馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

大野城と岩屋城に登りましたが、水城には登れませんでした

2025-03-01 22:08:35 | 城攻め

2025年3月1日、大野城と岩屋城に登りましたが、水城には登れませんでした。

ほらこの3つ、超近いでしょ。

大野城は100名城の86番目、前に一度太宰府と一緒に攻めたのですが、道が分からず、結局登山できずにスタンプだけ貰って無念の撤退をしました。

岩屋城は初めてですが、大野城登山口の途中にあるのですね。

水城に至っては初めてです、では行ってみましょう!

久方ぶりの博多。人が多くてビックリしました。

西鉄バスで行きたかったのですが、乗り場が分からず(´・ω・`)、聞いたこともないJR福北ゆたか線で長者原で乗換えて、これまた聞いたことのないJR香椎線の終点宇美駅で降ります。

長者原はちょうじゃばらでなく、ちょうじゃばるなんですね( ゚Д゚)原ははらと呼ばず、はると呼ぶので焦りました。

可愛いJR九州のDENCHA。

中ものらくろみたいなワンコのイラスト。全車両のドアの内側がこんな風に彩られていました。

博多から30分くらいでJR宇美駅に到着。

今回は事情があって太宰府駅や大野城駅からは攻めないのです。その代わり歩きまくり、大丈夫でしょうか、私の足は。

宇美駅の駅舎は太宰府を模しているのでしょうか。

まずは大野城ではなく、先に宇美町立歴史民俗資料館へ参ります。

応神天皇と神功皇后を祀る宇美八幡宮。

朝の9時半から結構参拝者が来ています、赤ちゃんを抱っこしているお母さんも多く見られました。

みんな可愛いです。

取り急ぎ神功皇后と応神帝に今日の無事を祈願しました。

隣りの民俗資料館で登城MAPとお城カード、御城印をGETです。

3月1日発売開始ですって。

かなりピンボケのお城カード。

ちなみに係の方に

「歩いて登るのですか」

と心配されてしまいました。

登り道をひたすら登ります。資料館から40分くらい歩くと、大山祇神社神社が現れました。

更にどんどこ登ります。ちなみに歩いているのは私だけ、後はトラック野郎がビュンビュン通ります。

あ、大野城の船石です。

とうとうお城の域内に入った模様です。

地図。大野城ってこんなに広いのです、驚きです。

船石から15分、百閒石垣が登城です。どれどれ……

えーーーこんなに高いの?

眼が眩みます~なるほど、奥は石垣です。

勇気を出して登ります、道が細くて怖いのです。

草に覆われていますが、本当に石垣です。

振り返ると、

もうこんなに高い(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

落ちたら、おむすびころりんよろしく転がることでしょう。

あら、百閒石垣はここまでですね。大分高度が上がりましたが、道がないので一旦下ります。

落ちませんように、落ちませんように。

迂回すると百閒石垣の上を歩き、更に上を目指すことができます。

ロープ場です。掴まってよいしょよいしょ。

休み休み登りますと、

クロガネ岩城門跡。城に幾つかある門の一つです。

しかし肝心の門はこんな風に劣化してしまいました。

更に5分ほど歩くと、

野外音楽堂です。お食事してる方がちらほら。

1148分ですもんね、私もそろそろお腹が空いてきました。

ちょっと頑張って毘沙門堂に行ってみます。

と軽口を叩いたのですが、これが大野城内の登山です。

たっぷり30分掛けて、

毘沙門堂に到着。別に上杉謙信は関係ありません。

元々この山を四王寺山と呼んでいたから、だそうですよ。

ん~さすがにくたびれました。どこか休むところはないかいな、っと。

一番高いところ、大城山410メートルを踏破してしまいました。

お昼休みを取ったベンチそばにあった表示板。

左端にいるんです(笑)

お弁当の後はまたまた回らなきゃ。

また違う門の一つ、水城口城門です。

ん、やっぱりこんな感じです。素人目には石垣の残骸です。

けいさしの井戸なんて井戸の跡がありましたが、底は埋まっていました。

県民の森、大野城の中心にある県民の森センターにやってきました。

そろそろ足が疲れて、お手洗いも行きたいので、絵を見ながら休みます。

思ったより大野城址、広いです(´・ω・`)簡単に回れると思った自分が甘すぎでした。

猫坂礎石群という建物の跡。

その先にあるのは大石垣。350メートルほど坂を一気に下ります。

ん、何かあります。左脇の道を通って振り返ると、

ほほう、これが大石垣。2015年に集中豪雨があって石垣が大分崩れてしまったんだそうです。

また組み直ししていただいたんですね、ありがたいことです。

太宰府天満宮方面に行く必要があるため、泣きながらこの激しい下り坂を登り直します(´・ω・`)

この大石垣を降りると、大宰府政庁方面なんですって。

増長天礎石群。

この辺りも大野城址。

高橋紹雲さんの辞世の句碑。

読み辛いですが、

流れての 末の世遠く 埋もれぬ 名をや 岩屋の 苔の下水

と書いてあるらしいです。

高橋紹雲さんは大友家の忠臣、立花宗成の実のお父さん。

島津の攻めに良く岩屋城を守りましたが39才で玉砕、島津も彼を激賞したんだそうです。

ってことで岩屋城も近いのですが、まだ大野城で見たいものがあるんです。

これこれ。

車道沿いにあるので、車の人は降りないと見れませんし、私みたいな徒歩の人はかなりの距離を歩く必要があります。

でも何故か牧場の芝草を積み上げた様にしか見えない(´・ω・`)

もっと近づきましょ。

土塁っぽい、でも脇は石垣ですね。

これは水ノ手口石垣です。太宰府城門口を守っているのです。

気を取り直して太宰府駅方面へ降りて行きます。

くねくね降りる道の中にも岩屋城近道なんてありました、助かります。

この階段を登らねばなりません。

ううっ!足に激痛が走りました(´・ω・`)

岩屋城の城址を見たところでまた休憩します。

足が痛すぎる……

しかしこの石碑、凄いですね。

嗚呼壮烈岩屋城址、です。

岩屋城763名全員が島津の降伏勧告を蹴って戦死ですって( ゚Д゚)

眺めが良く太宰府政庁跡が見えました。真っ平です。

太宰府天満宮と九州国立博物館が見えております。行きたいなあ(今日は無理なのです)

岩屋山281メートル。

足の痛みも少しだけ和らいだので降ります。

下界の太宰府館で入手した岩屋城の御城印ですが、!!

今年は令和七年ですが、五年と書いてある……ま、いっか(笑)

16時になっちゃいました、とっとと行きましょう。

太宰府政庁跡にある太宰府展示館が次のターゲット。しかし博多や天神行きのバスは超満員。

私はもう歩くのが結構きついです……太宰府市役所行きのバスを見つけました、ガラガラです。

これに飛び乗って足を休めていきます。残りあと600メートルほどを歩きます。

紅梅白梅が良く咲いています、太宰府市役所前ですよ。

ヒイヒイ泣きながら歩いて太宰府展示館に到着です。

大野城のお城カードを入手しました。これは2枚目。

宇美町で1枚目、大宰府市で2枚目、そして急いでこれから大野城市の大野城心のふるさと館で3枚目を入手せねばならんのです(# ゚Д゚)

3枚も出さないでよぉぉぉぉ

太宰府政庁跡で紅梅。昨年の大河で紫式部は太宰府を訪れていました。

これが太宰府政庁の遠景。16時半ですので見ている余裕なし( ;∀;)

史跡太宰府跡。

タクシーに乗ろうか迷っていると……無情の雨。かなりの大粒です。

結局タクシーは捕まらず、都府楼駅から春日原駅まで西鉄に乗って歩きます。ズキズキ痛む足が辛いです。

大野城心のふるさと館に駆け込みます、17時20分ですが建物はまだやっています……

受付のお姉さんにお城カードを聞くと、建物内のコーヒーショップ兼お土産物屋さんで販売、無事入手できました(*´▽`*)

まだ行ってませんが、水城の100名城スタンプまで入手。

心のふるさと館で見掛けた水城。

太宰府を守るために大野城から水城で防衛線を敷いている訳ですね。

水着……じゃない水城を見たいなあ、でもこれから暗くなるしなあ、もう17時半だし雨も降ってるしなあ。

水城は次の機会としますです。あ、高橋紹雲さんのお墓も見逃しました(´・ω・`)

ってことで今日のお宿は久留米です。

久留米と言えば久留米ラーメン。

お腹が空いてやきめし(炒飯ではない?)を付けた屋台ラーメン、1,170円。

あ、お店は精陽軒さん。

清陽軒[久留米ラーメン]

麺の固さはバリカタではなく普通です、少しスープに臭みがありますが、疲れた身体に染みました。

雨は今はやんだみたいで、身体は温まりました~

明日はまた別のところを探検するので、天気が持つと良いのですが、でわ。


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1 コメント

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どうか (栗八)
2025-03-02 03:43:43
ますようね!
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