2023年10月15日勝龍寺城に登ってきました。
こんなトコどすえ。
今日は雨だと思って遅く起きたら、まさかの快晴!
せっかくですのでお城を攻略することにいたしました。目指すは京都の勝龍寺城!(近場の)
100名城でも続100名城でもありません、こんなお城です。
ということでJR長岡京駅。
かつては神足駅でしたが、今は長岡京駅ですね。
駅前の通りにガラシャ通りと名付けられていました。
ガラテア(Gratia)ではないのですね。この通り沿いに歩きます。
10分も掛からず、神足神社に到着します。
実はここ神足城址なんですね。
土塁と空堀跡があるのです。
草が繁っていてよく見えません( ;∀;)
土塁の上を通れるのですが、やっぱり雑草で見えませんよ。
この中お堀なんです(笑)
どなたか剪定して下さいませんか?
神足城の土塁や堀が勝龍寺の一部として用いられたそうなんです。
全然お堀が見えないので、神社に今日の探索の無事を祈願。
796年から舎人親王を祀っているそうです。舎人親王と言えば日本書紀の編纂で知られています。
こちらは土塁跡。ブロックで補修されていました。
更にガラシャ通りを進むと……見えました!!
お日様をバックに勝龍寺城、隅櫓です。
逆さ勝龍寺城。
うーむ、素敵ですね(自画自賛)
北側から入れますので行ってみましょう。
いざ、突入!!
中に入って内側を見ます。
細川家九曜紋の間に見えるは、二つ引きという足利一門の紋。
細川藤孝こと幽斉までは二つ引き、息子の忠興は信長から九曜紋を貰ったんですって。
北門跡。
石仏や石塔です。
明智光秀の福知山城でも見られた形ですが、石垣不足を補ってるんですね。
当時の石組みが見えるんですって。
この上に天守があったかもしれないそうですよ。
登ってみました。
枡形虎口テラスを見下ろしました。
左側に北門が見えています。
山崎合戦図です。勝竜寺城から光秀は出撃、そして撤退したんですね。
光秀出陣テラス。
降りると模擬櫓、今は管理棟と博物館です。
一旦南側に出ました。
お堀沿いに歩きます。
説明書きがありました。応仁の乱の時に畠山氏が築いたのが始まりだそうで。
明智玉ちゃんことガラシャたん推しなのです。
もう一度入り直しましょう。
本丸跡の説明がありましたよ。
安心する石碑ですが、達筆過ぎて読めません。
門を潜って、管理棟に入ります。
中は近代的設備で2階は博物館。ただし撮影禁止でした。
ガラシャおもかげの水、地下水なんですって。
井戸です。
狭間から外を覗きました。
東から管理棟を見ました。少しですが葉が色づいてますね。
癇癪持ちで嫉妬深い忠興さんとキリスト教にのめり込んでしまったお玉ちゃんのカップル。
何ごともほどほどにしましょう(笑)
管理棟の方に御城印についてお尋ねしたところ、15時で終わりなんですって!!
今、15時15分、惜しかった( ;∀;)
しかし神足ふれあい町家に置いてあるとのことです、行ってみることにしましょう。
急いでお城を出ます。
北側からJRの高架下を潜って更に北上します。7、8分位で西国街道沿いの神足商店街に到着です。
神足神社の領内なんでしょうかね。
着きましたよ、神足ふれあい町家です。
古い町家を改造したみたいですね。
今日は中でスチールギターのコンサート中でした。
中の庭園では何と桔梗が咲いていました、可憐ですねえ^^
こんな時間ですが朝顔も。
3種類ある御城印から細川藤孝版をGETです。
さてこの後は、と思っていたら近くに大きな古墳があるとのことです。
ついでと言っては何ですが、行ってみます。次回で、でわ。
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