馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

京都探訪(京都霊山護国神社、粟田神社、三条京阪周辺)

2023-10-06 18:24:31 | 日記

2023年10月6日またも京都周辺を探訪してきました。

快晴で探索するにはちょうど良いので、京阪電車で祇園四条から三条界隈を歩いてきました。

 

①霊山歴史博物館・京都霊山護国神社

維新関連です、こんなところ。

京都霊山護国神社

祇園四条駅で下車。6番出口を外に上がると京都南座です。

東に向かうと八坂神社。人出が多いのです。

右に折れて南に向かって歩くこと10分、高台寺付近を更に東上します。

京都霊山護国神社が見えてきましたよ。

翠紅館という建物の跡です。

土佐藩武市半平太、長州藩井上馨、久坂玄瑞が集まったり、後に長州藩桂小五郎と久留米藩真木和泉がお話したりと、後の維新に関わる会合が行われた場所です。

数多くの志士たちの御霊が眠っているそうです。

維新の道と呼ばれる急な坂を登ると、霊山歴史館。

入口には軍装の徳川慶喜さん、龍馬さんがお出迎え。900円の入場料をお支払いして中に入りますよ。

中には様々な資料がありました。撮影しても良いのが以下三点の刀です。

龍馬を斬った男、桂早之介の刀で越前国住人兼則。

桂さんは小太刀の達人で京都見廻組の隊士。龍馬暗殺の近江屋事件に関わるも、鳥羽伏見の戦いで戦死したそうです。

続いて新選組副長土方歳三の大和守源秀國。

一般に土方の刀としては和泉守兼定が有名ですが、複数の刀を所有しているとされ、そのうちの一振りとされています。

最後に新選組局長近藤勇の阿州吉川六郎源祐芳。

近藤勇処刑後に近藤の下僕が持ち出したそうです。

これ以外は一切撮影禁止です。

他には木戸孝允や新撰組側の資料が豊富でしたよ。興味ある方は是非行ってみて下さいな。

資料見学後は京都霊山護国神社のお墓参りへ向かいました。

京都霊山護国神社の本殿です。先にお墓参りへ。

お墓参りには300円の入園(?)料が必要ですよ。

維新志士1,356柱の御霊と明治以降の対外戦争戦死者が眠っています。

志士たちのお墓については、以下の様な地図があります。どこに誰が眠っているのか丸わかりですよ。

こんな階段を登っていくのです。

すぐに海援隊と陸援隊の隊長たちのお姿が。

その奥に坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓がありました。左が坂本、右が中岡です。

一番奥が桂小五郎こと木戸孝允のお墓。

ご立派なお墓。

隣には奥さんの幾松こと木戸松子。一緒に葬ってあげればよいのに、と思ってしまうのです。

戻ってくる途中には、長州藩のトリックスターいや破壊神かな、高杉晋作が眠っています。本物のお墓は下関の東行庵にあるんですよ。

来島又兵衛、久坂玄瑞も仲良くご一緒です。

下に戻って本殿にお参りします。

お昼ごはんを食べに高台寺辺りまで戻ると、凄い人出です。

何故か着物の男女が多いのですが、足はブーツだったりスニーカーだったりサンダル。きっと外国人が着物レンタルしているんですね。

混んでてお話にならないので、高台寺、二寧坂近辺を脱出、八坂神社近くのカレーうどん屋さんにしました。

味味香さんです。

 

【公式】京のカレーうどん 味味香|だし文化の京都で愛され続ける京のカレーうどん味味香のサイト

京のカレーうどん味味香 1969年京都木屋町にて創業。味味香創業(現在は八坂神社南隣)より半世紀も愛され続ける京のカレーうどん

【公式】京のカレーうどん 味味香|だし文化の京都で愛され続ける京のカレーうどん味味香のサイト

 

角煮カレーうどんをお願いしました。ちと辛めでしたが美味しいのです、1,350円でした。

食べ終わって15時。次には刀鍛冶の聖地(?)粟田神社へ。

②粟田神社

粟田神社はこんなところ。

粟田神社

由緒は古く清和天皇の貞観18年、876年。名を取った粟田口派の刀鍛冶たちとその刀が有名ですね。

八坂神社を抜けて、北側の知恩院に沿ってしばらく歩いてから、青蓮院の先を右折すると粟田神社です。

八坂神社から歩いて10分も掛かりませんでした。

神社に入ってすぐ左に加治神社。

主祭神は加治の神様の天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、他に三条宗近や粟田口藤四郎の実在した鍛冶が祀られています。

左に見える絵馬には、刀剣ギャルズの熱い思いが日本語やタイ語(?)で綴れられていましたよ。

加治神社から失礼して上に登ります。

お手水。アヒルちゃんがたくさんいますね。

本殿が見えました。

お参りしてから宝物殿に入ります。撮影可です。

無銘の刀が飾ってありました。

③三条京阪周辺

粟田神社を後にして三条京阪駅方面に歩きます。とあるところに写真の様な石碑がありました。

この辺りはかつて青蓮院の境内で建物があったそうです。その中で龍馬とお龍が内々の結婚式を挙げたというのです。

信じるか信じないかはあなたと私次第、です。

もう少し歩くと地下鉄東西線の東山駅、そこを南下すると、一澤帆布工業さんのお店があります。

入ってみましたが、お値段が大分お高くなっておりまして、私ごときには買えそうもありません( ;∀;)

あのスキャンダル、骨肉の争いは終息したんでしょうねえ。

お店の中は賑わっておりました。

再び三条通を西へ。三条大橋を渡って少しのところに、池田屋の跡があるのです。

今は居酒屋はなの舞さんのお店になっていますよ。金曜の夕方ですので人通りが多いです。

その近くには、佐久間象山と大村益次郎が遭難した旨の石碑がありました。

高瀬川沿いです。京都にはいろいろありますねえ。

でわ、そろそろ失礼します、また。


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