしいですよ。
天守、新しく建てられたのに耐震問題あり、
一方400年経っても内部が見学できるという、現存天守のすごさを思ってしまいました。